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仮住まいへの引っ越し。

母の葬儀が終わったその翌日。
太平洋にほど近い場所にある関東の自宅に戻った私は、リフォームのための、仮住いへの引っ越しに追われていた。
日々というのはせわしなく流れていく。

大切な人が亡くなると、本当にふとした瞬間に声を思い出したり、笑顔を思い出したり、言葉や仕草を思い出したりして、今まで笑っていたはずの自分が、次の瞬間に、気持ちが込み上げてきて泣きそうになる。というか、ひとりの空間だったら、もう泣いている。

小学1年生の時に父を亡くしてから、30年以上が過ぎ、まさか同じ病気が発端で、母を亡くすとは思ってもみなかった。

3月3日。娘の2回目の節句のその日は、とても晴れた日で。
泣くことはできた。笑うことも、悲しむことも。

兄と私が母のベッドの両サイドから見守るなかで息を引き取った母の最期は、苦しくなかったようにみえた。眠るように、とはよく言ったものだ。ただ、呼吸と心臓が止まるだけ。

鍼灸師の私は、最後まで脈を診ていた。

血圧が低いと手首の脈には触れられなくなる。
心電図モニターをつながなくても、その時の様子で、触れるか触れないかの脈で、母がどこにいるのか、わかる気がした。

苦しそうだった呼吸が、少し落ち着きはじめて、これは良いのか悪いのか、もはや瀬戸際かなと思い始めていたその少し後、わずかに動いていた喉元の拍動と呼吸音がスゥーっと引いた瞬間は、まるでその音が聞こえるかのような静かな一瞬だった。

お母さん、お母さん、

生まれてから今まで、何度呼びかけただろう。
お母さん、おかあさん、

おかあさん、ありがとう。
もしやり残したことがあったら、私のこのお腹の中の命にすぐ生まれ変わってきてね。また会おうね。

声をかけた。
返事はなかったけど、聞こえたよね。

現在妊娠中の私は、夏に予定日をむかえる。

母は、天理教だった。
天理教では、死ぬことを、出直す、という。
借り物の身体を神様に返し、また魂は新しい身体をまとって生まれ変わる。(と教えている)

神様、聞こえますか。

私はまだ、母が出直したことの意味を、
見つけられていません。

意味を考える意味なんてないのかもしれないけど。
見つかるといいな。
今はそう思う。

今月1歳10ヶ月を迎える娘と、
妊娠7ヶ月になるお腹の子には、
確実に母の血が流れている。

私の中にも。

今は引っ越しと葬儀後のあれこれで、
非日常のタスクにまみれているけれど

癌という病が、なぜ命を奪うのか、
考えていきたいし、

鍼灸という治療が
どれだけ身体を助けてくれるかを
これからも感じていきたい。

運命は何を運ぶのか、
宗教は何を教えているのか、

私たちという存在は
なぜここに在るのか。

分からないなりに分かってきたこと。
分かってきたのに、分からなくなること。

分かろうとしなくてもいいこと。

色々あるから、note、始めました。
よろしくお願いします。

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