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小説「ある定年」⑥

 その6、
 山姥切国広展が終わり、鑁阿寺に通じる大門通は人影もまばらで、普段の落ち着いた様子に戻っている。大門通周辺には史跡足利学校、個性的なカフェや雑貨店などが集まり、会期中は多くの女性の姿であふれていた。
 同展は会期45日間で入館者約2万5000人を数え、経済効果は4億8000万円に上った。前回、5年前の3万8000人には及ばないが、コロナ禍での入場制限を勘案すれば、成功裏に終えたといえる。
 大門通の中程に雄文堂書店はある。店先には文庫本などの古書がワゴンに積まれ、軒先にはケヤキの一枚板に篆刻で仕上げた店名の扁額が存在感を示すように重々しくかかっている。
 江上は古びた引き戸を開け、奥のレジに向かった。壁面は天井まで古書が詰まり、狭い通路にも色褪せた雑誌や図鑑類が平積みで、中央の仕切りの本棚に文芸関係の新刊、雑誌類が収まっている。
「よう、しばらくじゃねえか。仕事の方は一段落ついたのか」
 店主・金崎は丸顔に埋もれたような細い目の目尻を下げた。後期高齢者となり、鉢の開いた頭には帯状に白髪が残っているだけだ。
「ええ、やっと山姥切展のまとめ記事も終わったし、一息つけそうです。どうでした、売れ行きは」
「本当、よく売れたな。前に出したのと今度のとを2冊一緒に買うケースがほとんどだったな」
「意外ですね、前に出した『国広、足利で打つ』も売れるなんて。っていうことは、5年経って、ファン層が入れ替わったってことですか」
「それは何とも言えないが、前回と比べて、年齢層が上がった気はする。10、20代中心から3、40代中心に移っていないか?5年前は山姥切になり切ったコスプレ姿の若い女の子を見かけたが。もちろん、今回もみんな女性だけどな」
 山姥展に再展示に当たり、江上は5年前の「国広、足利に打つ」の続編として「山姥切にもう一度」を自費出版し、金崎に販売を任せていた。前作は売れ残りの500冊、続編は2000冊刷ったが、ともに陳列棚に10数冊平積みされているだけだった。
「店番しながら、今度のも読んだよ」
「どうでした?」
「まあ、前作より、随分、小説らしくはなったがな」
 金崎は肘掛椅子に座り、江上を上目遣いに覗き込んだ。
「まだまだ、なっちゃいないってことですね。どこですか、気になったのは」
 金崎は家業の3代目として店主におさまっているが、大学時代は小説家を目指したことがある。7、8年前、店舗紹介の取材で知り合い、5年前、江上が前作の販売を依頼して交流が深まった。
「前作も今度の小説も目的はまちおこしだったな」
「ええ、国広と足利の関係を分かりやすく知ってもらうにはストーリー仕立てにした方のがいいと思って。それで小説にしたんです。地方創生小説って、勝手に呼んでいるんですけど」
「その狙いは悪くはないさ。でもさ、まちおこしの小説なら、全体のトーンが明るい方のがよかった気がする。山姥好きな女の子が鬱病で苦しんでいて、やっと再会できたと思ったら、実は既に死んでいたってことだろ。筋立てとしては、念願の再会を果たし、鬱病を克服する気力がみなぎり、再出発した、ってのが明るくて良くなかったか」
「ネットの反応でも重い、胸に刺さる、とかありましたね」
「主人公が戦国時代にタイムスリップして、山姥切の謎解きに挑戦するのは単純で良かったんじゃないのか。史実はそれなりに踏まえているんだろうし、前作からの続き物として形にはなっている。時代考証も表現力もまだまだ勉強不足だけどな」
「分かってます。次作は今回より少しでもいいものを出版します」
「次もって、国広シリーズでか」
「足利での再々展示がいつなのかは分かりませんが、国広が足利のまちおこしにつながる以上、続々編に挑戦しますよ」
「その点は恩に着るし、今後も期待するよ。前作を含めれば数千部は出ているだろう。地元の自費出版物で1000部超えするのは珍しい。せいぜい100部、200部程度だからな。お陰で地元の印刷屋に仕事が舞い込み、こんなちっぽけな本屋にも販売手数料がそれなりに落ちるんだから」
「そういってもらえると、三文小説でも役に立つでしょう」
「そんなに卑下することもないが、土産品には最適かもしんねえな」
「土産品ですか?」
 褒められているのか貶されているのか、江上は苦笑した。
 彼が小説に取り組み始めたのは、7年前、佐野乾山が新聞の一面トップになったのが契機だった。真贋論争で封印された美術界のタブーに風穴を開けようと取材を重ね、長く秘蔵されていた作品を公にした自負があった。新聞記事とは別に、その追跡の記録を自分の生き方と絡めて物語として書き残す衝動に駆られた。
 事実を取材し、それを書き連ねる新聞記事と違い、想像力を酷使し物語を作り上げるに苦労した。毎晩、休日も返上で、キーボードを叩き、原稿用紙約400枚に仕上げた。公募に出品したが、無論、あえなく落選した。知り合いを通じて、プロの小説家に読んでもらった。その寸評が頭にこびりついている。
 ーー物書きは一言一句さえ、命を削っているんだよ。それが分かっているのかな
 以来、座右の銘として、江上は小説に取り組んでいる。まちおこしを原点に。国広関連の2作品をはじめ創作活動に励んでいる。
 命を削った、と胸を張る自信はないが、4年前、公募の第一次予選を通過したことがある。足利出身とされる江戸時代の絵師・狩野興以をテーマにした小説で、幕府御用絵師で狩野派中興の祖とされる狩野探幽の育ての親としての知られざる興以の生き方を描いた。
 国内でも難関とされる歴史小説の公募だっただけに、江上の創作意欲はますます盛んになっている。
「月間文学は今日入荷でしたよね」
「そうだ、さっき問屋から届いたところだ」
 金崎は奥に姿を消し、まもなく月刊誌を手に戻って来た。
「新人賞の発表が載っているんだな」
 江上はその雑誌を手に取った。
 3カ月前、新作を応募していた。題名は渡良瀬の畔で。昭和30年代を舞台とした芸者と若者の恋愛小説だった。織物産業で全国的にも栄えた足利は旦那衆の社交場として花街が発達、毎夜、酒宴が繰り広げられた。最盛期には見番、置屋、料亭、待合が犇めき、芸者だけでも百人以上いたという。歴史に埋もれた花街を通して華やかだった頃の足利を浮き彫りにし、その後、衰退にあえぐ地方都市の奮起材料になればと執筆した。
 江上は目次で掲載ページを確認、目次の中程に小さな囲みで新人賞中間発表とあった。当該ページを開けると、3段組で作品名と筆名が列挙されている。目を皿にして探したが、見つからない。再度、確認したが掲載されていなかった。
「また次があるさ」
 店主の金崎が肩を叩いた。
                        その7、に続く。


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