小説「遊のガサガサ冒険記」その15
その15、
休み明けの月曜日朝、集合場所にやって来た遊を見て、華は驚いた。顔も半袖から伸びた両腕も日焼けし、視線も前を向き、足取りもしっかりしている。
「週末、例の調査は順調なんでしょう?」
「どうして、分かるの」
「だって、顔に書いてあるから」
「そうかな。確かに大変だけど、いい経験してるんだ。ニホンオオカミに会えたし、話も聞けたんだ」
「本当、すごいねえ。その話、聞かせて」
遊は100年以上前の世界にタイムスリップし、奈良県内で最後のニホンオオカミと出会い、取材した様子を事細かく話した。
「でも切ないね。仲間が少なくなっているのを感じていても、まさか自分が最後の一匹で、夢にも絶滅間近なんて考えていないんだろうから」
渡良瀬川で出会った謎の老人の例え話のように、まだ大丈夫、まだ大丈夫と柱を引き抜き続け、最後の1本で家は突然、倒壊する。人間の傍若無人な振る舞いで、ケンは種の喪失の縁にいた。別れ際の悲しげな瞳を思い起こし、遊は目頭が熱くなった。
「私も図書館で調べてびっくりしちゃった。本当にたくさんの生き物が日本でも絶滅したり、今も絶滅しそうなんだね。ニホンオオカミの話に戻るけど、今でも目撃されているんですって」
「埼玉の秩父や九州でも二ホンオオカミらしい写真が撮られているんだ。でも生き残りかどうかははっきりしないんだ」
「山奥でもいいからひっそりと生き残っていたらいいね。今なら誰もいじめないし、佐渡のトキや兵庫のコウノトリのように、人間があらゆる手を尽くして復活させようと躍起になるのにね」
遊と華は談笑しながら学校へと急いだ。
和やかな雰囲気も教室に入って暗転、2人は黒板を見て驚いた。
黒板の真ん中に、白いチョークで相合傘、両脇に華、遊の名前が赤いチョークで書かれている。三々五々に仲良し同士で集まっていたクラスメートは雑談を止め、下を向いて笑いをこらえたりしている。
張本人の直也ら3人はにやにやしながら、2人から視線を逸らし、素知らぬ顔をしている。たとえ問い詰めたところで、「俺たちの仕業じゃねえ、知んねえよ」としらを切るに決まっている。直也に凄まれて、気の弱い誰がが書かされたに違いない。文也か正敏か。遊と華が共闘して以来、直也は腹いせに傍観者の中から新たなターゲットに手を出し始めている。
「遊、こんなの気にしないよね」
華が耳打ちした。
「もちろん、引いたら負けだからね」
「じゃ、ここは私に任せて」
華は教室後方からつかつかと歩き、黒板の前に立った。
「これって、華の字が間違ってんだけど。一番下の横棒が1本足りないのよね。誰が書いたんだか知らないけど、ちゃんと書き直してくれない。名前間違うなんて失礼じゃない」
予想もしない逆襲に、直也らクラス全員が動きを止め、放心状態のようになった。しんと静まり返り、華に魔法を掛けられたように押し黙って、彼女を見詰めている。
華はすまし顔で、手についたチョークの粉をはたくと、来たルートを戻り、一番後方の窓際の自席についた。華の着席を確認して、遊も中央、右から3列目、前から3番目の席に座った。
教室内がざわつき始めた。遊が見回すと、右後方の直也の席に俊夫と弘樹が集まり、いつものように密談をしている。「まずいなあ」、「早く消させろ」。直也のイラついた声が耳に入る。
朝の会が迫り、担任の臼井先生がまもなく教室にやって来る。
華の捨て身の作戦で、賽は投げられた。相合傘に収まった遊と華が犯人であるはずはない。落書きが残っていれば、2人以外が疑われるのは明らかだ。
臼井先生は30代半ばの独身女性で、国語を担当する。もちろん、担任するクラスのいじめに気付いていない。
黒板の落書きを目にしたら、即座に黒板消しで消し去るのか、驚きと困惑の表情を浮かべ、教え子の顔を順にみつめるのか。それとも両目を吊り上げ、「誰がこんなことをやったんですか」と声を荒げるのだろうか。いずれにしろ、いじめに気付く。
ーーどうするの、直也
華のしたたかな恫喝が聞こえるようで、遊は舌を巻いた。
でも、どうして華は強いんだろう。父は飲んだくれで、かかあ天下の家庭だと話していた。それとも、いじめと向き合った経験があるのかもしれない。
黒板の上の時計がもうすぐ8時半を指す。朝の会の開始まで残りわずかだ。
遊の右後ろから、男子児童が走り抜けた。
黒板に着くと、黒板消しを手に持ち、何度も相合傘を痕跡が残らないように消し去った。クラスでも目立たない洋一だった。勉強もスポーツもどちらかと言えば苦手で、物静かだった。ただ、絵は市内のコンクールで入賞するほどうまい。傍観者の1人だったが、直也に唆され、やらされたに違いない。
洋一は泣きべそを隠すように顔を伏せながら、通路を走って戻った。
(卑劣だ。許せない)
遊は初めて、首謀者の直也に怒りを感じた。
いじめはひょんなことで始まる。遊の場合、外人の父・イリエスが授業参観に顔を出したことが発端で、「ガイジンは出てけ」と言われ、机にゴミを入れられ、上履きを隠され、落書きされた。直也を中心に俊夫、弘樹のいじめグループに先導され、当初、傍観者だったクラス全員がいじめの矛先が向くのを恐れ、いつの間に傍観者から加害者に変わる。人間は弱く、孤独になるのを恐れ、他に同調したくなるのは分かる。でも、自ら手を汚さない、その直也のやり口は我慢ならない。
遊は華に顔を向けた。華の表情はあきれ返っているように見えた。
ーー馬鹿みたい。奴ら、どうしょもないね
きっと、そう思っているのに違いない。
その16、に続く。
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