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感情を出したがる存在、自分

 感情を出したがる、表現したがる存在。それが自分であると感じることが最近増えている。職場でそれなのは本当にまずいと思うが、それもヒトトギスなので、これとどう付き合っていくかが問題だろう。

 少しずれる話かもしれないが、好きを伝えることは難しいと感じる人が多いと思う。実際、難しいことだと思う。
 「ありがとう」「ごめんなさい」が言えることが人間として重要だというが、「好き」になった途端に難易度は跳ね上がっているように思う。

 ヒトトギスの場合、割と言ってしまう。言ってしまう人も一般的にいると思うが、周りに照れ屋が多いのか、直接そういったことを言う人は少ないため、「なぜ言わないのか」と感じることが時々あった。

 例えば、友人との会話の中を想像してみてほしい。
 多くの場合、友人には好きなところがあると思う。それが明るいところなのか、優しいところなのか、博識なところなのか、話が上手いところなのか、それはもちろん千差万別であるが、とにかく、何かあると思う。
 会話をしている中で、彼もしくは彼女のいいところが垣間見えるシーンに出くわしたときに、「〇〇のそういうところ良いよね」といったことを言うだろうか。ヒトトギスは、言う。
 実際、同性の友人に、「そういう優しさがもてるのってすごいよな」や「その気遣いができるのは本当に尊敬できる」など言っていた記憶がある。
 それが良いとか悪いとかそういった話ではないのだが、言ってしまうのだ。これはポジティブなことしか基本言わないが、それでも裏目に出る場合もあるし、もちろん良い働きをもたらすこともある。

 そして、こういったことは言う経験はあっても、言っている人を見ることが少ない。(見落としているだけかもしれない。)そのため、こちらが感情を出したがっているだけなのだろうか、と思ってしまうのだ。

 やり方によっては面倒にも思われてしまうし、ネガティブなことも言い出してしまうとおそらく取り返しのつかないことになる可能性も出てくるだろう。
 その対策として、文章を書くことがあるのかもしれない。

 つまり、吐き出す場所を作るということである。そうすれば事故のように感情を吐き出すモンスターにはならないだろう。
 
 稚拙なものでも構わない。やはり文章を書くことはヒトトギスにとって大事なことの一つなのだろう。

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