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小説「遊のガサガサ冒険記」その22

 その22、
 真夏の青空に、最高峰の剣が峰が映えている。
(やっとここまで辿り着いたか)
 遊はタオルで額の汗を拭った。
 5合目付近で鵺を撃退し、泉ケ滝、7合目からは岩場の険しい坂道を一歩一歩踏みしめ、標高3000㍍を越え、途中、山小屋で小休止し、胸突八丁、吉田口山頂に上り詰め、ようやく剣が峰までもう一歩となった。
 途中、敵の襲来がなかったのが不気味だ。雷鷲、磨墨が見え隠れしながら警護していたため、欲望の悪魔の手先は襲撃の機会を逸したのかもしれない。しかし、最後の難所、馬の背だ。急峻な上、小石と砂で覆われ、足元はおぼつかなくなる。
「嵐の前の静けさじゃった。人間の欲は果てしないからのう。ここで必ず仕掛けてくる。百里を行く者は九十を半ばとす、といってなあ。注意の上にも注意をせんと」
 亀吉もじっと前方を睨んでいる。
 白装束の男が1人、金剛杖をつきながら剣が峰に向かっている。足取りは確かだ。山伏か富士講の信者だろうか。
 雷鷲が上空を帆翔している。疾風も岩場に身を潜め、監視しているに違いない。磨墨は剣が峰で待機しているはずだ。
「よし、行こう。亀吉、危ないから閉めるよ」
 遊はウエストバックの口を閉じ、一歩を踏み出した。
 小砂利に足を取られ、半歩滑る。足を踏み出す度に前屈みになり膝をつきそうだ。この不利な状況を敵は見逃すわけはない。
(疾風、雷鷲、磨墨、任せたぞ)
 遊は仲間を信じ、1歩、また1歩と進んだ。ずるりと右足が滑り、懸命にストックに力を入れてこらえようとしたが、そのまま腹ばいに倒れ込んだ。
 白装束の男が振り返った。背中から左右に翼が突き出て、跳ねるように坂を下って来る。真っ赤な顔に魚肉ソーセージを突き刺したような高い鼻、太く白い眉を吊り上げ、両目は黄金色で瞳だけ黒く輝いている。天狗だ。
 天狗は金剛杖を斜面に突き立て、宙に飛び立った。その黒い大きな影が圧し掛かるように遊に迫る。天狗は右手で金剛杖を上段に構えた。
(危ない)
 遊は起き上がろうとして、突然、体が宙に浮いた。
「危なかった。もう大丈夫だ」
 危機一髪、雷鷲が遊のバックパックを鷲掴みしたのだ。雷鷲は滞空飛行する磨墨の背中に遊を落とした。
「天狗退治だ」
 遊は最後の武器、黄金の太刀を振りかざした。
「今度は天狗か。こりゃ、手強いぞ」
 ウエストバッグの中から、亀吉が注意を促す。
 地上を見下ろすと、天狗に疾風が斜面を後ずさりしている。天狗は振りかざす羽団扇から大小の石を繰り出している。遊はその状況を亀吉に伝えた。
「天狗め、幻術を使っておるんじゃ」
「じゃあ、どうすればいい?亀吉」
「あくまで幻じゃ。遊、お前が騙されぬことじゃ」
 天狗が翼をはためかせ、急上昇してきた。遊を守ろうと、雷鷲は翼をすぼめ、急降下する。数㍍の位置に対峙すると、天狗が滞空飛行に変え、左手で羽団扇を構えた。
 雷鷲が嵐に襲われたように翼をばたつかせ、翻弄されている。羽団扇から強風を送り込んでいるらしい。
 天狗は右手の金剛杖を投げた。
「危ない、逃げろ」
 遊は叫んだ。
 金剛杖は雷鷲に命中し、雷鷲は喘ぎながら落下していく。遊は磨墨に急降下を命じ、雷鷲に追いついた。
「すまない、遊。俺はこれまでだ」
「頑張れ」
「俺のことは諦めろ。後ろを見ろ、天狗が飛んでくる。今、仲間を呼んでやる」
「ピー、ピッピピー、ピー、ピッピピー、」
 雷鷲は最後の声を振り絞ると、羽ばたきを止め、真っ逆さまに落下していった。
 天狗の真っ黒い影が遊に襲い掛かる。磨墨は間一髪、身をかわした。天狗が羽団扇を遊に向け、呪文を唱え始めた。
「遊、見るな、聞くな、たじろぐな」
 亀吉が叫んだ。遊は磨墨にも言い聞かせ、腰に差した最後の武器、黄金の太刀に手を掛けた。
 磨墨が平静を保つようにゆっくりと羽ばたいている。
「ピー、ピー、ピー」
 微かに鳥が呼び合うような鳴き声が聞こえ、徐々にその声が高まる。やがて周囲に羽音が満ち溢れた。天狗を直視しないよう遊は薄目を開ける。黄金の冠羽をなびかせて、数羽のイヌワシが飛び交っている。雷鷲が呼び集めた仲間のようだ。
 遊は両目を開け、天狗を見据えた。天狗はイヌワシの襲来に虚を突かれたように、何度も周囲を見回している。
「今だ、磨墨、天狗を打倒す」
 遊は腰を浮かすと、刀を振り上げた。すると、イヌワシ数羽が磨墨の周囲を旋回し始める。天狗の攻撃を交わすための盾の役割を担っているようだ。
「よし、雷鷲の敵討ちだ」
 遊は磨墨の腹を蹴り、天狗に近づく。
 天狗は羽団扇を仰ぎ、真っ赤に燃え盛る火炎を噴出させた。警護役のイヌワシが1羽、また1羽と翼を焼かれ、脱落していく。そして最後の1羽が全身、火達磨となった。
 ついに、磨墨に騎乗した遊は天狗と一対一で対峙した。天狗がにやりと笑う。羽団扇を振りかざし、火炎を放った。
 遊は黄金の太刀を体の前に垂直にかざし、両目を瞑った。
「食らえ、お前こそ焼け死ね」
 雷鳴のような爆音とともに、遊は右手で握る太刀の柄に激しい衝撃を感じた。
「くそー」
 絶叫に遊が両目を開けると、天狗は炎にもだえ苦しんでいる。黄金の太刀が火炎を跳ね返し、天狗を直撃していた。天狗は燃え尽き、その残滓が風に吹き流されていった。

 雷鷲の躯は岩場にあった。天狗の金剛杖が左の翼から下腹部まで貫いていた。遊は乱れた翼を整え、再度、躯を横たえた。
 雷鷲はイヌワシの突然変異と言われ、翼開張は倍近くあった。国内にわずか数百羽といわれるイヌワシをはじめワシタカの守護神ともいわれた。険しい風貌に似合わず、キタタキに接した思いやりにあふれる物腰は忘れられない。数㌔先の獲物も捉えるその抜群の視力でEW調査にどれほど貢献したことか。
 羽ばたきを耳にしたかと思うと、2羽のイヌワシがその鈎爪で雷鷲をつかみ、さらうように飛び去った。守護神をねんごろに弔うに違いない。
 かけがえのない同志を失い、遊は悲しさと悔しさで、雷鷲の雄姿を思い起こしながら中空を仰いだ。
「さようなら、雷鷲、君の死は決して無駄にしないから」
 遊の頬に熱い涙がこぼれ落ちた。

 馬の背に戻った。再度、挑戦だ。
(敵は倒した。登り切ればいい)
 遊は気持ちを切り替え、ストックを地面に突き刺した。天狗との格闘で心身ともに疲弊しているはずだが、胸のつかえが取れ、足元は軽い。時折、足を取られながらも着実に歩を進め、最後の一歩を踏みしめた。
 剣が峰の山頂は晴れ渡っていた。甲斐駒ケ岳、八ヶ岳などの名峰が見渡せ、巨大な火口がぽっかりと口を開けている。日本最高峰富士山剣ケ峰の石碑が立っていた。
 遊はウエストバックを開け、亀吉を両手で持ち上げた。
「絶景じゃ、ついにたどり着いたのう」
 雄大な眺めに達成感を感じる一方、最後の仕事を前に遊は気持ちを引き締めた。
 自制の神の元に行くには山頂に跪き、祈念する仕来りになっている。天空から小さな一塊の白雲が迎えに来て、自制の神の元に行く。仲間と仕上げた、まさに血と汗の結晶のEW報告書を神に手渡し、秘伝のワクチンを授かる。
「あと一歩じゃな。うん、どうした浮かない顔をしおって」
 亀吉が心配そうに、遊の顔を覗き込んだ。
「何か、胸騒ぎがして……」
 遊は背中からバックパックを下ろした。
 念のため奉納する報告書を確かめようと、パックを開け、遊は慌てた。厚紙のファイルの閉じ具が壊れ、調査報告書がばらばらになっている。激しい格闘の際、破損したらしい。1枚1枚、ページ順に並べはじめ、キタタキの最初のページに添付していた写真が剥がれ落ちているのに気付いた。バックパックの中を浚い、全て確認したが見つからない。
(そうか、あの時に……)
 鵺に襲われた際、鵺にバックパックを持って引き倒され、中身が散乱したことを思い出した。きちんと拾い集めて戻したはずだったが、死の危険に気が動転し、慌てて見逃したのだろう。
 頭の中が真っ白となり、遊は岩場に両膝をついた。もう吹き飛ばされているかもしれないし、また悪魔の手先が待ち受けているかもしれない。不安が波のように押し寄せる。腰がどうにも立ち上がらない。
「何をしとる。現場に引き返すんじゃ」
「何か、自分が情けなくて」
 遊は両頬を膨らませ、顔を紅潮させた。
「嘆いてもはじまらん。立ち上がるんじゃ、遊」
 亀吉が急き立てる。遊の様子を心配して、磨墨が飛んできた。疾風も剣が峰に駆け上がってきた。
「遊、早く僕の背に乗って」
「よし、俺は先に現場に戻って。今度こそ、鵺の奴を仕留めてやる」
 苦難を共にした仲間が口々に遊を励ます。雷鷲が撃たれ、落下する姿が遊の脳裏に蘇った。
「みんな、ごめん。時間を取らせて悪かった」
 遊はどうにか気持ちを持ち直した。彼は磨墨に騎乗して、鵺と闘った現場に直行した
 藪や下草が薙ぎ倒され、所々に乾いた血痕が飛び散っている。鵺と疾風が格闘した現場だ。その後、雷鷲が急襲し、鵺は森の中に逃走、遊が矢を放ち……。順次、振り返りながら、遊は疾風とともに周辺を隈なく探し回る。
 鵺に襲われた木の裏の斜面に木漏れ日が差し込み、写真らしいものを浮き立たせている。遊が走り寄り、拾い上げようとした瞬間、獣の手が伸びて、その紙片を浚った。
 獣はその木に上り、地上から3㍍程の木の股に腰かけた。手負いの鵺だ。鵺は写真を右手でつかみ、表裏を見たり、臭いを嗅いだりしている。
「返せ。返さなければ、討ち取るぞ」
 遊は黄金の太刀を引き抜いた。疾風も盛んに吠えたてる。
 遊の必死な訴えをあざ笑うかのように、鵺は右手の写真でパタパタと自身の顔を扇いだ。
(取れるものなら、取ってみろということか)
 遊は唇を噛み締め、地団駄を踏んだ。
 木漏れ日に影が差したかと思うと、1羽のワシタカの鳥が鵺の前を通り過ぎて、そのまま森に消え去った。イヌワシより小ぶりで、クマタカらしい。
鵺は放心したように、両目を開き、口を開けている。右手に持っていた写真は消えている。雷鷲を守護神と崇めるクマタカが嘴で咥え、持ち去った。
「遊、早く乗って」
 磨墨に指図されるまま騎乗し、遊は一気に大空まで浮上した。上空で旋回していたクマタカが近づき、その嘴で挟んでいた写真を遊に渡した。遠ざかるクマタカに遊は何度も手を振った。ワシタカの守護神、雷鷲の最後の一声を聞きつけ、クマタカはやってきたに違いない。
 剣が峰に戻ると、陽射しが既に西に傾き始めていた。
                        その23、に続く。 
その23:小説「遊のガサガサ冒険記」その23|磨知 亨/Machi Akira (note.com)


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