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小説「歌麿、雪月花に誓う」④

 第4話、
「いつまでこんな格好してりゃいいんだい。いい加減にしてくんねえか」
 前屈みになっていた女の下半身の着物をはねのけ、若い男が額に汗を浮かべ、歌麿に食って掛かろうとした。
「ちゃんと謝礼は払うと言ってるだろうよ。黙って、言った通りの格好ができねえのかい」
「もう、嫌なこった。女郎を抱けるから話に乗ったが、いつまでやらされたんじゃ、興ざめしちまう。金は要らねえ。悪いけど、俺は先に帰るぜ」
 男は褌を締め、着物を羽織ると、そそくさと座敷を出て行った。
「まったく、しょうがねえ野郎め」
 歌麿は舌打ちした。
 吉原の妓楼・相模屋の一室、歌麿は画帳片手に、男女の睦み合いを克明に描いていた。女は着衣のままで、男が絽の着物に忍び込み、後背位から女を責め立てる構図を念頭に置いていた。
 1カ月前、願ってもない入銀物の依頼が蔦重にあり、
「依頼主の好意で、手間も時間も惜しむことはねえ。女絵で勝負してえのは分かっている。いい機会だ。枕絵で女絵の真骨頂を描いてみなさいな」
 と、歌麿は発破をかけられている。妓楼の花代は蔦重持ちで、相方の男も蔦重が手配していた。
「野分さんっていったなあ。姐さんにも無理言ってすまねえ」
「そんなことはありんせん。歌麿さんといいましたなあ、蔦重の旦那からよろしく頼むと、重々念を押されてありんすから」
 野分は乱れた着物を整え、鬢のほつれを直した。年の頃、17、8か。瓜実顔に切れ長の両目は黒目がちで、鼻筋は通り、おちょぼ口が愛らしい。
「姐さん、悪いが、もうちっと付き合ってくんねえか」
「えっ、まだ下絵を描くおつもりで。相方なしにわっちき独りで、一体、どんな格好をしろって」
「そうかい、やってもらえるのかい」
「蔦重さんの顔もありんすから。お付き合いしましょう」
 歌麿は画帳と焼筆を持ち直した。
「ありがとよ、恩に着るぜ。早速だ、腰巻1枚になって、仰向けに寝てくれ」
 女郎は驚き、訝しそうに歌麿を見返した。
「姐さん、俺は真剣なんだ。この枕絵に町絵師人生を賭けているんだ」
 歌麿の心意気に気圧され、女郎は着物を脱ぎ、布団に身を横たえた。
「いいか、今、姐さんは男に絡まれ、犯されようとしているんだ」
「わちきが男に無理やり、手籠めにされるんでありんすか」
 女郎は歌麿の意図を理解しかねるように首を傾げた。
「そうだ、身ぐるみをはがされ、逃げたくても逃げることができねえ。今、まさに男がお前さんに覆いかぶさって」
「そんなこと言われたって」
 女郎が困惑の表情を浮かべた。
「そうかい、それじゃ、俺が」
 歌麿は立ち上がり、着物、褌も脱ぎ捨てた。女郎が目を丸くしている隙に、彼は女郎の傍によると、いきなり女の両膝を持ち、両足を押し開こうとした。
「何するんで、わちきに。やめておくんなんし」
 女郎は頭を左右に振り、腰をくねらせ、両手で歌麿の首を絞めつけ、必死に抵抗する。
「うるせえ、静かにしろ」
 歌麿は女郎の腕を振りほどくと、女に覆いかぶさり、両手で腰を抑えた。
「嫌な男に、否、おめえは河童に凌辱されちまうんだ。逃げねえのかい」
 女は髪を振り乱し、眉を吊り上げ、唇をかみしめ、両手の爪を立てて歌麿の背中をかきむしる。恐怖に戦きながらも、憤怒の形相で睨みつける。
 歌麿は両手で女の腰を浮かすと、いきり立った男根を女の秘部に当てがった。女が動きを止め、瞳の奥に諦めの色を浮かべた。歌麿は役割を終えたように、体を離した。
「面倒をかけて、すまなかったな」
 歌麿の労りに、女は呆れたように口を半開きにした。
 歌麿は画帳を手に取ると、一心不乱に焼筆を走らせた。汗まみれの匂い、感触とともに、女の表情、体の動きを忘れないために。
 四半時が経った頃、歌麿は焼筆の手を止め、画帳の隅々に視線を注いだ。
「よし、いい出来だ」
「どんな具合ですか。わちきにもみせておくれなんし」
 女郎は差し出された画帳を覗き込んで、一瞬、息を飲んだ。
 女が2匹の河童に弄ばれている。1匹は女の首を右手で抑え込み、長い舌を女の口に忍ばせようとし、もう1匹は女の両膝を持ち上げ、その男根を没入させようとしている。女は眉を顰め、その瞳には諦めと憂いが浮かんでいる。
「よくもまあ、こんな絵に」
 女郎は、歌麿の発想と確かな筆致に感心した。
「姐さんのお陰だ。本当、ありがとよ」
 歌麿は風呂敷で画帳と絵筆を包み、帰り支度を始めた。
「あれ、お帰りになるんですか」
「ああ、いい絵が描けたんでなあ」
「わちきはこれで、もう本当によろしいんですか」
 歌麿は、女郎の勿体付けた言い草の思惑を理解した。
「野分さんだったな。俺は女郎を抱けねえんだ」
「わちきがお嫌いでありんすか。女郎は汚えとでも」
「そんなことはちっとも思っちゃいねえ。済まねえ、女郎を抱くわけにはいかねえ事情があるんだ」
                         第5話に続く。

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