思考と文章

 思考することについて。

 思考するとは、そのまま言えば「思い、考えること」なのだろうが、最近ちゃんと思考することができているだろうか、と思考したので、今回はこの話題にしてみた。(なんて回りくどい文章。)

 インターネットに浸かる日々を送っていると、その情報量に気付かぬうちに溺れている…なんてことはよくある。立ち並ぶニュース、誰かが常にやっている配信、ゲーム、SNS…画面の中には魅力がたくさんである。もちろん、その質は幅が広い。
 これだけ質の良いものも悪いものも蔓延る世の中では、まともに思考が出来ていなくてもしょうがないのかもしれない。落ち着いて足を止めて、情報を遮断し、頭の中に浮かんだことについていろいろ考えを巡らせる…という方法以外でも思考とは言うが、こういったことはなかなか出来ない環境であることは感じてしまう。ではどうすればいいのか…と考えたときに思ったのが「文章を書くこと」だ。

 そもそも何かでこの「思考ができているか?」という問題について言われている中で指摘されていたことではあるが、実体験として文章を書くことが有効なのは感じている。それこそこれを書いていることもそう。
 思いつきと言えば思いつきだが、少し戻ったり、こんな話題もあったと別の事柄をはさんだり、書く前にどんなことを書こうかな、と考えたりすることは「足を止めること」「情報を遮断し、浮かんだことに集中すること」をしている。
 日記もそうだが、こういった整理の時間があると気分も良い。人におすすめしたくなる。

 かつ、書いていると自分の記録になる。自分ってこう考えていたんだ、ということを客観的な視点で見返せるのは良いのではないだろうか。
 今はそれこそ1000字はない程度書いていることが多いが、2000、3000と書けるようになればより質の高い思考が出来ているということだと思う。こういった他愛ない話題ならなおさらそうだ。

 もっと準備をすればそれくらい書けるかもしれないが、それはそれで書く側も読む側もカロリーが高そうだ。思考も頭の運動なので、ぼーっとすることと併せてやるのがいいだろう。

 ふと思ったが、とりとめのない文章はとりとめない思考の垂れ流し?それはそれで面白いか。

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