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父への手紙(散文)

 父が亡くなった。11月22日の事だ。その日の事を書こうとしてもう一週間くらいになる。毎日早朝にパソコンを開いて文章を書き始めるが、途中でなぜか泣いてしまって、気づいたら朝食の支度をする時間になっている。何故泣いてしまうのか、本気で分からない。私は父が亡くなったことを悲しんではいない。83歳だ。たくさん病気をして、入退院を繰り返して、ここ数年は、帰省するたびに弱って痩せて、食事もとれず、歩くことも難しくて、見ているのが辛くて、もう、いい加減、いいんじゃないかと思っていた。だから、父が亡くなった知らせを聴いて、少しだけほっとした。
 私はとても冷たい娘なんだと思う。実の父が亡くなったというのに、葬儀の次の日に普通に出勤して、バリバリと働いて、職場の人に驚かれた。「もう出てきたの?一週間くらい休んでよかったんだよ」と上司に言われたけど、休んでいてもやることなんてないんだし、働いていた方が気がまぎれると思っていた。声をかけてくださる方がいても、「大丈夫です、大丈夫です」と言って、なるべく話しかけられないように、走り回って働いて、ようやく、一週間が終わった。
 一日が終わって、駅まで歩く道にトンネルがある。帰るときはいつもそこで足が動かなくなった。身体だろうか、気持ちだろうか、分からないけど恐ろしいほど疲れて、泣き崩れそうになって、実際、その辺に座り込んで泣いていたこともあった。電車に間に合わなくなるから、1分も泣いてられないんだけどさ。

 父の葬儀の事を思い出すと、自分の実家にまつわる感情がセットになってしまうから、本当に嫌になる。何度思い出しても、普通のお別れではなかった。でも普通のお別れって何だろうとか、大多数と違っていても、その人たちなりのお別れがあるならそれでいいとも思っている。でもなあ、私、子どもらにあの葬儀はちょっと見せたくなかったかもなあ。いや、うちの子たちなら笑って受け止めてくれるのかな。もうわかんないや。
 もし許されるなら、あの日の吉本新喜劇のような一部始終をかいてみたい。笑える、ばかばかしい茶番劇のような一幕だけど、それを受け入れないと、父の死を肯定的に大切に思えなくなるから、あの出来事をそういうもんなんだと思わなくてはいけない。でも、疑問が多すぎて、突っ込みどころが多すぎて、何なんだよ、ふざけんなよって思いが強くて、死者の尊厳は何を持って守られるのだろうかとか、生きるって何だろうとか、父の人生にどんな意味があったのかなとか、私が死ぬときは、もういっそ何もしないでいただきたいとか、ああ、もう、めんどくさい思考の渦にぐるぐる巻きにされていて、考えるのをやめたいし、自分もいなくなれたらいいのにと思ってしまう。
 毎朝、文章を書こうとして、泣いてしまうのに、同時に実家に怒りとか憤りとか、はあ、ふざけんなよ、くそが・・といった感情を覚えてしまうので、ものすごく疲れてしまう。そんな自分が本当に嫌だ。

 先ほど父から最後に届いたはがきを見つけて、ものすごくよれよれの文字で、何を書いているのか分からない文章で、それでも、「安全で、楽しいですか」「コロナの病気二かからないように気持ちを強く生活してください」と書いてあるのを解読して、父はやさしい人だったなあと思った。小さい時は怖くて側に寄れなかったけど。

 生きているときに書いた文字、
 死んでしまった父。

 なんで、父、しんだのかな 
  と幼児のような気持ちで反芻する言葉。

 死んだものは仕方ないし、仕事を休んで泣いていたって、何が還ってくるものではないし、父が死んだからって私が憎んでいるもの、受け入れられないもの、全力で拒否したいものは変わらない。父、ごめん。私は絶対にあなたの息子を許さないから、死ぬまで私は許さないからね。

 父の事、好きだったのかも分からない。距離がありすぎて、なんの感情も持てない。父が死んだからって、実家には戻りたくはないし、極力関わりたくないと思っている。でも、そんな感情は出しても仕方ないのだから、大嘘をついて、これからも最低限の人間関係を守っていく。ただし、もし、私の家族に少しでも害を及ぼすことを仕掛けてきたら、いつでも私は縁を切る覚悟がある。10代のころからもうずっと心を許さないようにして自分を守って生きてきたんだから。あの場所から離れるために、必死で頑張ってきたことを私は正しかったと今も思っている。

 死んだら地獄に落ちるんだろうな、私は。嘘つき罪と親不孝罪。
 私以外の善良な人はみんな天国に行って。実家の人たちも善良な市民だから、きっとみんないい所に行けると思うよ。

 父はとても安らかな顔で、ほっと安心しているように見えた。
 よかったね、楽になれて。今まで、83年、お疲れさま。
 父が生きたいと望んで、病気と闘って生きている姿があったから、私も生きてこられたよ。感謝してる。ありがとう。
 兄と仲良くできなくて、弟を助けてあげられなくて、冷たい娘でごめんね。あまり帰れなくて、孫たちの顔を見せられなくてごめんね。
 勝手に家を出て、好き勝手に生きて、本当にごめん。


 生きているうちに話せばよかったと思う事は、きっと生きていたら話せなかったことだから、私はみじんも後悔なんてしない。すべて、あるべくしてそうなったことで、あの時ああしていればとか、こうしていればとか、考えても仕方ない事は、考えない。悲しいとか、寂しいとか、今更言っても仕方ない事だから、私はなにも感じていない。なのに何故涙が出るのかね?

 週が明ければまた普通に仕事に行くし、家族のご飯を作るために家に帰るだけの毎日だし。生きていくだけで精いっぱいだから、父のことだって、忘れてしまうかもしれないし。
 ねえ、父、本当にごめんね。やさしい娘になれなくてごめんね。
 こんな娘の事は忘れて、天国で、どうか、幸せに生きてね。

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火葬場から見上げた空 見事なひつじぐも

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