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100歳の現役薬剤師「今日も街のみんなの元気のために」

「ひとすじ」は、”50年以上ひとつの仕事を続けている”方々を、フィルムカメラを用いて写真におさめるプロジェクト。 個人が自由に仕事を選べるようになり、転職や職種転換も当たり前になった現代だからこそ、その人々の生きざまはよりシンプルに、そしてクリエイティブにうつります。 このnoteでは、撮影とともに行ったインタビューを記事にしてお届けします。

板橋区小豆沢(あずさわ)、周辺にいくつかの薬局が立ち並ぶエリアに、薬局としては珍しく暖簾を出し、不思議で温かな雰囲気が目を引く「ヒルマ薬局小豆沢店」。
2018年に世界最高齢の現役薬剤師としてギネス記録にも認定された(2024年現在は別の方が記録を更新)、比留間栄子さんは、今もこの薬局で働いています。

日々お客様の体調や様子に耳を傾け、心と体を癒す薬剤師であろうと努力を続ける栄子さん。
戦争・貧困、厳しい時代を息抜き、今も生かされている命と新しい毎日に感謝しながら前向きに日々を紡ぐ、そんな栄子さんの人生のお話を伺いました。

100歳の現役薬剤師・比留間栄子さん

とにかく必死に生き抜いた戦時下の日々

ー 栄子先生はこちら(板橋)のお生まれですか?
比留間さん:本店が池袋にあるんだけど、生まれはそのすぐ近くです。
昭和19年(1944年)が薬学専門学校を卒業した年で、その頃は戦時中で日中はしょっちゅうB29が視察で飛んでたの。

ー 第二次世界大戦真っ只中の時期ですよね...。
比留間さん:一斉にB29にやられたのが昭和20年(1945年)ごろよね。
夜に落とすのよね。それで、大勢が逃げるんだけど、みんな行くあてもなくて、誰かが右の方へ行けば全員右の方へ行って、ただ逃げて、、、
焼夷弾に当たって前の人がバタバタ倒れていっても、そういう人たちを助けるどころじゃない。もう、追い越してって。

ー 凄まじい時代を生き抜かれたんですね。
比留間さん:私はちょうど東京大空襲の二日前に信州の田舎に疎開したので、その難を逃れたんですけど。あの日、長野から見た東京方面の空が赤く染まっていたのを、今でも昨日のように思い出すね。
その後、戦争が終わって東京に一度出てきたんだけど、その時、池袋の家から海が見えたの。嘘のような本当の話。全ては焼き払われて、瓦礫すらなくて。焼けずに残ったおそらく皇居あたりの森と、あとは地平線だけ。

ー 池袋から海が見えるなんて、想像もできないですね。
比留間さん:そうでしょう?で、戦争終わったあと、家やビルがどんどん建っていったんだけども、疎開した人の中では、いろんな事情でもう東京へは出てこられなくなっちゃった人もいてね。うちは東京出てきて、向原という春日通りに面したところで薬局をまた始められたのでね。よかったけどね。

ー その後は東京で薬剤師に?
比留間さん:しばらくは薬剤師もやりながら、東京と長野の二重生活をしてた。なんせ当時は食べるものが全然なくてね。戦後当時はお店開いてるところもまずない。当時は、お金があっても、それで物を買うことができないような状態だったの。

ー 教科書で読んだようなお話しです。
比留間さん:お金があっても使えないから、物々交換の方がお互いに喜ぶの。だから、私も長野にいたときは、闇市だったり、お百姓さんのとこに山を越えて行って、物々交換してた。サッカリン(人工甘味料の一つで、薬剤としても使われる)を渡して、その代わりにお野菜をもらってね。サッカリンはすごく喜ばれるの。みんなお砂糖が欲しいから。

ー 生き抜くにも大変な時代ですよね。
比留間さん:苦労を苦労と思わないで、もう自分たちがやらなくちゃ生活していかれないから、なんでもやって。
そうやって食べるものも本当にない中だったけど、よくこうやって生きてこられたなと思いますね。

重ねてきた時間が何よりの力

ー そうやって戦時下を生き抜いて、また東京でご家族で薬局を始められたんですね。そもそも栄子先生はなんで薬剤師になられたんですか?
比留間さん:ねえ、なんでなったんだろうね。
父も薬剤師だったし、小さい頃からそばで見て育った。それで自然となろうと思ったんじゃないかなあ。
父がコツコツと患者さんと向き合って、熱心にお話ししてたところを見てるしね。やっぱり父の背中を追っているようなところもあるかもしれないね。

ー 素敵です。お父様に薬剤師になれと言われたわけではないんですか?
比留間さん:一切ないですよ。うちの父は、ああしろこうしろっていうのは言わない。私も子どもや孫たちに言ったことはないしね。でも自然と、息子や孫も同じ仕事についてくれました。
息子や孫たちが、「この仕事に就きたい」と思ってくれたことは、仕事を続けてきた私の誇りに思うことでもあります。
働く姿を見せること、働く喜びや生きる喜びを感じる姿を見せることが、先を生き、長く続けてきた私の使命でもあったように思います。

ー 薬剤師が嫌になったり、他のことやってみたいと思ったことはないんですか?
比留間さん:ない。そんなにね、いろんなものあれもやりたいこれもやりたいって言ったって、成功できない。
石の上にも三年っていうでしょ。三年同じ仕事を辛抱したらその人は崩れないってあの頃は言われてて。
あっちがいいのこっちがいいのって転々とする人は長続きしない。あれがいやだこれがいやだ、ってやってると、自分もどれがいいかわかんなくなっちゃうのよ。どんな仕事をやっても、そりゃ迷わされることはある。だけど、それに迷わされるようじゃダメ。やればみんな実っていくんだもの。辛抱よ、やっぱりね。

ー 栄子先生が言うと重みが違いますね...!
比留間さん:私もね、78年。この仕事。
健康でもあったし、お店もずっと続けられたしね。戦争中も田舎で続けて。
コツコツと積み上げてきたこの時間が、何よりも私の力になっていると感じますね。

街角の茶屋のような薬局であり続けたい

ー 昔と今とでは薬剤師の仕事や薬局のあり方も変わってきていますか?
比留間さん:昔は今みたいに、病気になってもすぐに医者行くのではなくて、まずは薬局。
お客さんがきて、症状をこちらで聞いて、それに合わせて薬を三日分ずつくらいこしらえて、「これを三日飲んでまた様子聞かせてください」って言って。そのあとまた経過によって薬を症状に合わせて変えたり、薬局では売れなかったから、熱が出て抗生剤が必要な人には「病院に行ってください」って言って。そういうふうにして、薬局は親近感のあるような場所だったの。

ー 確かに、私もすごく小さい頃、病院よりも先に薬局に相談するのに母が連れてってくれたような記憶があります。
比留間さん:昔はそれが普通だったのよ。そういうふうにしてると、通りがかりで、「どうしました?」「よくなりました?」ってこっちも様子も聞けるし。

ー 薬局は本当に地域の人にとって身近で、一番に頼れる場所だったんですね。
比留間さん:そうよ。薬局は、薬をお出しするだけの場所ではないと思ってるの。処方箋を持ってくる方だけじゃなくて、道行く人がどなたでも立ち寄って、少し相談したり、休んだりしていけるような場所だったらいいなって思ってる。うちの薬局には暖簾がかかっているけれど、街角の茶屋のような、気軽でほっと一息つける存在でありたいですね。

ー 栄子先生とこの薬局には、つい立ち寄りたくなってしまう空気があるなあと、私も思います。
比留間さん:ありがたいわよね。今は足を悪くしちゃったこともあって、週に1回木曜日しか私はこちらに来てないのだけれど、私がいる日に合わせてお医者様に処方箋出してもらって来てくれる、なんて方々もいらっしゃって。
お客様とお話しする時間は、私にとっても元気の源だから、本当に嬉しいです。

ー いろんな方がこの薬局に栄子先生とお話しにいらっしゃいますが、特に印象に残っているお客様はいらっしゃいますか?
比留間さん:大勢いいます。やっぱり気になります。あの人どうしてるかな、とか。突然思いもよらないで、「何年か前にお世話になったんです」って来てくれるお客さんとか。あとは、道端で具合具合悪そうに咳してた方がいたので、呼び止めて、いろいろお話したりして、お薬あげたらとっても喜んで帰ってったの。そしたらずいぶん長いこと、通ると、「ありがとうございます」って言ってくれてね。やっぱり嬉しいですよね。

ー 素敵です。栄子先生は、いつまでお店に立ち続けたいですか?
比留間さん:いつまでってことはない。自分が動ける間、元気な間はずっとかな。下手なことやいい加減なことを喋ったりしないように、頭がしっかりしてる間っていうことは考えてます。

ー 薬剤師さんは覚えることがたくさんありそうですもんね。
比留間さん:どこになんの薬が入ってるとか、それぞれの薬の知識とかね。絶対に間違えられないですからね。同じ成分の薬で3つの名前があって、病院によって言い方も違ったりするから、そういうのもちゃんと覚えてないといけない。
だから、もう休む暇、やめる暇がないの。どんどん新しいことも覚えなきゃいけないし、あっという間に80年。80年もやってたなんて自分でも信じられないよね。笑

孫の康二郎さん(同じくヒルマ薬局小豆沢店で働く薬剤師)と2ショット

編集後記

取材後、できた写真をお渡ししに再びヒルマ薬局を訪れた時のこと。
たまたまその日、NHKの番組で栄子先生を取材した映像が流れると聞き、私も栄子先生や康二郎先生と一緒に拝見させていただきました。
みんなで10分ほどの特集をみて、感想を言い合っていたとき、薬局に一人のお客様が入ってこられました。
「今たまたまテレビで栄子先生を見て、そしたらどうしても会いたくなっちゃって...!お忙しいのにごめんなさい!」と、夕飯の支度を中断して家を飛び出してきたというご近所のお客様。
栄子先生に最近の出来事や、体の調子、家族の心配事など様々な相談をされたのちに、「栄子先生とお話しできて元気が出ました!!」と、ほくほくとした笑顔で帰って行かれました。
そんな姿を見て、この薬局と、栄子先生自身がみなさんの「日々のくすり」になっているのだと私は思いました。
栄子先生は「私もお客様とお話しする時間が元気の源」とおっしゃいます。
お客様を大事にし、お客様に愛される栄子先生だからこそ、100歳を超えてもなお元気にお店に立ち、お客様と街を照らすことができるのだと思います。
初めて会った私にも、様々な気配りをしてくださり、優しい笑顔で接してくださった栄子先生。
私も、すっかりホクホクした顔で、ヒルマ薬局があるこの街の暮らしを羨ましく思いながら帰路につきました。

書き手:野澤 雪乃

なんとびっくり、ご自身で日々更新されている栄子先生のSNS(X)はこちら:https://x.com/95worldrecord

取材/ライター:野澤 雪乃
編集:新野 瑞貴
撮影:中村 創
監修:後藤 花菜

50年1つの仕事を続けた方のポートレートや仕事風景をフィルムカメラで撮影した写真集「ひとすじ」製作中!最新情報はこちらからご覧ください。▷instagram @hitosuji_pj

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