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学校は安全地帯というハコ

「学校に行けないで苦しんでいるキミへ」
この記事をご覧いただきありがとうございます。
これは、わたしが経験してきたことをもとに考えを述べていて、学校に行けなくて苦しんでいる人が、少しでも楽になればなぁと思って書いています。

自己紹介は ↓↓↓

私ってこんな人

平日の日中の子どもの居場所は・・・

学校にいることが多いというより、学校に行ってないと「どうしたの?」と言われるのが一般的。
そもそも、子どもの居場所が学校だけのようになっているのがおかしい・・・。

子どもにとっても、親にとっても選択肢がないのが現状なのである。
でも必ずしも学校に行かなければならないとは限らないはず。
と言うと、義務教育だ!!!と言う人もいるだろうが、義務教育は、国や親が子どもに教育を受けさせる義務があるのであって、子どもには教育を受ける権利があるということである。

みんながみんな、学校が合う環境であるとは限らない。
学校へ行けば、担任の先生と友だちと、、、みんな自分と合うのだろうか?
もちろん、自分が合わせなければならないこともある。それができるのは、他の何かで頑張ることができていて、認めてもらえる環境にあるから、納得いかないことでも合わせて頑張ることができるのだと思う。

それがもし、学校の中で何も合わなかったら?

ただただ、しんどい空間にいる。
それだけになるだろう。

学校は安全である、と同時に閉鎖的である

学校生活は、全てが学校である。
そういう意味では、安全に管理がしやすい。が、門を閉めれば、外部と遮断され、閉鎖的な空間となってしまう。
保護者とは先生のやりとり、もしくは子どもが学校の様子を話すことで、学校の様子が分かる。

それは会社でも当たり前のことで、「あの会社、何やってるんやろう?」と外から見ているだけでは、何も分からないものだ。
例えば、「ある大人がその会社に勤務したくないな。」となると、大人は有休をとって休む、もしくは退職なども考えるかもしれない。自分で次のことを考え、行動するだろう。

では、「ある子どもが、学校に通学したくない。」となると休むことになるが、義務教育期間は特に、自らで退学はできないのである。次の選択は自分一人では難しくなってくる。

学校がしんどかったら、休むこともいい

どうしても、「学校に行かないと!!」と思いがちだが、しんどいのであれば、それを見直すために一度休んで離れてみるのもいいと思う。
子どもに焦らすのではなく、「休んでみて、一緒に考えよう!」と大人が助けることが必要であると思う。
怠けとかそういうのではなく、真剣に次のステップを考えるためにも必要な時間だと思って、休むことを肯定する。
子どもは、休むことが「悪」だと思っていて悩んでいることが多いので、そこを肯定して、これからのことを一緒に考えようとすることで、「自分一人で悩まなくていいんだ」と安心し、次のステップへと繋がることが多い。

子どもも大人も同じ人間。心は同じ。

子どもだから。
大人だから。
そんなことは関係ない。
子どもが笑えば大人も笑うし、大人が笑えば子どもも笑う。

少しでも笑顔が増えることを願う。




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