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柳田國男の「橋姫」を脱線する#6 神から神へ手紙を送る『宇治拾遺物語』『三国伝記』『酉陽雑俎』
はじめに
前回は、『今昔物語集』における、橋から橋へ、モノを届ける説話を確認しました。長くなってしまったので、今回はその続きの、後篇です。
初回↓
前回↓
07.手紙を託すこと(歴史的側面)後篇
神から神へ手紙を送るのに人間の手を借りたといふのも、古くからの話である。
例へば「宇治拾遺」の卷十五に、越前の人で毘沙門を信仰する某、不思議な女の手から書狀を貰ひ、山奧に入つて鬼形の者にこれを渡して、一生食べても盡きない米一斗を受け取つた話があり、
「三國傳記」卷十一には比叡山の僧侶が、日吉二宮の文を愛宕の良勝といふ地主の仙人へ持參して福分を授かつた話がある。
その話が日本だけに發生したものではないことは、支那でも「酉陽雜俎」卷十四に邵敬伯といふ人、呉江の神の書翰を託せられて濟河の神の處へ使ひに行き、寶刀を貰つて歸つた話もあり、まだその他にも古いところにこれに似た話があつたのを見ても分る。
15『宇治拾遺物語』
『宇治拾遺物語』は、鎌倉時代初期、13世紀前半頃に成立した説話集で、「今昔物語集」「古本説話集」「古事談」などと共通する話が多いです。
紹介されている話は、巻第15-7(通番192)にあります。
これも長いので、少しづつ読んでみましょう。
卷十五 伊良縁の世恒毗沙門御下文の事 p281
『新訂増補國史体系 第十八卷』
いまはむかし。越前の国に伊良縁の世恒といふものありけり。とりわきてつかふまつる毗沙門に。物もくはで物のほしかりければたすけ給へと中ける程に。門にいとおかしげなる女の家あるじにものいはんとの給といひければ。たれにかあらんとて出あひたれば。かはらけに物をひともりこれくひ給へ。物ほしとありつるにとてとらせたれば。よろこびてとり入てたゞすこし食たれば。やがてあきみちたる心ちして。二三日は物もほしからねば。これをゝきて物のほしきおりごとにすこしづゝくひてありけるほどに。月比過てこのものもうせにけり。
女が、食器に盛ったご飯を持ってきた。
それを少し食べると満腹になったので、少しづつ食べていたが、
数か月してなくなってしまった。
いかゞせんずるとてまた念じたてまつりければ。またありしやうに人のつげゝれば。はじめにならひてまどひ出てみれば。ありし女房の給やう。これくだしぶみ奉らん。これより北の谷峯百町をこえて中にたかき嶺あり。それにたちてなりたとよばゞものいできなん。それにこのふみをみせてたてまつらん物をうけよといひていぬ。このくだし文をみれば。米二斗わたすべしとあり。
「北の谷を越えて高い峰に行き、「なりた」と呼んで出てきたモノに、
この手紙を見せて物を受け取りなさい」
手紙には米二斗を渡せと書いてある。
やがてそのまゝゆきてみれば。実にたかき峯あり。それにてなりたとよべば。おそろしげなるこゑにていらへて出きたるものあり。見れば額に角おひて目一ある物。あかきたうさきしたる物出来てひざまづきてゐたり。これ御下文なり。此米えさせよといへば。さる事候とて下文をみて。これは二斗と候へども一斗をたてまつれとなん候つるなりとて。一斗をぞとらせたりける。そのまゝにうけとりてかへうて。その入たる袋の米をつかふに一斗つきせざりけり。千万石とれども只同やうにて一斗はうせざりけり。
角が生えて目が一つ、赤いふんどしのモノが出てきた。
手紙には二斗とあるが、一斗を受け取って帰った。
袋に入っている米を使ってもなくならず、
千万石(一万斗)使っても減っていなかった。
これを国守きゝてこのよつねをめして。その袋われにえさせよといひければ。国のうちにある身なればえいさにずして。米百石のぶん奉るといひてとらせたり。一斗とれば又いでき〴〵してければ。いみじきものまうけたりと思てもたりける程に。百石とりはてたれば米うせにけり。
袋ばかりになりぬれば。ほいなくてかへしとらせたり。世恒がもとにてまた米一斗出来にけり。かくてえもいはぬ長者にてぞありける。
断り切れず進上したが、国守が百石取ったところなくなってしまった。
袋だけでは意味がないので伊良縁の世恒に返したところ、
また米一斗出てくるようになり、男は長者になった。
これは毘沙門天?から鬼?へのお使いです。但し、手紙を届けたお礼ではなく、直接もらいに行っているというのが、これまでにないタイプですね。
国男は切っていますが、最後は欲深い国守の話になっています。13『今昔物語集』では、嫉妬深い妻が出てきました。何か話のオチに性格の異なる人を登場させる流れがありますね。ただ、『今昔物語集』と違って、死ぬ人も酷い目に遭う人もいません。まいるどです。
この話は『今昔物語集』17-47、『元亨釈書』29に同話があります。
また、新編全集の頭注には、呪宝の米袋をもらう話が第48話に、社寺に祈って福を得る話が第88話、第96話にあると言います。
16『三國傳記』
『三國傳記』は、室町時代中期の15世紀前期に、沙弥玄棟が著した仏教説話集です。インド・中国・本朝の三国の説話、360話が集められています。
本文は7年前に入力したものをそのまま使っているので、レ点や一二点が混入するなど混沌を極めていますが、もう直すのがあまりにしんどいので、大目に見てください。
絶妙に読みにくいので、訳はかなり適当に書きました。バカみたいな間違いがあれば指摘してください。
卷第十一〔第九〕貧僧依二山王ノ恵ニ一勤二彼岸ニ一事。
「三國傳記」玄棟『大日本仏教全書148』仏書刊行会
(昭和58年1月覆刻)名著普及会 p455 二七三頁
国立国会図書館デジタルコレクション
和云。中比比叡山ニ學徒アリ。終日文書ヲ守り通夜法門ヲ習。然ルニ彼岸ト云役ニ當リ無縁貧乏ニ乄可勤仕無レ便リ親類眷属ニモ可キ云合人モナシ。知識檀越持サレハ賴方モ非ス。思煩テ山王權現ニ無レ隙參テ此ノ事ヲ祈ケル。百日ニ滿ケル夜。通夜シタリケル。夢ニ二宮ノ御寶前ヨリ立符タル文ヲ一通指出乄。汝カ餘ニ申事ナレハ相計也。此ノ文ヲ愛岩ノ良勝カ許ヘ持テ行ケト被ルレ示ト見テ覺ヌ。傍ヲ見レハ現ニ文アリ。
比叡山の学徒で、彼岸の仕事をしたいが、貧乏なのでできない者がいた。
山王権現に祈ったところ、夢に現れて、文を愛岩の良勝に届けて欲しいという。
目が覚めると本当に文があった。
此ノ状ヲ給テ愛岩ノ方へ尋行テ。良勝ト云人ハ何クニ座スソト問ヘトモ。唯嬾鸎鳴幽谷ニ犬猿叫ブ重嶂ニ計ニテ。答者無リケル。攀上レハ白雲埋ミレ跡ヲ靑嵐拂フレ梢ヲ。路ヲ進ミ樵夫ニ行合テ問ヘハ此ノ事ヲ。良勝トハ此山ノ地主ヲ申ト社承テ候。當山ハ昔七千房ノ所ニテ候ケルカ磨滅シヌ。今ハ房舎ノ舊跡計多トソ答ケル。山王ノ神託ナレハ樣コソ有ラメト賴テ尚山深分入タレハ。簿檜皮筵ノ御所アリ。
樵夫に会ったので聞いてみると、良勝はこの山の地主と聞いていると言う。
山王権現の神託なので、必ずあるだろうとさらに山深く分け入ると、御所があった。
去社ト思テ立寄ハ。窻前ニ春淺林外ニ雲消テ折力ラ心細力リケリ。即案内スレハ奧ノ間ヨリ大僧正ニヤト覺ヘタル貴キ高僧ノ腰ニ一、張ノ弓ヲハリ。眉ニ八字ノ霜ヲ垂レ給ヘルカ。只一人直御出有。文ヲ取御覽アリ。御邊彼岸ノ事ヲ仰有也トテ内ヘ入レト召サル。隨ヒレ仰參ケリ。御花カラヲ自身取出給テ。食物ニ成テ食ヘト仰有ケレハ即タヘツ。日已暮ナントス。高僧曰ヒケルハ是へハ不當ノ者共ノ集ルニ。是へ來チテ隱レ居ヘシトテ吾御後ニ引寄テ置セ給ケル。
案内されて奥の間に行くと、大僧正と思われる高僧がいて、
腰には弓、眉は真っ白で八の字だった。
文を渡すと、中へ入れてくれた。
花カラが食べ物に変化して、それを食べろと言うので、食べた。
日は既に暮れようとしていた。
高僧は、不当の者が集まってくるので、隠れていろと、高僧の後ろに引き寄せて法師を隠した。
去程ニ及深更ニ千人計カ聲ニテ曳曳ト云テ來ル音シケリ。此法師何事ナル覽ト恠ク思ヒテ恐シサニ跪居テ見レハ老若尊卑ノ山伏トモ我慢ノ翅、憍慢ノ觜有キ。或ハ牛頭馬頭ノ像鳥類禽獣ノ姿ナル物共年ノ程七ツ八計ナル女子ヲ囚ヘテ來テ進物ニテ候ト申ケレハ。高僧不思議ノ奴原ノ痛シキ事ノ振舞物哉トテ。少女ヲハ呼テ御ソハニ置給ヘリ。
見ると、老若の山伏で、翼や嘴がある。他に、牛頭や馬頭など、鳥類禽獣の姿をしたモノどもが、7~8歳ぐらいの女の子を捕まえてきて、進上するという。
高僧は少女を呼んで、傍に置いた。
譡(サテ)彼ノ物等申ケルハ。例ナラヌ人香ノスルハ何カナル事ニヤト云ケレハ。高僧深ク狼籍ヲ誡メ給へハ皆靜リケリ。五更ニ月落テ一點燈殘リ夜既ニ明ナントシケレハ。彼天狗共又曳々應々ト云テ虗空ヲ走リ東西ニ去ケリ。
明るくなると、天狗どもはまた虚空へと帰っていった。
其ノ時又花カラヲ取出。法師ニタハセ給ヒ曰ケルハ。承候彼岸ノ事ハ可レ安御心。但此少物ハ尾張國ニ隱レ無いキ武士ノイツキ冊(カシツク)獨娘也。具メレ之ヲ其ノ家ニ可シレ行クト仰有ケリ。
少女は有名な武士の一人娘なので、その家に戻すようにとのことだった。
即チ具足シテ國ニ下リ尋子行テ見レハ。實ニ大名氣ナル屋作ノ體也ケルカ。内ニ戸ヲ閉テ人稀ナリ。庭ノアタリヲ見渡セハ嬾柳泣キレ露ニ老松咽フレ風ニ々情也。良久有テ女人出合申ケルハ。是ニハ此程姫君ノ暗ニ失給ケル程ニ。天狗ナトノ取タルヤトテ諸方へ手分シテ殿原中間悉ク尋子申ニ出給へハ。御物歎ニテ人ニ御對面モ候ハス。誰人ニテ御入候ヤト云云。此ノ法師此由ヲ委細ニ語リ姫君ヲ是マテ具奉タリト云ケレハ。家中ノ上下聞レ之ヲ喜事無レ限。
家は閑散としていて、女人が出てきていうには、
娘が天狗に攫われて、各地を探したが見つからなかったという。
法師がこれまでの事情を話し、娘を連れてくると、皆々喜んだ。
即内ニ呼入テ事ノ次第ヲ尋子先ツ悦ニ彼岸ヲ可レ象奉勤仕シ安キ間ノ御事也。吾京都ニモ田舎ニモ倉アリ。其期ニ臨テ某。可シレ營ム云云。如レ此既ニ彼岸ヲ心ノ儘ニ勤テ其ノ後尾張ノ大名ト師檀ノ成レ好ヲ何事モ無乄不足昇進心ニ任セタリケリ。山王權現ノ御方便勝タル難キレ有御事也。
京都にも田舎にも倉があるので、時期が来たら彼岸を営んだ。
こうして彼岸を務めて尾張の大名と、寺僧と檀家の関係を築いた。
何の不足もなく昇進も思いのままだった。
山王権現の力によるものである。
![](https://assets.st-note.com/img/1683387229371-AWmgKxCOzq.jpg?width=800)
このお話では、やりたい仕事を得るために、手紙を届けることになります。行った先で天狗たちに見つからないように隠れ、帰りには攫われてきた娘さんを送り返すことで、願いを叶えることができます。
単純に手紙を届ける事で得られる幸不幸とは異なり、何か別の要素が強いですね。
異界へ行って、そこで鬼に見つからないように隠れるという展開は、「ジャックと豆の木」なんかにも見られます。
日本にもいろいろあったなと思うのですが、具体的な例を思い出すことができませんでした。簡単に調べてみると、「鬼の子小綱」というのが見つかりました。いずれにしても、鬼どもが人間の匂いを嗅ぎつけるのを、何とかして隠し通すというドキドキハラハラの展開があります。
17『酉陽雜俎』
酉陽雜俎(ゆうよざっそ)は、晩唐時代の860年ごろに段成式 (だんせいしき)が著した異聞雑記の随筆です。
![](https://assets.st-note.com/img/1683388110330-Cqk3jYMs7d.jpg?width=800)
国立国会図書館デジタルコレクション
元は漢文ですが、東洋文庫の現代語訳を引いておきます。
「酉陽雜俎3」『東洋文庫397』今村与志雄(1981年5月)平凡社 p36
巻十四 諾臯記上 五四五
平原県の西、十里に、むかし杜林があった。
南燕の太上のとき、邵敬伯という者が、長白山に住んでいた。ある人が敬伯に、一函の書をよこした。その文面は、
「わたしは、呉江の使いだ。命令によって済伯に通信をするので、いま、長白を通過しなければならない。どうか、貴下がこのことを伝達していただきたい」というのである。
それで、ただ、杜林のなかで樹の葉を取って水中に投げこめば、人が出てくるはずだと敬伯に教えていた。
敬伯が、そのとおりにすると、果して、人が案内して入らせようとした。敬伯は、水におじ気を示した。その人は、敬伯に目を閉じさせた。水中に入ったらしい。ところが、ひろびろとして、宏壮で華麗な宮殿があった。年のころ、八、九十ばかりの老人が、水精〔水晶〕の長椅子に坐していた。函をあけ、書状を開いてから、こういった。
「裕が擡頭し、超は滅亡する」
侍衛の者は、みな、まんまるな眼をして、甲冑をつけていた。
敬伯は、挨拶をのべて退出した。一口の刀を敬伯に贈り、
「では、お気をつけて。ただ、この刀を所持していれば、水厄はよけられます」といった。
敬伯は、出てから、杜林にもどったが、衣裳は、全然、ぬれていなかった。
果たして、その年、宋の武帝が、燕を滅ぼした。
敬伯は、両河の間に三年、住んでいた。ある夜、突然、洪水がおこり、全村が水没した。敬伯だけは、長椅子に坐っていた。明け方になって岸についた。敬伯がおりてこれを見ると、大きな亀であった。
敬伯が死んで、刀もなくなったのである。
杜林の下に河伯の家があると、世俗に伝えられている。
呉江から済伯への通信を邵敬伯という人が任されます。
水中に葉っぱを投げ入れると人が出てくるという「金の斧、銀の斧」みたいな展開、さらに水中の宮殿に案内される「浦島太郎」みたいな展開があります。
帰りに、水厄を免れる刀をもらったことで、洪水を免れますが、住んでいるところが大きな亀の背になっていたようです。
短いお話ですが、これまでとはまた違った要素が込み込みになっていますね。
相当不思議なお使いなので、神から神への伝達の話型であることは間違いありませんが、本文には「呉江の使い」から「済伯」なので、特段神とは書いていません。
国男は一口の刀も宝刀としており、かなり意を汲んで端的にまとめていることがわかります。
おわりに
今回は、神から神へ手紙を届けるお話でした。
神話などを読むと、神様同士が人間らしいやりとりを行っています。
だんだんとそうした直接的なやり取りが、人間界を仲介するようになるのでしょうか。
たまたま『俊頼髄脳』を読んでいたところ、次の文を見つけました。
三輪の明神の歌
恋しくはとぶらひ来ませちはやふる三輪の山もと杉たてるかど
これは、三輪の明神の、住吉の神に、たてまつり給へる歌とぞ、いひ伝へたる。
なるほど神様も歌を贈りあうのだなぁと、直接的な表現だったので目にとまりました。
もしこれを人が伝達することがあれば、今回の類型に含められそうです。
まぁこれは単なる妄想ですが。
風土記などを思い返しても、やはり神様が活発に行動していた上代には、人がわざわざ仲介する物語はなかったのでしょうか。
手紙というのも気になります。口伝えはないんでしょうか。夢枕に立って、というのはありますが、それが、他の神に何かを伝えて欲しいという内容のものは思いつきません。あったら教えて欲しいです。
ある程度文化的に文書行政が行き届いていて、尚且つ神との距離が離れてきた時代でないと、こういう物語は作られないのかもしれません。
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