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「人がゆっくりと着実に成長することを支援する」ライフストーリーコーディネーター:金子友信さん(愛称Tomo)

Hitoテラスは、従来のプロフィールでは伝えきれない、あなたの内なる魅力を表現するプロフィール=インナープロフィールをインタビューによって引き出し、あなたらしさが伝わる自己紹介をお手伝いするメディアです。

大井規早子・亀田啓一郎
今回は私たち2人がTomoのインタビューを行い、浮かび上がってきたインナープロフィールをお届けします!  

インタビュー動画をみたいという方はこちらからどうぞ♪
Tomoのダイジェスト版 Part1【信託銀行→起業】(10分05秒)

Tomoのダイジェスト版 Part2【キャリアチェンジの裏側】(5分54秒)


Tomoのダイジェスト版 Part3【ライフワークとは】(4分16秒)

tomoをもっと知りたい方へのフルバージョンはこちらから♪(61分17秒)

1.Tomoのプロフィール

金子友信さん(かねこ とものぶ)
立命館大学卒業後、みずほ信託銀行に入行。本店不動産営業部部長代理となり、人材育成に携わったことがきっかけで、産業カウンセラーやキャリコンサルタントの資格を取得。これを機に、リクルートへ転職。キャリアコンサルタントとして転職や採用支援を行う。コーチングを学んだ後、人材開発・組織開発・人事制度構築の業務に従事。「信じて、生きる。」を存在意義として、「誰もが自分の望む一歩を踏み出せる社会」の実現を目指し、リクルートを退職、独立。ライフエフェクト・ラボを立ち上げる。現在は、早稲田大学人間科学部で教育工学を研究しつつ、湯治場で「人生100年時代のライフシフト」をテーマにしたキャリア支援に挑戦している。
<所有資格>
国家資格キャリアコンサルタント、産業カウンセラー、ファイナンシャルプランナー2級、宅地建物取引士、不動産コンサルティングマスター

2.Tomoのインナープロフィールはこれだ!

3.Tomoのインナープロフィールが伝わるエピソード

3-1:人の相談に乗ることは、自分らしく、自分が欲する自然な姿

▶︎中学校の時にスクールカウンセラーが導入され、そのカウンセラーの人がこれまで会ってきた大人とちょっと違う雰囲気を持っていると感じた。それが心のどこかに記憶されていて、大学進学を考えるタイミングで出てきた。

▶︎またソフトテニス部の副部長をしていた時、後輩の相談にのっていた自分が、自分らしく自然な感じがしていた。

▶︎普通の銀行ではなく、信託銀行を第一希望にした理由は、お客様と立場が 平等で、その相談に乗ることができそうだと思ったから。

▶︎銀行員として働き続けることに疑問をもち始めた時、再び心理学を学びたい意欲が湧き、産業カウンセラーの資格を取得。学びを活かして後輩育成をすると驚くほど後輩がいきいきと成長を始めた。若い後輩が「金子さんのような人がうちのグループにいて本当に救われている」と言ってくれ、嬉しさを覚えた。

▶︎リクルートキャリアに転職し、キャリアコンサルタントとして転職希望者と面談している時間は、”天職”じゃないかと思えるくらい楽しかった。この人は何にやりがいを持っているのか、何をしたいのか、その人のこれからのキャリアを一緒に考えていくプロセスがすごく楽しかった。

3-2:自らに目標を課し、その目標との格闘からの気づき

 ▶︎大学受験は失敗したし逃げたので、第一希望先から内定を取ることに必死だった。実際の銀行窓口まで行ってカウンターの人に「銀行業務について教えてください!」って熱心に聞いていると法人担当を紹介してくれて、さらに喫茶店で詳しく話を聞いたりした。第一希望のみずほ信託銀行に決まった時は、自分の力で掴み取り、自分を取り戻せたと思った。

▶︎地方の私立大学出身者は評価が低く、悔しかった。生活が苦しかった家庭環境もあり、長男なので親の期待に応えたいという気持ちもあった。だからこそ、出世して見返したいという率直な思いがあった。実際に29歳で本社不動産部部長代理になった時には、一つの目標を達成できたという思いが強かった。ただ、見返し出世をすることが目標になり、それが自分をドライブ(後押し)するものだった。それがなくなると、本当に自分がやりたいものがなくて、それ以上のものが湧き出てこなかった。

▶︎今まで親の期待とか、会社や上司の期待に応えることを自分を奮い立たせるドライバーにしていた。長女が生まれ、「この子のために」っていうものが自分の中に入ってきた。

3-3:人は自己成長力を持っている!直接的に人に関わる仕事がしたい!

▶︎産業カウンセラーの勉強をするなかで、「人は自己成長力を持っている」という人間観を習った。この言葉がピンときた!これまで、常に何かしら目標を置いて自分を奮い立たせ、自分に無理をさせ、ストレスやプレッシャーを与えながら高めていくものだと思っていた。

▶︎ キャリアコンサルタントの時、条件に合う転職先を紹介しても、最初は笑顔で転職するが、やっぱり自分が活かされない、上司や組織風土と合わないと言って何人かは戻ってくる。

▶︎ 組織の中に阻害要因があるのではと思い、人材育成、組織開発を支援するグループ会社に異動し、法人向けの営業職に就く。苦戦の末、営業的な業績は挙げることができたが、キャリアカウンセラーとして面談している時のようなワクワク感がなく力が湧いてこない。何か変に頑張ってる自分がいた。

▶︎榎本英剛氏の天職創造セミナーを受講して「仕事」とは人生の目的とか、自分の存在意義を探求しながら表現していくものだという捉え方に共感した。自分のやりたい事とすごく繋がった瞬間だった。

3-4:自分のライフストーリーにどっぷり浸かる“人生浴”を通して、本来の自然な生き方を取り戻してほしい!

▶︎ 自分も同様のセミナーを提供していくなかで、自分と凄く向き合い、自分にとって自然な生き方を取り戻していき、その生き方が見えてきた。

▶︎“人生浴”という言葉が浮かんだ背景には、自分という自然を浴びる。つまり、自分自身のライフストーリーをじっくり語り合い、浸かってみると、自分というものを感じられる感覚があったから。それはとても温かく、過去が取り戻され、そこから気づきを得る自分にとって必要な時間だったから。

▶︎ 自分の中にある純粋な欲求は、人の人生に関わる話を聞くとか、人の人生に関わっていくこと。だからこそ、ライフストーリーコーディネーター (=人生浴ファシリテーター)として、人生をかけてやってみたいことが持てる場、言える場を届けたい。

4.Hito TERRACEインタビューアーから一言

Tomoは、自分の存在意義は、「人が本来の自然な生き方を取り戻す支援をすることだ」という考えにたどり着いた。なぜ、彼はそこにたどり着いたのか、このインタビューを通して得心した。
彼は、なんども自分の中から聞こえる声に耳を傾けるが、そう簡単にそれに従うことができなかった。それは、親の期待、会社上司の期待、そして自分が自分に課した期待というもので自分を鼓舞し、それを達成することで自信がつき、成長できるんだという信念と干渉するからだ。事実、彼はそうやって成長してきたが、その一方で、どこか無理をしている、自分に対して素直になれていないという違和感を持ち続けてきた。その葛藤の末、“人生浴”という考えにたどり着いたんだと思う。
単に、セミナーを受けてちょっと刺激を受けたからというものではなく、彼のWill(こうありたい)とMust(こうあるべき)との生々しい格闘があったからだ。そして、彼のこれまでの仕事経験を通して、自分以外の人も同じ悩みを持っていることを肌で感じている。一人で悩むのでなく、対話を通して自分を見出していく支援をしたいと思うのは、彼のカウンセラー志向からすれば極めて自然だ。
最後に、彼はプロフィール文で、「人生の”ちょっと”を応援したい」と、面白い表現をしている。これは、私のうがった見方かもしれないが、インタビュー中に彼のボルテージがひときわ上がったところがある。「人は本来、自己成長力を持っている」という部分だ。だから、自分が支援するのは、”ちょっと”で十分という事なのかもしれない。
私たちは、Tomoのこれからの人生を大いに応援したい!

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5.Tomoのこれまでのヒストリー

1990年:父親が会社を退職し、カレー屋を始めるものの苦戦。家庭環境が険悪な雰囲気に包まれる。
1996年:日本拳法で群馬県大会にて2位となる。
1998年:ソフトテニスで桐生市大会にて2位になる。
1999年:地元の進学校である桐生高校に合格する。
2001年:カウンセラーになりたいと思い心理学部を志望するが、進路指導で、それではメシが食えないと言われ断念する。
2002年:つぶしがきく法学部に切り替える。勉強へのやる気が失せ、 成績が急降下する。指定校推薦で立命館大学法学部に合格。しかし大学受験を逃げたという思いから全く嬉しくなかった。
2002年:半年間ほぼ大学に行かずにアパートに引きこもる。このままでは腐ってしまうと思い、バドミントンサークルに入る。バドミントンや仲間との付き合いが楽しく、一気に大学生活が楽しくなる。
2004年:バドミントンサークルの会長に就任する。
2005年:バドミントンで関西六大学戦にて2位となる。
2005年:第一希望の、みずほ信託銀行に内定。大学受験は逃げたので、第一希望先から内定を取ることに拘った。
2006年:富山支店に配属。地方の私立大学出身者の人事に不満を覚える。必ず見返して、本社営業部にいくことを誓う。
2008年:信託業界でNo.1を堅持していた不動産部門に異動し、結果を出して、早期の出世を目指すことを決める。そして、異動願を出して大阪支店不動産部へ異動する。
2009年:リーマンショックが発生し、不動産取引が軒並みストップ。業績がガタ落ちとなる。
2013年:妻と結婚し、長女が産まれる。長女を抱き上げて、そして自然と涙が溢れ出た。
2013年:本社不動産営業部部長代理として出世を果たす。
2014年:ゴールテープを切ってしまった感覚となり、銀行員としてのその後のキャリアが見えなくなり、途方に暮れるようになる。
2015年:次女が産まれるが、睡眠時間2〜3時間で働き続ける毎日。銀行員として働き続けることに強い疑問を抱き始める。
2015年:心理学を学びたい意欲が湧いてきて、産業カウンセラーやキャリアコンサルタントの資格を取得。カネではなくヒトに関わる仕事をしていきたいと思うようになる。
2016年:ご縁あって、リクルートキャリアに転職。キャリアコンサルタントの仕事に就く。
2018年:転職支援をしているだけでは、人がいきいきと働くことを支援できないと悟る。入社後の活躍支援ができるグループ会社であるリクルートマネジメントソリューションズへ転籍する。
2020年:祖父を亡くす。そして父親の癌が発覚する。人はいつか死ぬし、いつまでも健康ではないと痛感する。「自分は本当に何をしたいのか?」という問いが強く湧き始める。
2021年:組織課題の解決営業に苦戦し続けたが、努力が報われ、営業統括部優秀賞を獲得する。東京で成果を出し切り、妻の実家がある関西へ異動願を出し異動する。
2021年:ふと手にした本がきっかけで、榎本英剛氏の天職創造セミナーを受講。受講直後に、理由もなく「このようなワークショップを自分もやってみたい」という意欲が激しく湧く。その後、認定リーダーとなる。「本当の仕事ワークショップ」を2か月に1回のペースでやり続ける。人のよりよい人生づくりに関わることや、人と人とが集い合い、学び合うワークショップの面白さに目覚める。
2021年:早稲田大学人間科学部e-スクールに合格。高校時代から心の声として聞こえていた「心理学を学びたい」という自分の期待にしっかりと応えた。
2022年:組織ではなく個(人)に関わる仕事がしたいという思いから会社を退職、独立する。
2022年:自分がイチから創ったプログラムである「人生浴」を旅館大沼で初開催。参加者が喜んでくれたことがとても嬉しかった。ライフストーリーコーディネーター(人生浴ファシリテーター)としてスタートを切る。
2023年:人生における非常に小さな変化が、最終的に予想もしていなかった大きな変化となることをうみだすために、「ライフエフェクト・ラボ」を立ち上げる。自らの仕事を「ライフエフェクター」と名付ける。

<<今回のインタビュアーご紹介>>


亀田啓一郎(かめだ けいいちろう):
株式会社プロジェクトプロデュース 代表
人材育成、組織開発コンサルタントとして、伴走型のプロジェクトや研修を実施
大井規早子(おおい きさこ):
ゴールデンフラワーズ合同会社 代表
心の成熟と意識の成長をサポートし、「主体的に人生を選択する」人たちが増えることを願って活動している、プロフェッショナル・コーチ&セラピスト

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