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002 年賀状

1月2日
今日は年賀状を書いた。今年は届いた人に対して年賀状を書く方式とした。
年賀状ってなんで書くのだろう?もう40年以上も生きているのに、深く考えたこともなかった。そもそも、年賀状の文化っていつからあるんだろう?きっと、ネットで検索すると出てくるのだろうけど、あえて調べない。
とにかく、年賀状は、わたしが生まれたときからある文化だ。

年賀状の思い出といえば、子供の頃に自宅に届く年賀状がとても楽しみだった。どちらかといえば自分に届くのではなく、両親に届いた年賀状を見るのか好きだった。父が働いていたころは、部下や上司に年賀状を書くのが一般的で、会社関係の年賀状がたくさん届いていた。その中で、家族で写真を撮っているものや、産まれたばかりの子供の写真が何枚かあった。家族写真の年賀状は今ではよく見かけるものだが、当時はなかなかに珍しいもので、その写真を見るたびに楽しさを感じながらも、我が家では採用されていない、家族写真の年賀状に憧れを感じたり、自分より小さい子どもたちの写真をみて、羨ましさも感じたりした。
また、小学生の頃の年賀状といえば、手書きが主流だったのだが、その中で「プリントゴッコ」という機会で年賀状を送ってくる友達もいた。「プリントゴッコ」知らない世代も多いかもしれないが、孔版印刷の原理を応用したはがきの印刷機で、パソコンが普及していない時代にすぐに印刷できる画期的な機械だった。プリントゴッコの年賀状にも羨ましさを感じていた。年賀状から読み取る、短い一文にこめられた内容から、その人がどのように過ごしてきたかを感じられる。

わたしの年賀状の思い出は、年賀状から生活格差を感じるものだった。

生活格差を感じる年賀状だったが、いつからかそんなことを考えることもなくなってしまった。気づけば、連絡を切らせたくなくてせめて年1回連絡を取るために出す人や、なんとなくの腐れ縁で相手が送ってくれるから出すときもあった。そして、時代は流れて今はSNSで繋がれる時代のもなった。遠く離れている友人ともSNSで繋がれる現在、わざわざ年賀状を書く必要もないのかもと感じるようになった。
年賀状を出す意味って本当になんだろう?連絡を取りたいなら、年賀状ではなく、普段から取ればいい。そんな気持ちをここ数年ずっと感じていた。そして2021年。新しい時代を迎えるにあたり本当に今までの年賀状の出し方でいいのかな?と思い直して、今年は来た人に出す方式にしてみた。そして、来年のわたしは年賀状を出せない。「わたしと本当に連絡取りたいの?」と年賀状で試しているのかもしれない。なんだか失礼な気持ちもする。自分から動かず相手の気持ちを確かめているような気もする。

卑怯かな。


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