見出し画像

小説「遊のガサガサ冒険記」その8

 その8、
 遊の投げた石は水面を3度跳ね、水流に飲み込まれた。
「うまいねえ、得意なんだ水切り。私もやってみよう」
 華は足元の石を拾うと、右手を思いっきり振って投げ入れた。石はボチャと鈍い音を立てて、そのまま水流に飲まれた。
「だめだ、うまく飛んで行かない。力がないからかな」
「そうじゃないよ、水面を滑らせるように腕を振って投げなくちゃ。それに丸っぽくて平たい石を選ばないと、遠くへは跳ねて飛んでいかないんだ。例えば……」
 遊は足元の河原の石を物色し、華に手渡した。
「中指に石を乗せて、人差し指と親指で挟み込むんだ。そして下手投げで水面をかすめるように投げてみて」
 遊の忠告通り、華が投げ込むと、小石は水面を1度、大きく跳ねた。
「うわっ、うまく跳ねた。そうか、なんか、コツをつかんだ気がする。後で、また教えて。それより、遊君、お話あるんでしょ」
 遊は黙って頷いた。
 遊は華を鹿島橋下の渡良瀬川に連れて来ている。あの不思議な体験を彼女に信じてもらうには現場が相応しいし、彼自身が隠し立てなく話せる気がした。
「やっぱり、いじめのこと」
「いや、違うんだ。もっと大変っていうか、僕一人じゃ、どうしようか分からなくって。それにとても信じられないような話なんだ」
「親にも言えないこと」
「うーん、いじめも気付いているみたいだし、これ以上、なんか心配かけたくないから。でも、独りで抱え込むには荷が重くて。とにかく誰かに聞いてもらおうと思って、それで華ちゃんに」
「何か、とっても深刻そう。責任重大って感じ。今の遊君にとって本命のいじめ以上に困っていることなんて、想像つかないな。遊君には悪いけど、興味津々、とっても面白そう。じゃあ、聞かせて、きちんと聞くから」
 華は快活で何事にも前向きだ。
「ありがと」
 遊は口を結んで、両頬を膨らませた。
「何よ、遊君、まだ迷っているの。話さなくちゃ始まらないよ」
「ごめん、そうじゃないんだ、どううまく話そうと思って考えていたんだ。ちょっと長くなるから、そこに座ろう」
 近くの大きな石に華を誘い、遊は少し小ぶりな石に向かい合って座った。
「本当、不思議な体験なんだけど、じゃあ、笑わないで聞いて」
 遊はそう前置きして、不思議な体験の顛末を順序だてて話した。
 華は当初、両目を丸くし、当初、「えっ」「まさか」「なんで」と感嘆詞を小さく発したが、話を聞くにつれ、納得するように頷きながら耳を傾けている。
 河川敷の葦原が川風にざわめき、それに負けまいとオオヨシキリが「ギョギョシ、ギョギョギョ」と濁った鳴き声をけたたましく響かせている。
「こんな夢みたいな話、信じられるかな」
 自分の胸の内に押し込めておけず、誰かに信じてもらいたいから打ち明けた。そんな遊の思いを汲み取り、華は両頬を緩めた。
「すごいじゃない、遊君。人類を代表する使者として、私たちの心をコントロールする自制の神様に会いに行って、悪い欲望をやっつける禁断のワクチンを授かるってことでしょう」
「本当、信じてくれるの。自制の神と欲望の悪魔の戦いって言われても、キツネにつままれたみたいでぴんと来ないんだ。SFやファンタジー映画じゃあるまいし、現実にあるのかなって」
「だって遊君、自分で行って見てきたんでしょう」
「うん、そうだよ」
「だったら、自分を信じなくちゃ。そうでしょ」
 華の言う通りだ。自分の目で耳でつぶさに見て聞いて、大神使・阿玖羅命のかぐわしい香り、磨墨の鬣の手触りを覚えている。
「それに私、思うの。人命は地球より重くて大切だって学校で教わるけど、現実にはウクライナで毎日、子供も含めて多くの人が戦争で殺されているでしょ。地球温暖化は全世界の課題って騒いでいながら、世界中の工場の煙突から煙は出るし、車はどんどん排気ガスを撒き散らしているじゃない。悪いと言ってて、一方で止められないわけでしょ。これって現実の世界で悪い欲望が勝って、自制が利かないってことじゃない。人の力でどうにもならないんだったら、私たちの力を超越した神の力があってもいいような気がする」
 筋道だった華の解釈に、遊は相槌を繰り返す。勉強しなくちゃと思ってもついつい漫画を読んでさぼっちゃうし、虫歯になるのは分かっていてプリンやチョコを食べてしまう。欲の力は果てしなく強い、と遊も思う。
「華ちゃんの言う通りで神の存在を信じるとしても、なんで僕がそんな大変な役割を背負わなくちゃないの。そうは思わない、華ちゃん、こんないじめられっ子で弱虫の僕が選ばれるなんて」
「遊君が弱虫なんて、私はちっとも思ってないよ。今日だって、ちゃんと直也らを睨みつけたじゃない。ほかのみんなは黙ってばかりで、奴らの言いなりなのに。それに遊君、もう絶対、いじめに負けないんでしょう、ねっ」
 華に押し込まれて、遊はまた両頬を膨らませた。
「それにさあ、世の中って信じられないような不思議なことがいろいろ起こっているじゃない。ちっとも復習しなかったのに山が当たって満点取ったり、1度もお年玉をくれなかったケチな親戚の叔母さんが帰り際にお小遣いを寄越したり、逆にワクチンも打ってマスクもしてたのに運悪く1人だけコロナにかかったり、きちんとみんなと一緒に横断歩道を手を挙げて渡っていたのに一番前を渡っていたから自転車とぶつかったりするように。例えはうまくないかもしれないけど、自分じゃどうにもならないことってあるでしょ」
「そう言われれば、そんな気もするけど。だけど、とんでもない大役だよ。僕にできるのかなあ」
「あのね、遊君」
 華が唇を引き締め、遊の瞳を見据えた。
「できるかなじゃなくて、やるか、やらないかじゃないの。だって大好きな日本の魚が姿を消して寂しいんでしょう、外来魚に追い立てられ、食い尽くされて。そういう気持ちがあるってことは使者になる資格はあると思うの。少なくても私はそんな魚の悲惨な状況は知らなかったし、熱意もなかったから。遊君はどうにかしたいんでしょ」
「そうだよ。でも……」
「でも?いじめと同じ、逃げちゃだめ、だと思うな。嫌で大変で悪いことって逃げても逃げても追っかけてくるでしょ、解決するまで。そんな気しない?」
 華の話は、頭でよく理解できる。外来魚だらけの渡良瀬川を、在来のフナやハヤやニホンイシガメの住める川に戻したい。そのためにタイムスリップして、人の自制心で欲望を抑え込んで、流れを変える。それと、直也らのいじめにちょぴり反発した自信も芽生えているのも確かだ。
(でも)
 同じ接続詞がまた浮かび、
(何で、よりによって僕が)
 と、遊は踏ん切りがつかない。
 水面に煌めく陽光に、遊は両目を細めた。

「おーい、これを見んか」
 突然、後方から男の人の声で呼び止められた。
 遊と華が振り返ると、麦わら帽子をかぶったお年寄りの男性が立っている。頬は痩せこけ、白く長い髭が顎を覆っている。藍染の作務衣に下駄が似合う。
 足元の大きな魚籠に視線を落とし、
「こんなものまで捨てるようになってしまってなあ。可哀そうに、こいつが悪いわけじゃないんだが」
 と、柔和な眼差しを2人に向けた。
 2人は近寄り、その魚籠を覗き込んだ。1匹のカメが大きな口を開け、威嚇している。口は嘴のように尖り、足の爪は鋭い。
「遊君、このカメ、見るからになんか強そうだし、怖い顔しているね。こんなカメが日本にいるの」
「日本のカメじゃないよ。これって、まさか、カミツキガメ?」
「そうじゃ、カミツキガメだ。3、4日前に見かけてな、罠を仕掛けて捕まえたんだ。これは獰猛じゃからな。君らのように川遊びにきた子供が知らずに触ったら大変、指なんか簡単にかみ切られちまう」
 カミツキガメは印旛沼(千葉県)で大繁殖し、農業被害など出している。遊は図鑑で見て知っていた。まさか渡良瀬川にまで侵入しているとは。カミツキガメは貪欲でなんでも食べる。ブルーギル、ブルーギル、ミシシッピアカミミガメに加えて、カミツキガメまで定着しては、在来種はますます絶滅の危機にさらされてしまう。
「そんなに恐ろしいカメが、なんでここにいるの」
「大きくなって飼い切れなくなって、誰かが捨てたんだよ。カミツキガメはアメリカ大陸に住んでいて、ペットとして持ち込まれたんだ」
 確か、図鑑には1960年代にどんどん輸入されたと記載されてあった。高度成長期、遊がタイムスリップしたあの時期だ。
「川はゴミ捨て場じゃないんだし、こんな危ないカメを捨てるなんて本当にモラルのない愛好者がいるんだね。川遊びもできなくなっちゃうし、お魚もますますいなくなっちゃうんでしょう」
「華ちゃんの言う通りなんだ。全国各地で困った状態になっていて」
 印旛沼だけでも数千匹といわれ、静岡県内の狩野川水系など全国で目撃例が増えている。在来の魚類を食い荒らし、人間への直接的な危害も懸念され、国の特定外来生物に指定。各地で捕獲作戦が展開されているが、駆逐に手を焼いている。
 ますます深刻な渡良瀬川の状況に、遊は無力感に襲われ、カミツキガメから目を逸らした。
「わしが子供の頃にはなあ」
 その老人は魚籠を持ち、2人に目配せした。2人は元居た場所に戻り、その老人も傍らの石の上に腰を落ち着けた。
「この渡良瀬川も水量が多くて、秋になると、そう紅葉が始まる頃から鮭が盛んに上ってきよった。それが戦後、上流にダムが相次いで整備され水量が減り、魚の姿はめっきり減っちまった。その上、雷魚にブラックバスにブルーギル、ミシシッピアカミミガメと得体の知らない魚やカメが増えおって。今度はカミツキガメまで姿を見せた。全く困ったもんじゃよ」
「魚が減ってしまうのに、何でダムをいくつも造ったの」
「いい質問じゃのう。渡良瀬川は昔、暴れ川でよく氾濫し、流域の人々を苦しめたんだ。そこで治水のために整備したわけじゃ。それに利水と言ってな、ダムに貯めた水を飲料水や田んぼや工場で使ったり、水力発電に利用しておる」
「分かる気がするけど、それってすべて人間のためでしょう」
「まあ、そうじゃな。人間がより豊かで贅沢な暮らしを追い求めるからじゃ。昨日より今日、今日より明日とな。それが文明と勘違いしてな」
「勘違い?贅沢過ぎるのはどうかと思うけど、便利で豊かになるって、悪いことなのかしら」
 華が首を傾げた。
「悪いとは言っておらん。洪水で人の命が失われるのは決していいことじゃない。だからダムがいらないとは思わない。だがな、少なくとも外来種の魚やカメは必要じゃないじゃろう、水族館で観賞するならまだしも。もっと面白い釣りがしたい、もっと変わったペットが飼いたいってことじゃろう。強欲で度が過ぎてるとは思わんか。節度がありゃせんじゃろう」
 老人は舌鋒鋭く、まくし立てた。
「つまり行き過ぎた欲望のツケで、渡良瀬川に生きるヨシノボリ、ギバチ、ニホンイシガメの住処が追われ、命をなくしているってことでしょう。私たち人間の仕業だと思うと、なんか、やりきれないね」
 華は唇を震わせ、遊に顔を向けた。
「どうにかしなくちゃいけないんだ。実際、密放流されたブラックバスなど外来種の影響で、在来種が消えた池もあるらしんだ。本当、渡良瀬川が外来種に乗っ取られたらと思うと、末恐ろしい。」
「恐ろしいと感じるのか、それは感心じゃのう。生物多様性って言葉があってな、つまり地球には昔から何千種ともいわれる生き物が住んでいて、お互い助け合って生きているってことじゃが。それが人間による開発、地球温暖化、それに外来種問題などで多くの生き物が絶滅しおってな。知っておるじゃろう、日本ではカワウソ、オオカミ、いろんな生き物が既に姿を消し、今も多くの生き物が危機に瀕しておる」
「確かに身の回りの生き物は絶滅したり、少なくなっているけど、逆に人間の人口がどんどん増えるのはどうして?」
「他の生き物を踏み台にしているからじゃ。森を切り払い畑にして野菜、果物、家畜を増産し、海では魚を取り尽くしておるじゃろう。地球環境を苛め抜いて、人類だけ繫栄しておる。だが、そんな無理がたたって、アフリカでは餓死する子供もおるし、食糧危機やエネルギー不足と騒ぐようになった。いくら科学技術が進歩しても、いつか行き詰まるような気がするんじゃが」
「もう限界が近いってこと?」
「近いかどうかは何とも言えんが、人間が増えるだけ地球に負荷がかかるのは間違いないじゃろう。200年前には10億人だった世界の人口は今では80億人に達し、80年後には100億人を超す見込みじゃ。そうだ、話を戻さんと」
 その老人は腰に結び付けていた古びた金属製の水筒のキャップを外し、喉を潤した。
「生き物が絶滅し生物多様性が崩れて、何が問題かってことだな。イギリスにこんな話があってな。害虫として蜂を駆除したら、蜂の餌だったガガンボが急増し、ガガンボの幼虫にクリケット場の芝生が食い荒らされて被害を受けたらしい。つまり、生き物はお互い関わりあって生きておるから、1つの生き物が絶滅すると予想もつかないような結果をもたらすってことじゃ」
 渡良瀬川にもともといた生き物が仮に外来種に駆逐されたら、巡り巡って人間にも思わぬ禍が降りかかることになる。言い知れぬ不安に、遊は胸が締め付けられる。
「つまり、人間の飽くなき欲が、いつかは自らに降りかかってくるじゃろう。倒壊するのが分かっていながら、柱を恐る恐る1本、また1本と抜いていって、まだ大丈夫、まだ倒れないと勝手に思い込んでおるんじゃ。ある時、突然、家はつぶれちまうのにな」
 その老人は竹籠を手に持ち、立ち去る際、遊と華に言い残した。
「老いも若きも関係ありゃせん。熱い心を持つ者が世の中を動かすんじゃ。とにかく動くことじゃ、動かにゃ何も始まらん」
                        その9、に続く。
その9:小説「遊のガサガサ冒険記」その9|磨知 亨/Machi Akira (note.com)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?