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何故日本人というものは桜を見るとしきりに詩人になりたがるのか
にわかに強くなった風に肩をすくめながら団地を通り抜けつつ、真奈美は桜を見上げていた。
八分咲きになろうかという桜に、素直に美しいと溜息を吐きながら、真奈美はひとりの男を思い浮かべていた。
あの人、何処にいるんだろうな。そもそも生きているのかしら。
1年の交際を経たプロポーズに首を縦に振ったものの、本当にそのまま話を進めていいのだろうかと迷っていた時に出会ったのがその男だった。真奈美がなんとも形容しがたい未来への不安を抱えたまま、女友達とふらふら飲み歩いているときに声を掛けてきたグループの中にその男もいた。
「指輪、すごいね。キラキラしてる。彼氏さん、きっとたくさん勉強して選んだんだろうなあ」
聞けば男自身も結婚話が進んでいるという。ところがどうも幸せそうには見えない。どことなく自分と似たにおいを感じ、真奈美は男に興味を持ってしまったのだ。
ふたりは趣味も嗜好も違っていた。好む映画のジャンルも違えば、食べたいものも違う。真奈美が感動した話に男の食指は全く動かなかったし、男のなじみの店を真奈美が気に入ることもなかった。
それなのに、と真奈美は独り言ちる。
何がきっかけだったのかといえば、ふたりでなんとなく入った大衆居酒屋でこぼした些細な愚痴なのだろう。言いようのない焦燥感をぶつけたかっただけなのか、単に情欲だったのか肉欲だったのか、それともまさか愛情が生まれ始めていたのかは、今でもわからない。
ただ、たしかに、好きだった。きっとあの人のことを。わたしもたしかに愛されていた瞬間があった。
穏やかな声や語り口調からは思い浮かべられないような力強い腕にも、何かを諦めているような丸まった背中にも、冷静をかなぐり捨てた瞬間にだけ見せる射るような視線にも、嘘はなかった。
真奈美は当初の予定通り、結婚した。男は、婚約を破棄した後どうしたのかは今でも知らない。知るすべはあったが、男の行き先を追うことに意味はないと思ったのだ。
それにしても。
桜を見ていると感傷的になるというかやたらと過去を美化したくなるというか。きっとわたしだけじゃないと思うんだけれど。日本人は桜を見ると儚いだとか侘しいだとか、そんなことばっかり考えるものよね。いや、日本人だけじゃない、外国もそう。桜に限らず花に人生を喩えるのがみんな好きなのね。人間の生物としてのDNAなのかしら……。
そこまで考えたところではたと気付く。随分と壮大な思考だと。随分と話が明後日にいってしまったものだと。
そもそも彼とは桜なんて見に行ったこともなかったな。お花見も外で飲むお酒も、嫌いだったものね。でも、こうして思い出せるなら。
それだけ男のことはいい思い出になっているということなのか。または、もう興味をなくしてしまっただけなのか。それでも、お互いにお互いを欲した瞬間があった。それだけでいい、そういう恋があってもいい。
唇の端を少しだけ上げながら、真奈美はまた小走りで桜の下を通り抜けていくのだった。
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