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楽曲Flareから受けとったもの

2021年2月11日 BUMP OF CHICKENから 新しい音楽が届いた。

BUMP OF CHICKENは4人組のバンドだが、現在3人で活動している。
Flareの映像も当然3人での演奏だった。私も含めて多くのリスナーはBUMP OF CHICKENが4人でつないできた物語を、楽曲とともにとても愛していると思う。最近の雑誌の記事や、Twitter・インスタグラムなどで公式さんがアップされるお写真から、3人で活動を始めている事は知っていたが、動画として3人で演奏する姿を観ると、どうしたって感情が揺さぶられた。

個人的な話になるが、私は昨年11月に父を亡くした。遠方への移動も病院での面会もままならない中、なんとか都合をつけ駆け付けた葬儀で久しぶりに見た父は、もうとっくにそこにはいない抜け殻であった。最後に父に会ってから実に一年以上が経過していた。

父といえば、私が初めて書いた音楽文はBUMP OF CHICKENの「花の名」の「生きる力を借りたから 生きている内に返さなきゃ」という歌詞にのせて、父からもらった‟生きる力”について書いた文だった。
その日から2年が経過して、父が亡くなった時、私に残った感情は、大きな後悔だった。
私は 父が 「生きている内に」 何も返すことができなかった。

その事だけではなかったと思う。コロナ渦の緊張と不安、目に見えないものへの恐怖、ぎすぎすした感情のやり取り、見たくないもの、聞きたくない言葉を、よりたくさん受け止めすぎてしまって、恐らくとても心がくたびれてしまったのだろう。
気づいたら、大好きだったBUMP OF CHICKENの音楽を聴くことができなくなってしまっていた。

信じられない事だが、本当に全く聴けなくなった。うっかりシャッフルでかかってしまったら、スキップしてしまうくらいに。今思うと、辛い記憶とBUMP OF CHICKENの音楽が重なってしまうのが怖かったのかもしれない。
聴けない時間が長くなるにつれ、自分を支えてくれた音楽と自分がどんどん離れていく。もしかして、〝BUMP OF CHICKENが私の中から消えていくのかもしれない“と思うともっと怖くなったけど、それでも曲を聴くことはできなかった。

好きという感情も、離れたいという感情も、全て本心から来るもので、だからこそ苦しくて、こんなにも辛い。ならもう離れたほうがいいのではないかと本気で考えた。
だから、25周年の記念日が終わったら、少し休もうと思っていた。あまりにも好きになりすぎて、生活の全部がBUMP OF CHICKENになっている自分にも疲れているのかもしれないから、もう無理して頑張って、好きでい続けようとせず、リスナーとしての自分を少し休ませようと考えていた。

そんな2021年2月11日、0時を過ぎた瞬間、BUMP OF CHICKENから新曲が届いた。

ギターの音、フィンガースナップ、そして藤くんのやさしく抑えた歌声が耳に響く。

「もう一度起き上がるには やっぱり 
どうしたって 少しは 無理しなきゃいけないな」

さまざまな感情が混ぜ混ぜになって襲ってくる。これは誰の歌なんだろう。
いつもそう、藤原基央さんが作る歌は、ものすごく懐が広くて深くて、聴くたびに表情を変え、その時々の自分にぴったりな内容を歌っていると思わせてくれる。魔法みたいな音楽だと、かねがね思っていたが、「Flare」はさらに強い魔法がかけられているようだった。

まるっと2か月、BUMP OF CHICKENの楽曲をほぼ聴けずにいたから、自分の中のBUMP OF CHICKENは空っぽで何も残っていない状態だった。まっさらな砂地に水がしみ込むように、曲がどんどん流れ込んできた。

とにかく自分の中にこの曲を満タンになってあふれるまで入れたくて、聴ける時間の全てを使ってFlareを聴き続けていると、くらしのあらゆる場面に音楽が重なって、聴きながら、どんどん自分の中に情景が浮かんでくる。

「昨夜(ゆうべ) 全然眠れないまま 耐えた事」

生きていることが怖くて、眠れなくて、逃げ出したくて、夜通し歩いて、
でも逃げることができなくて、
朝が来る前に、家族が起きる前に、家に帰った。
夜明けの低い太陽の光とともに、「全部塗り潰す朝」が来る。
どんなに苦しい夜も、塗りつぶされ、なかったことにされ、日常に引き戻されていく。

「何が許せないの 何を許されたいの」
生きていれば、だれでも、間違ったり、大きな失敗をすることはある。
そんなこと、あたりまえなのに、ことさらに傷つけあって、大切な人を失いかけた世界。何もできなかった自分が許せない。なのに、どこかで許されたいと思っている。
「何回も お祈りしたよ 願い事」
祈りながら、願いながら、儀式のようにお守りのネックレスを身につける。
叶わないかもしれないと思いながらも、あきらめきれない願い。

どの言葉からも、自分があふれて止まらなくなる。
本当に魔法のような楽曲だ。
2ヶ月も聴けなかったのが噓のように、どんどん音が声が言葉が、私の中に入り込んで、私の中をBUMP OF CHICKENでいっぱいにする。

2019年のライブツアーauroraarkで藤原さんが何度も言っていたことを思い出す。
「いつかの未来に、音楽が聴けなくなるくらい辛いことがあるかもしれないけど、俺たちの音楽は君に気づいてもらえるまで、ずっと一緒にいます。ずっと側にいます。」
あんなに何度も言われていたのに、いっぱい約束をもらったのに、
また自分勝手に忘れて、一人で苦しんで閉じてしまった。
申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

「どこにいたんだよ ここにいるんだよ ちゃんと ずっと」
この言葉はわたし、許せない感情を抱えて、闇を逃げ回っていたわたしを呼ぶ声。
「どこにいるんだよ ここにいたんだよ ちゃんと ずっと」
BUMP OF CHICKENの音楽は、わたしの心が壊れていた間も
ずっとここに、わたしの傍らに、ひょっとしたら心の中の気づかない場所に、いたんだ。ちゃんと ずっと。

仕事帰りに空を見上げると、切りたての爪みたいな細い月が見える。
Flareが届いてから、月を見上げるたびに、
これは“私のための月”だと思うようになった。

月の向こうに懐かしい笑顔が見える。
今ここにいないあの人もどこかで同じ月を見ているだろうか。
笑っているだろうか。
悲しいも苦しいも感じなくなるまで 心が壊れても、人は自動で笑えてしまう
それが一番悲しい

どうかその笑顔が、本当の笑顔に変わる日が、傷を抱えたすべての人に訪れますように。

「世界のどこかで 青に変わった信号」
「大丈夫 渡れるよ」

困難な状況がなくなったわけではない。自分の中にある後悔も傷もそのまま抱えて生きていくしかない。人生は「迷路みたい」だ。これからも何度も、迷ったり悩んだりを繰り返して、時に全部捨てたくなったりするかもしれない。
でも、大丈夫、いつか、どこかで、信号は青に変わる。
大丈夫、渡っていける。

今は3人のBUMP OF CHICKENが、「Flare」を演奏しながら、何度も目線を交わしているのを見ると少しだけ泣きそうになった。そこに4人いるように思えてならない。
でも、3人で届けるという選択に、私は希望しか見ていない。
曲を届けてくれたこと、音楽を続けてくれていることに心から感謝している。

守るという事、信じるということ
言葉でいうのは簡単だ

そして音楽を届けるということは
簡単にできることではない。

「自分にしかできない事ってなんだろう」

だから彼らの音楽を
自分なりに精一杯受けとめる。
そして、受けとめたことを、ちゃんと届いたという事実を、伝えたい。
これからも彼らの音楽と「並んで歩く」自分になりたい。
「いつか終わる」自分であっても「細く歌う」「燃え続ける」「小さな灯火」になりたい。
そう、ここにいさせてほしいのだ。「ちゃんと ずっと」

BUMP OF CHICKENの皆様
25周年の始まりの日に
届けてくれて ありがとう ずっとこれからも 大好きです

「  」の中は全て楽曲「Flare」より引用しました。

あとがき。BUMP OF CHICKEN から新曲Flareが届いて早1ヶ月が過ぎました。この文はその時に書いて某所に投稿したものです。採用はされなかったけど、自分にしては珍しく、書きたい届けたいと強く思って書いた文章だったので、少し校正を加えてここに置かせていただきます。慢心してはいけない。戒めとして。(ヘッダーの絵は自作)

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