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映画感想『奇跡の人』

 べつにヘレン・ケラーのファンでもなんでもないけど、サムネ画像が白黒でかっこよかったので試しに再生。つまらなかったら途中でやめればいいつもりで。
 結果、最後まで見入ってしまった。
 この映画は、「偉人の伝記は“退屈そう”と思われがち」ということを見越して作られたのかもしれない。
 偉人の伝記がなぜつまらなさそうに思われるのかをしっかり考えて、その逆を実践したのかも。

 私が思うに、
偉人伝が退屈そうな理由その(1)善人とか聖人ばっかり出て来そう。

 立派なことをした素晴らしい人と、それを支えた善良な人たち。そんな退屈な人たちに二時間もつきあいきれるわけがない。
『奇跡の人』のサリヴァン先生はと言うと、惚れ惚れするほどキャラが立っていた。
 濃いサングラスで腕組みをしてほとんど笑うことが無く、体罰の行使に躊躇が無いスパルタン教師。
 愛をもって教育するよう諭されると「愛など必要無い」と一蹴。
 教師と言うより女軍曹。
 この人が次に何を言うのか、何をするのか、予測がつかなくて夢中で見入った。

 理由その(2)偉人の立派な行いなんて、鑑賞するには退屈そう。
 この私の思い込みに対して『奇跡の人』が上映時間の大部分を使って見せつけたのは、少女ヘレンとサリヴァン先生の鬼気迫る肉弾戦だった。テーブルマナーを叩き込む場面なんか、伝記映画を観てるんだか女子プロレスを観てるんだか分からなかった。
 自身も障害者施設で育ったがためにそうした施設の過酷さを知っていて、だから暴力を行使してでもヘレンを教育したい。
 そういうサリヴァン先生の痛々しい内心を知っているから視聴者としては彼女を応援したくなるのだけれど、でも子供をここまで容赦なくぶちのめしていいものなんだろうか。結果的にヘレン・ケラーが偉人になったから終わり良ければということなのかもしれないけど、でもこれって体罰と言うより暴力なのでは、虐待なのでは?
 観ているあいだじゅう葛藤で手に汗握って、退屈する暇が無かった。

 理由その(3)劇中で扱う時間が長そう。
 偉人伝と言うからにはその人が「どうやって偉大になって」「どのように偉大に生きたか」を見せるんだろうから、きっと幼少時代から晩年、もしかすると臨終までを描くのかも。
 そういうやり方だと、偉人の生涯を余すところなく描きたいという作り手側の目的は達せられるのだとしても、観ている側としては印象が散漫になりがち。
 そういう心配をしていたのだけど、『奇跡の人』はサリヴァン先生がヘレンの家に来た日からの二週間弱をじっくり描いて、そこでスパッと終わっていた。
 ヘレンがその後大学に合格したとか日本にも来て講演したとか、塙保己一を尊敬していたとかそんな話は一切無し。潔かった。
   
 見終わって、そうか、これってヘレン・ケラーの伝記でもあるけど、それ以上にサリヴァン先生の物語だったんだなあ、と思った。

 一番心に残った台詞は、せっかくテーブルマナーを覚えかけていたヘレンを甘やかそうとする父親からヘレンを奪い返してサリヴァン先生が叫ぶ台詞。
「見える子供と同じに扱います。見てもらいたいから(I treat her like a seeing child because I ask her to see, I expect her to see.)」

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