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学びのシェア会ver.1.0 FINAL

友人と運営していた「学びのシェア会」のver. 1.0をクローズした。

▼学びのシェア会とは


2018年1月に第1回をひらいて、その2年後の2020年1月、第12回を迎えたときにFINAL。数字的にも美しい。

さっそくFINAL回の感想を運営メンバーのまゆみさんが書いてくれたので、わたしも後に続く。今だけ味わえる気持ち、見える景色を書いておきたい。

当日は常連さんとはじめましてさんが、「最終回にはぜひとも」と駆けつけてくださり、11名が参会。体調を崩して欠席になった方々からも、祝福のメッセージをいただき、あたたかい気持ちでスタートした。

この場へのチェックインとして、一人ずつ自分について紹介した。
・お名前
・シェアしたいバックグラウンド
・今の気分/今日楽しみにしていること

わたしは、こんなことを話した。

・舟之川聖子です。
・表現作品をみんなで鑑賞し、感想を交わし合うことを通じて、人間とは何か、人間同士の関係や人間社会をよくするにはどうすればよいかを考える場をつくる、鑑賞対話ファシリテーターという仕事をしています。
・学びのシェア会はとても楽しいから、いつも「みんなやればいいのに」と思っている。きょうきてくださった方にも、学んだことを手渡して、ぜひやっていただきたいなぁと思っています。

第12回のテーマは、学びのシェア会から学んだこと。
運営メンバー5名が1名ずつ発表していく。

①まゆみさん
https://note.com/mayuminaba/n/n71a50acbb273 
・第一回のときに発表したことを、ずーっとやってんだな
・しっちゃかめっちゃかで理解してもらえないんじゃないかと不安だったけれど、安心安全な中で発表できて、あたたかいフィードバックがあって、仲間と対等にかかわっていく場で自分の考えをしゃべっていいと思えた、勇気をもらえた。
・閉じてると自分の中にあるだけ
・現時点を出し続ける
という言葉が印象的でわたしのノートに書き留めている。わたしも!わたしも!という気持ち。
最後にやってくれた呼吸のシェアは、とても気持ちよかった。
この2年のあいだに、たくさん資格や仕事を確率したまゆみさん。その一つが呼吸シェアリスト。体系的に学んだことを自分の体系に組み替えてさらにシェアしているところがいつもすごいと思う。

②まりさん
まりさんは職業柄、どうしても言葉に偏りが出てしまうから、発表も言葉ではなく、身体に意識を向けたいとのことだった。
みんなで机を離れて真ん中にぎゅっと集まった。まりさんがポツリポツリと出してくれるため息のような、詩のようなものを聴きながら、自分の身体にふれたり、お互いの身体にふれたりした。
「どこまでが自分なのか、どこからが他者なのか」
ああ、そういう話、亡くなった友人と交わしたことがあったっけ。
意識では肥大してしまうけれど、有限のこの身体に戻れば、思い出せるんじゃないか。そうそう、だからわたしは明確に境界を感じられる競技かるたをやってるんだなぁと自分の取り組みともつながる。
まりさんが学びのシェア会に参加しながら、日々の中で、理論・理性、感情・感性、肉体と精神をテーマに小さなチャレンジをしているのは知っていた。けれど、それがFINALで今ここに立ったんだ、こんなふうな現れになったんだ、ということに、わたしは勝手に感慨を覚えた。
まりさんのチャレンジに乾杯!

③ちほさん
はじめは以前二人でひらいたトークライブ「リブトビ」っぽく、わたしと二人のクロストークにしようか、などと言っていたけれど、まりさんの発表のあとに二人同時に、「やっぱり一人ずつ発表がよくない?」となった。この同時に、何のわだかまりもなく、自然に決定した感じがよかった。
さすがうちら。

・わたしそういうことを考えていいんだ
・へえ、他の人はそんなことを学んでるんだ
・「この人がいる場なら、この人が語るならさぞかし」ということを、対バンやハコ推しという言葉を使って表現してくれたのがちほさんらしかった。
・こういう場で学んでいると、「ふつうのスタイル」で学習することってなんなんだろう?と思う。好きなところだけ吸収する。そのときのその人にとって必要なことが吸収される、学びになる、という学び方を知った喜び。

ちほさんは、この2年のあいだに、ダブルケアや、ケアについてを考え、輪を広げるチーム「ダブルケアかわさき」を立ち上げて、キャリアカウンセラーやワークライフバランスコンサルタントの他にも自分の使命を生きはじめた。その場づくりにも、学びのシェア会の型を使っているという。
手元の疑問や時に怒りから、たくさんの人を巻き込んで社会変革を起こしているちほさんが眩しい。

④せいこ

ここは少し長めに書く。こんなことを話した。

わたしは、最初にライチさんに学びのシェア会のアイディアと共に、一緒にやりませんかと声をかけてもらったうちの一人。

その前に個別でシェアしてもらったことがあった。「きのうこんなことを学んできたんだよね」とある日、東京都美術館の上のレストランで講座に参加した体験をシェアしてもらった。そのときの、「まるでわたしも参加したみたいな気持ちになった臨場感」、「ライチさんが響いたところはわたしにも興味深い」という感触が残っていたので、ぜひやろうと盛り上がった。

12回のうち休んだこともあるけれど、半分以上発表させてもらったと思う。1回目は「聖書と競技かるたに学んだ勉強法」を発表した。今思えば、一番最初に話そうと思ったことが自分にとってずっとやっていること。結局わたしのテーマになっているもの。受け継がれているもの、文学、古典、歴史を持ったもの、身体と精神、温故知新。

仮説や生半可なものを、安心して発表できることがすごくありがたく、発表をしていくうちに、自分の仕事がさらに確立されていった。

ターニングポイントになったのが、美的発達段階と鑑賞について話した回。この回は録音しようと決めた。出す先が学びのシェア会では収まらない、世に問いたい、世に申したい、一家言あるものだった。

そんなものを持っている人は、どこかで舞台に立つ時が必要なのではないか。こういう人の前に立つことは、どんな小さな場でもとても緊張するし、おしゃべりとして話したほうが楽に決まっているけれど、舞台に立つことでしか前に進めないということがある。でっかいアリーナで、マイク使って叫ぶようなことをやっている人も、誰もが最初はこういう小さい舞台からはじめていたに違いない。

学びのシェア会は、絶対応援されるし、絶対聞いてもらえるし、絶対あたたかいフィードバックもらえるし、絶対人とかぶらないし、最高だった。
話してほんとよかったー!っていつも思った。

当日話すまでに、1ヵ月ぐらい何話そうかな、どういう順番で話そうかなとあれこれ考えるのだけれど、当日前に立って15分、20分の中で最終的にきゅーっとまとまるという、あれがいつもすごくおもしろかった。今も話すキーワードを付箋を並べているけれど、この中から取捨選択して、そのとき必要なものだけを話すことになる。思ってもいないところが受け取られたり、一人ひとりの人の何かと結びついて、展開していくというのが、すごく楽しかった。

場の真ん中を池に見立てて、そこに石を投げ込むような感じ。
すごく相互的で、循環していて、有機的な営みをしていたなぁと思う。毎回同じメンバーではなく、毎回来る人の組み合わせが違ったり、場所が違ったりして、そこで起こることがある。

お互いの変化や成長や深まりや展開を見ていくことができる。それ自体がいい時間だったと思う。

2年前に競技かるたの話をしたときは、まだD級になりたてだった。今はB級まで昇級した。それも、ここで話したことや、他の人が発表していたことが本番の試合のときにもフッと思い起こされて、力をもらえたおかげ。
聞いたことがどこで出てくるかはわからないけれど、そのときへーーっと思ったこと一つひとつが「上陸」してきて、自分の中に住むようになる。そういうのって「勉強会」という言葉のイメージには含まれていない。不思議な体験をたくさんさせてもらった。

自分の実感を徹底的に追求していくこと、超主観で捉えていくことが今生きる中で大事なんじゃないかと思っている。客観的で理論的なほうが頭が良さそう、すごいことを言っている...とか、それだけでは危険なことも多くなってきている。自分の実感や自分の境を意識しつつ、人とやっていくということが大事なんじゃないかと思っている。だから競技かるたをやっている。

そういうものを大事に、本当に大事だということが学びのシェア会を通じて自覚できたことが大きい。「今、発表したいことがあるかな?」と自分に問いかけるときに出てきたものが、やっぱり自分の欠かすことのできない構成要素(骨や筋肉)になっていたと思う。

今話しているのはでっかい話だし、やってみたからこそわかる話をしている。だから気軽にはじめてほしい。最初は「ちょっとおすそわけしたい」「仮説でしかないけれどずっと考えていたこと」をちょこっと出してみてほしい。

ふりかえって見えてみえたものは、メンバー一人ひとり違う。根っこは同じかもしれないけど、現れとしては全然違う。「わたしがやってみたらどうなるんだろう?」と楽しみにやってみてほしい。

自分が、「やりませんか?」「やろう!」と言う役割になってみてほしい。一人ではじめてもいいけれど、誰かとやるのがいい。3人ぐらいでやるといい。バランスがいいから。

⑤ライチさん
すばらしい総括で、ろくにメモも取らずに聞き入ってしまった。
・経験→発表で学びが定着する。掘ってみたいことが明確になる。シェアする前提で学ぶので、次に学ぶときの感度や器の精度が上がり、自分を信頼できる奴だと思える
・行くべき場、講座、イベントがわかる
・発表に慣れる
・[知らない人にも前提を共有]→[意見や気持ちの話し合い、聴き合い]の型はいろんな場に使える。(ほんとそう思う!これがないから対話が難しくなる)
・個々人が真剣に取り組んでいること・ところで出会った関係には、対等さ、尊敬や尊重がある。「手伝う」とは違う、主体的にサポートしあう心地よさ。理想とするコミュニティが実体験できた感。

などなど、他にも、どれもこれも、「そうそう、そうそうそう」としか感想が出ないことばかり。さすがライチさん、これぞ学びのシェア会と、日頃のの鍛錬の賜物。

起こしたい社会変革のために、具体的に着実に行動するライチさんを、わたしはいつも尊敬している。その取り組み、実験の一つの場を、対等なパートナーの一人として共につくれたことがうれしい、光栄。
場づくり、コミュニティづくりの点からわたしが学んだことは大きかった。

話す側も聞く側も「準備」をして臨む場。
真剣に学ぶことを「遊び」と言える仲間。
ありえる。つくれる。


▼ライチさんが取ってくれたメモ。
取ったメモを見せ合いっこするのも、このシェア会のつながりの中で生まれた文化の一つかもしれない。学生時代の「ノート見せて」以来かもね。

▼学びのシェア会に欠かせない、おやつ。差し入れもいっぱい。

「学びはシェアしてより学びとなる」「学ぶことは生きること」
この実感を、最終回にきてくださった方々が、受け取ってくださっていた。
これまでの時間や重ねてきたものや、当日場にいない人たちのことまで感じ取ってくださったことがわかり、胸がいっぱいになった。

有り難い。

「学びのシェア会」のver.1.0とは、今の運営メンバーが定期開催を呼びかける形を指している。ここからは、誰もが言い出しっぺになるバージョンへ、ステージを変えていく。

これまで参加してくださった方、
最終回に立ち会ってくださった方、
レポートを読んでくださった方、
メンバーの取り組みを聴いてくださった方、
なんらかのルートでこの営みのことを知った方が、
この楽しい"遊び"をご自分の周りでもはじめてくださるとうれしい。


終わる話ができる仲間は貴重だ。
またその貴重さを共有できることが有り難い。

競技かるたでも、時機を見極める、間違わないということがとても大事だ。
インスピレーション。決断。引き受ける覚悟。
何かをやめるとき、終わるとき、変えるときに、
これがなくなったらどうしよう。やっていけるかなと不安にもなる。
でも、慣れ親しんだ自分の陣だけで戦っていては勝てない。
展開がない。
なんのためにやっているのか、わからなくなる。
相手がいてやっていることだから、相手の陣に札を送って攻める。
攻め合う。真摯に向き合っていく。

自分から、展開させていこう。
またひとまわり大きな舞台に立っていこう。

そんなことを場の終わりに思った。

2年間、ありがとうございました。

▼過去の参加した記録など。