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小説「遊のガサガサ冒険記」その20

 その20、
 大海原を背景に、霊峰・富士山が優美で均整の取れた姿を見せている。山麓は樹海に覆われ、その樹海の一角が切り開かれ、参道のまっすぐ伸びた先に社殿の数々が厳かに立ち並ぶ。
 磨墨は翼を広げたまま大きく旋回し、一之鳥居の前に降り立った。参道の両脇はスギとヒノキの巨樹に石灯籠が立ち並び、遠方に朱色の大鳥居、随神門が垣間見える。緑濃い樹間に白い靄がかかり、神々しい雰囲気を醸し出している。ようやく北口本宮冨士浅間神社に辿り着いた。
 遊は磨墨の背から降り、頭を垂れた。自制の神に謁見するための新たな旅が始まる。彼は予想される厳しく険しい前途に身震いした。
 前日、自制神社で壮行の儀が開かれた。
「今回のEW調査隊の働きは見事であった。ニホンオオカミ、キタタキ、ミナミトミヨのまさに最後の訴えは、必ずや自制の神の御心を動かすであろう」
 大神使、阿玖羅命は遊ら調査員を労い、さらに続けた。
「だが、御神への道程は容易ではないであろう。欲望の悪魔の大王マモンが妨害工作を企てている情報は既に入っている。多難を乗り越え、与えられた使命を是が非でも成し遂げてもらいたい。ついては、調査隊長の遊に悪魔を打ち払う三種の武器を授けよう」
 阿玖羅命は祭壇に用意してあった刀、槍、弓矢を遊に手渡した。すべて黄金色に光輝いている。
 遊は刀を捧げ持ち、
「仲間の力を信じて、使命を全う致します」
 と、厳粛に誓っていた。
 真夏の早朝、人影はなく、静寂に包まれている。磨墨の手綱を引き、遊は参道をゆっくり進む。
 ーー息を潜めて暮らすから、そっとしてくれないか
 ーーもうこれ以上、森を伐らないで
 ーーせめて、子の子たちだけでも巣立ちさせて
 ニホンオオカミのケン、キタタキの与作と佐那、ミナミトミヨの太助とトメ、彼らの悲痛な訴えが蘇る。彼らの死を無駄にせず、同じ過ちを繰り返さないためにも、山頂踏破、天空に行き着かなければならない。
 拝殿に着いた。両脇にはご神木の冨士太郎スギと夫婦ヒノキが天を衝くように聳え立っている。
「無事、富士山頂に辿り着き、天空の自制の神にお会いし、使命を成し遂げられますようお願い申し上げます」
 遊は二礼二拍手一拝した。
 境内裏手に回り、山頂への起点となる登山門をくぐり、磨墨に騎乗した。
「さて、いよいよ出かけるよ」
 遊はウエストバックを開け、亀吉を起した。亀吉は眠そうに両目を瞬いた。
「そうか、いよいよか。それじゃ、道案内をせんとな。この先に泉水があるそうじゃ。出発早々済まないが、そこで一度止まってくれんか。水が恋しくてのう」
「分かったよ、道中長いからね。さてと、みんなは」
 山道沿いの茂みの奥で疾風が待ちかねたように体を起こし、遊が上空を仰ぐと、雷鷲が旋回している。
「磨墨、よし出発だ」
 遊は両足で磨墨の腹を蹴った。
「そう、険しい顔をするな。大将はもっと、どんと構えておらんと」
 亀吉がバッグから顔を覗かせ、叱咤する。
「そうか、そうだよね。分かった」
 遊は両手で2度、3度、顔を叩いた。
「磨墨、雷鷲、疾風、それにわしじゃ。仲間を信じたらいい。それにお前には阿玖羅命様から授かった三種の武器があるじゃろう。悪魔の手先などに負けるもんか。自信を持つんじゃ」
 この期に及んで怖気づくわけにはいかない。リーダーの采配が仲間の命運を左右する。亀吉の苦言に、遊は気持ちを引き締めた。
 左手に小高い墳丘が見える。案内板に大塚丘おおつかやまと記され、神代の時代、日本武尊が東征の折、訪れたとされる。
(征伐するのは、人の心に潜む欲望だ)
 遊の胸中に、悪魔を迎え撃つ気構えが芽生え始めた。
「しばらく進むと泉水せんずいじゃ」
 亀吉の道案内に従って、遊歩道から林の中に進むと、朱塗りの鳥居が見えた。泉瑞水神社とある。源頼朝が巻狩りの際、鞭で岩を打つと、泉が湧き出たという。奇瑞として貴ばれ、富士講の人々が水垢離する聖地とされたという。
「亀吉、残念だけど見ての通りだ」
 既に池は枯れている。
「仕方ないのう。いや、待て。なんじゃ、あれは」
 池の跡の一部が地割れ、水が噴き出している。足元が揺れ、地響きがし始めた。空はにわかに掻き曇り、冷気を含んだ風が強くなる。
 林から飛び出した疾風が危険を予知し、唸り声を上げている。
「おかしい。悪魔の仕業に違いない。気をつけろ」
 亀吉が叫んだ。
「磨墨、いつでも飛び立てるよう準備してくれ」
「了解」
 遊は手綱をしっかり握った。
 地響きとともに地割れの部分が大きく陥没し、竜の巨体が姿を現した。ワニに似た獰猛な頭にシカのような角、2本の髭が長く伸び、大きく避けた口から何本もの鋭い牙を覗かせ、両手両足に鋭い鈎爪がある、ヘビのような胴体は体長10㍍前後、太さは疾風程はあるだろうか。
 竜は黒雲が漂う中を一直線に上空に上っていく。雷鳴が轟き、稲光を受けて竜の鱗が黒雲を透かして鈍く光っている。
 竜は遊の真上まで上り詰め、その血走った両目で見下ろしている。頭部は静止したまま、ヘビのような胴体だけ休むことなくゆっくりくねらせている。態勢を整え、攻撃の一瞬を狙い定めているようだ。
「磨墨、疾風、聞いてくれ。竜は攻撃のチャンスを窺っている。あいつに攻め込ませよう。疾風、僕が囮になる。やつが飛び掛かる一瞬を見逃さず、攻撃してくれ。急所は目だ、目を狙ってくれ」
 疾風は遊の左斜め前方に位置を変え、その時を待つ。背中の毛は逆立ち、低く唸り声を上げている。
「磨墨、できるだけ引き付けてかわすんだ」
 磨墨は待ちきれなさそうに、前足で地面を引っ搔く。
 轟音が鳴り響き、オレンジ色の稲光が黒雲の中を不規則に動き回り、同時に幾筋もの光が地面に向けて走る。竜が動いた。隙を窺うように上空で一周すると、前方から遊に向かって来る。竜が牙をむき、両手の鈎爪を立てた。
「磨墨、右に飛べ」
 磨墨が地を蹴り、左から疾走してきた疾風が飛び掛かり、竜の右目に噛みついた。竜は地面すれすれから上空に上りはじめ、疾風を振り落とした。
「今だ、雷鷲、ヤツの周りを飛び回れ」
 雷鷲は急上昇、急降下を繰り返し、竜にまとわりつく。竜は必死に鈎爪の両手で雷鷲に襲い掛かる。その度、雷鷲はさらりとかわし、うるさい蠅のようにつきまとう。
 遊は弓を構え、黄金の矢をつがえた。慎重に竜の左目を狙う。雷鷲の執拗な攻撃に、竜の動きが緩慢になってきた。
「竜、今度は僕が勝負だ」
 遊の叫び声に、竜は一瞬、動きを止めた。
 遊は矢を放った。黄金に輝く矢が緩い放射線を描き、左目に突き刺さった。
「ウオオ、ウオー」
 竜のうめき声が響き渡り、崩れるように地面に倒れ込んだ。竜は地面でのたうち回り、やがて静かになった。
「やったな、遊、見事じゃ」
 亀吉がウエストバックから顔を出し、労った。
「磨墨、疾風、雷鷲、みんなのおかげさ。ありがとう」
 疾風は森に消え、雷鷲も一度、上空で弧を描き、山頂に向け飛んで行った。
 黒雲は消え去り、真夏の日差しが降り注いでいる。
                       その21、に続く。
その21:小説「遊のガサガサ冒険記」その21|磨知 亨/Machi Akira (note.com)

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