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見ると描く スキ の共存について

 絵を描くことと同じく、いや、それ以上に、見ることが好き。言葉にならない思いがダイレクトに目に飛び込んでくるし、じっくりと見てると細部の色の変化や表情、マチエール(デジタルでも画面の表情みたいなものを感じるからこの言葉でいいのかな)から、作者のことばを自分なりに受け止めることが出来て、とても楽しい。もともと人と話したりすることが苦手だったので、絵を通して行われる非言語コミュニケーションが心地よいのだ。

 素敵な作品に出合うとうれしくて、みんなにも見てほしくて、Twitterに居る時ならすぐにリツイートをしてしまう。なので最近は、ちょっとうるさい絵の紹介屋さんみたいになっている。(ご迷惑でないといいのだけど)

 こんなに絵を見ることが好きな自分が、絵をかくことも好きという悲しい矛盾がある。自分で「この絵素敵でしょ?見てみて!!」と言いながら、ふと自分の描いた絵と比べてしまう。そして、なんで私の絵はこんな風に描けないんだろうと、ものすごく落ち込むのだ。

 自分にはない、独特のセンスに出会った時、ブラボゥー!って思うと同時に、自分のセンスのなさにがっくりするし、自分が描きたかったテーマを余すことなく表現されている絵を見つけた時は、自分の存在意義すら怪しくなり、絵を描くのをやめたくなる時もある。何度もある。

 そんな感情が言葉にじわっと出てしまう事があって、相手に賛辞を述べているはずなのに少しばかりのトゲが混ざってしまう事もあり、不快にさせてしまったりした事もあった。修行が足りないと本当に思う。

 わかっている、甘えてるだけなのだ。

 悔しかったら、嫉妬するくらいなら、ひたすら描いて、研究して、また描いて、自分の思いを形にできるまで絵を描き続けるしかない。そして、怖くても、勇気と覚悟を持って、発表し続けるしかないのだよ。それができないなら、絵を描くことはもうやめた方がいいと、何度も自分に言っている。

 だめだよ、と いいよ、とを往復する信号機 そんな風に揺れるのは甘えがあるから、覚悟が足りないから。そして、絵を描くことも、見ることと同じくらい、大好きだから。 

 先日大好きなバンドの結成記念日があった。リアルに過密スケジュールだったけど、お祝いしたい一心で絵を描く時間を絞り出して、最大限の心と技術で精いっぱいの絵を描いた。楽しかったし、今見ても満足する作品ができたと思っている。自分の中では、最高の一枚だ。でも、この絵を送り出した場所ではもっと多くの素晴らしい作品が発表されていて、いろんな意味で多分、私の絵はまだまだ足りない作品だったんだな、と、まあ、ふつうに落ち込んだ(笑)。

 比べるものではないのは分かっている。私の絵でもいいねと言ってくれる人もいる。なにより私が自分の絵を否定してしまったら、作品の命はどうなるのだろう?心を砕いて選んだ線や色や塗り方も人物の表情も、今の精一杯の表現なのだから、いいのだ、これで。うん。

 そして、やっぱり絵を見るのが大好きだから、素敵な作品をたくさん見れた記念日は楽しくて幸せで、大満足な一日だった。

 絵を見る事と、絵を描くこと、二つの スキ が私の中でなかよく共存できるように、自分に自信が持てるくらいの絵がかけるまで、もう少し足掻いてみようと思っている。


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