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ある朝、橋の上で

 もう一度、最後に会いたかったと思う気持ちは、この先ずっと残ってしまうんだろうか。無理をしたら行けたのに、行かないと決めたのは自分だ。大丈夫、後悔はない。ただ会いたいと思うのは感情だから、それを止める事もできない。ただそれだけのこと。

 普通に職場に向かう道を歩いていたはずなのに、ふと目に入った光景が自分の記憶を呼び覚ましてしまい、膜がかかったように目の前の景色がぼやけた。小さな老婦人が足早に道路を横切っただけなのだ。ただそれだけの映像を脳が認識したと同時に、連想ゲームのように祖母の記憶が引きずり出され、体を動かすことが出来なくなった。

 小柄で背中が折れ曲がっていて、歩きにくそうなのにとても機敏な人だった。小さな目で笑っていた、白い顔が浮かぶ。お正月につくってくれた甘いお稲荷さん、卵焼きもすごく甘くてお菓子みたいだった。呼んでくれた声もまだ覚えている。最後にあってからもう半年近く経つのに、どうしてだろう、ちゃんと覚えているのが不思議だった。

 私を器用だとほめてくれた人は、祖母だけだった。さみしくて眠れなかった夜に、布団の中で昔話を聞かせてくれた。遊びに行くと、必ずヤクルトを飲ませてくれた。やかんで沸かしたお湯を洗面器に入れて、これで顔をあらいな、と言ってくれた冬の朝。一緒に行った銭湯までの道。お気に入りのお風呂セットも、商店街で祖母が買ってくれたやつで、リンゴの形だったこと。お風呂が好きで、1時間くらい入ってるから、いつも飽きて先に出て待っていたこと。いくらでも思い出せる。祖母の記憶。

 立ち止まった橋の上で、ああ、まだ全然だめだなあ、と自覚した。まだ私は、祖母にさようならを伝えていないのかもしれない。出棺の時間に空に向かってお別れをしたけれど、本当は、お顔を見て、さようならを言いたかったんだ。最後にもう一度、会いたかっただけなんだよ。

 大人としてやるべきことは分かっている。感情に流されて、橋の上で固まっている時間はない。悲しい光を封じ込めて、カラ元気で前に進む。日常を一生懸命に生きていれば、悔しかったことや悲しかったことを考えなくてもいい。そうやってごまかして笑っていくけど、きっとまだ、こうして考えるだけで目が腫れるくらい泣いてしまう。

 そうやって、繰り返しているうちに、ちゃんと忘れることが出来るという事を私は知っている。だから、今はもう少し、思い出せる限り、もっと、おばあちゃんのことを話そうと思う。

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