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小説「ある定年」㉕

 第25話、
 渡良瀬川の堤防をカラフルなウエア姿の若い女性がリズミカルな足取りで走り、老年の夫婦が言葉を交わしながら、時間を惜しむようにゆっくり歩調を合わせている。柴犬らしい子犬を連れた親子連れの姿も見える。
(俺はいつになったら……)
 病院の個室から、江上は胸に手を当て、ささやかで平凡な日常生活の大切さに思いを巡らせた。
 房州楼で意識を失った翌日、彼は主治医の春日部医院に駆け込んだ。春日部は肺の精密検査の必要がある、との見解で、その場で、西田総合病院の院長・西田への紹介状を手渡された。
 西田はCTスキャンの画像を見て、
「間質性肺炎の疑いがあります」
 と宣告し、江上は即、入院となった。妻の千香に連絡し、妻は勤務先から自宅に寄り、寝間着などの身の回り品をバッグに押し込んで駆け付けた。
 入院後は検査の連続で、肺組織の一部摘出手術、血液検査、MRIなどの精密検査などを受け、その結果、原因の特定できない特発性間質性肺炎と診断された。
 CT画像を見ると、肺の一部がハチの巣状になっている。肺にある肺胞の壁が炎症することで厚く硬くなり、酸素を取り込みにくくなる。国の指定難病で、完治は望めない。進行を抑え、症状を軽くすることしかないという。
「平均生存期間が3、4年との報告もあるようですが」
 江上がネットで調べた情報を口にすると、
「何とも言えません。個人差がありますので」
 と、西田は口を濁した。ただ、風邪などをきっかけに急激に症状が悪化する急性増悪には気を付けてほしいと念を押した。
 不治の病、指定難病、余命……。TVドラマや小説の世界で、他人事と思っていた。初めて死を自覚し、茫然自失となった。一刻一刻、肺が蝕まれ、死に近づいている。死は一瞬だが、死までの道程は暗く見通せない。
 朝一番、消毒薬の匂いで目覚め、無味乾燥とした白い病院の天井を見る度、生死の境界を分ける病院で、まだ此岸にいると胸を撫でおろす日々が続いている。
 10年前、江上は親しい友人の谷原を亡くした。彼とは小学校からの幼馴染で、温厚で面倒見がよかった。大学で建築設計を学び、足利で設計事務所を開業していた。自宅の屋根や壁の塗り替えなど、その都度、リフォームを手掛けてもらっていた。
 ある時、江上は物置の雨漏りを見てもらおうと電話連絡した。
「うん、そう。今、忙しいんだ。ちょっと行けないな」
 谷原は面倒くさそうにそそくさと電話を切った。再度、電話したが、同様に筒慳貪だった。彼に不義理をした覚えはなかった。
 江上は彼の急変ぶりに困惑、怒りさえ覚え、連絡を絶った。
 2か月後、リフォームの際、工事を手掛けた工務店から電話があった。
「聞いていますか、谷原さんがお亡くなりになったのを」
「死んだって、どうして。この間まで元気だったのに」
「進行の早いがんだったらしく」
「がん、谷原が」
 当時55歳。同級生の突然の死の報告に、江上は耳を疑った。
 話によると、数か月前の定期健診で胃がんが確認された。進行の早いスキルス胃がんらしく、放射線治療などの治療も功を奏さなかった。
 谷原は死におびえながらも一縷の望みを胸に、過酷な治療に耐えていたはずだ。彼の厳しい立場も知らずに、彼の言動を謗った自分が恥ずかしくなった。死に直面し、寛容になれる自信は江上にもなかった。
 葬儀の親族の最前列片隅で、年老いた彼の母親が両肩を落とし、ハンカチで瞼を抑えていた。その光景が記憶の底に残っていた。
 10年後、死の恐怖が江上に襲い掛かってきた。突然、呼吸困難に陥るのでないか。一度、寝ると、二度と、朝日を見ることはできないのではないか。
 生あるものはいつかは死ぬ。頭で理解しているが、信じたくはない。何かの間違いだ。まさか俺に限って。そんな淡い期待も相次ぐ検査結果が打ち砕き、一層、暗澹たる気持ちに陥った。
 谷原が死んでこの十年、燃焼し尽くしたのだろうか。自問自答を繰り返す。
 ちょうど10年前、歌麿調査を終了し第2の人生を閉じた。無職状態、雇用保険でしのぐ中、記者復帰の朗報が舞い込み、第3の人生をスタートさせた。
 埋没した地域資源の発掘をテーマに取材を重ね、美術界のタブーだった陶工・佐野乾山を再度、世に問い、空前の刀剣ブーム下、名刀・山姥切国広展の一連の報道では全国に発信し続け、小説にも仕立てた。
 そうどこか、心の片隅で自負していた自分がいた、死の予告を受けるまでは。
 世界を虜にする浮世絵師・葛飾北斎、尊氏を生んだ源姓足利氏、足利の近代化の祖といえる荻野萬太郎、洋画家・川島理一郎……。人口に膾炙したまちおこしの素材でさえ、調査が手つかずで、物語化の端緒にもついていない。
(やり残したことが多すぎる)
 寸暇を惜しんでいただろうか。在宅勤務で通勤時間の拘束はない。日々、1時間でも2時間でも費やす時間はあったはずだ。資料に目を通してもよかった。直接、足を向けられなくても、、電話取材で関係者に当たれば良かった。とかく、難問より易門、困難より安易に陥ってしまう。仕事が忙しい、疲れた、頭が痛いと屁理屈をつけ、安逸を貪っていたことは否めなかった。
 失われた時間の重さが命と同等であることを、江上は実感した。
「足利がお嫌いになったの」
 房州楼の女将、芳野への返答を確信した矢先でもあった。
 地域おこし隊員への挑戦、失敗が端緒だった。なぜ、県外に。彼女の素朴で痛烈な問いかけが、回り道を経て原点回帰を促した。地に足をつけ、足利にこだわろう、取材と執筆で。女将への返答だった。
 旅先で知り合った金屋の叱責もあった。建具職人・田辺の一家言にも触発され、元同僚の山口や市議の猪口らの励ましもあり、65歳定年後の方針を定めたばかりだった。
(頼むから効いてくれ、まだ生きたい)
 ステロイド治療が完治につながるわけではないが、病状の進行は遅らせるらしい。1滴、1滴、ステロイドが体内に入るのがもどかしく、煽って飲んでしまいたい衝動に駆られたりもする。
 ーーお父さん、何冊か本を送ったから、読んでみて
 それらの本は間質性肺炎の闘病を綴った体験記で、余命2か月と宣告された男性が治療とリハビリで10年以上、生き延びていることなどが記されていた。どう苦しみ、どんな治療を受け、どうやって回復したのか。今後、長く続くであろう闘病生活の道標になった。
 娘の奈々子は産休期間も過ぎ、子育てと仕事、それに家事に忙殺されているはずだ。寸暇を惜しんでネットで調べ、送り届けたに違いない。「頑張って」の励ましにも増して、娘の繊細な心遣いが江上の心を潤した。
 陽光が西に傾き、病室の奥まで長く差し込み始めた。もうすぐ日没になる。
 江上は身の上を重ね合わせ、深くため息をついた。
「江上さん、奥様からの届け物。ここに置いておきますね」
 看護婦が紙袋を置いていった。コロナ禍の影響で面会禁止だが、妻は毎日、着替え類などナースステーションに届けている。荷物の一番上に1通の封書が載っていた。
 一点一画もゆるがせにしない筆致の中にも、どこか女性らしい柔らかさ、繊細さがこもっている。江上は鼓動の高まるのを感じながらその封書を裏返した。
 差出人は、金屋美羽とあった。
                            最終第26話に続く。

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