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サーフィン界のレジェンドが歩んだ、「波」瀾万丈の人生

「ひとすじ」は、”50年以上ひとつの仕事を続けている”方々を、フィルムカメラを用いて写真におさめるプロジェクト。
個人が自由に仕事を選べるようになり、転職や職種転換も当たり前になった現代だからこそ、その人々の生きざまはよりシンプルに、そしてクリエイティブにうつります。
このnoteでは、撮影とともに行ったインタビューを記事にしてお届けします。

私、ライター野澤が茅ヶ崎に引っ越す直前、「出没! アド街ック天国」の茅ヶ崎特集で初めて目にした、サーフィン界のレジェンド。その名も、サーフショップ「GODDESS」社長、鈴木 正さん。
茅ヶ崎の地に住むからには、一度はお会いしたいと思っていた方に、取材をさせていただくことができました。

鈴木さんの人生は、一言で言うならば”波瀾万丈”。人生のあらゆる波に乗ったり、時には巻かれたりしながら、それでも前を向いてひたすらに突き進む。痺れるほど格好よく、ドラマチックな、鈴木さんの人生物語、開幕です。


日本サーフィン界のレジェンド・鈴木正さん

絵葉書で見た幻のスポーツ

ー 鈴木さんがサーフィンと出会ったのはいつ頃だったんですか?
鈴木さん:僕は新潟県の小千谷市というところで生まれたんだけど、中学生の時に流行病の赤痢(せきり)にかかってしまったんですよ。それで入院したんだけど、その病院で見た絵葉書が、初めてのサーフィンとの出会いです。

ー 絵葉書が初めての出会い?
鈴木さん:そう。その頃は日本にサーフィンというものは全く認知されていなくて、僕自身もそれが「サーフィン」というスポーツであることはわからなかったんだけど、波に乗ったサーファーのセピア色の絵葉書に、子ども心にすごく惹きつけられたのを覚えてます。

ー 何だかドラマチックな出会いですね。
鈴木さん:それで、高校2年生の時に初めて茅ヶ崎に来て、湘南の海を見た時に、波がうねりとなり崩れてくるのを見て、「あ!これだ!あの絵でみたやつができるかもしれない!」と思ったの。僕が幼少期に住んでいた新潟・柏崎の海は風が強くてバシャバシャの波だったから、湘南のような波は見たことがなくて。

ー でも、当時は湘南でも、誰も波に乗っていなかったんですよね?
鈴木さん:そう。それで、「あの絵のやつできるんじゃない?」と思った僕は、ベニヤ板を釘で打った自作の板で海に入りました。
当時は”テイクオフ”(波に合わせて板の上に立ち上がること)とかもわからないから、波が来る前に板に立って、吹っ飛んじゃって。今思えばそりゃそうなんだけど(笑)。玉砂利にあたって板が割れて、水と砂利が中に入ってきて。重くなった板を必死に引っ張り上げて、リヤカーに積んでいる姿を、浜辺にいる人みんなが腹を抱えて笑いながら見てましたよ。
当時の鈴木少年は、それが顔から火が出るほど恥ずかしくて、それで打ちのめされちゃって。「こんなものはできない!」と。そっから約2年間はサーフィンのことなんて忘れてました。

鈴木さんが初めて作ったベニヤ板を再現した板は今もGODDESS茅ヶ崎本店に飾られる

ー すごい!文明の話を聞いている気分です(笑)。そんな体験から、どうやってもう一度サーフィンに向き合うことになったんですか?
鈴木さん:それから2年後、父の土建業の仕事の関係で逗子に向かっている最中に、自転車で七里ヶ浜を走ってたら、そこで外国人3人が本物のサーフボード持ってサーフィンをやってたの。今でいう「ロア」っていうサーフポイントなんだけど。初めて本物を見て、僕本当に鳥肌立っちゃって...!もう目が釘付けですよ。で、その人たちがパドルしてテイクオフするのを見て、「なんだ、こうやるのか!!」と思って。

ー テレビでも本でもなく、生のサーファーの動きで初めて知ったんですね!
鈴木さん:そうだね(笑)。中学の頃からアメリカに憧れて英会話の勉強はしてたから、その知識を活かして話しかけたの。「Hey, nice to meet you.」とかいって(笑)
「次いつ来るの?」って聞いたら、「1週間後に江ノ島に行くよ」って言うから行ってみたら、本当にいて。
だから、もう一度話しかけて、「板を1本俺に譲ってくれ」って。当時の価格で1本3万円。

ー 3万円!今だと安く聞こえますけど、60年前とかですもんね。
鈴木さん:そう、大卒の初任給が3万円とかの時代だから、今で言うと2〜30万円くらいかな?それを買ったんだけど、自転車だと茅ヶ崎まで持って帰る方法がないから、一回江ノ島の橋の下に砂で埋めて隠して、次の日兄にトラックを出してもらって、茅ヶ崎に持って帰ってきた(笑)

ビッグウェーブ到来!サーフボードで時代をつくる

ー そこから全てが始まったんですね...!
鈴木さん:大事に大事に持って帰ってきたその板の端っこを、恐る恐る切ってみたの。
そしたら中から白いのがポロポロって出てきて。

ー え!大事な板を、切ったんですか?!
鈴木さん:うん。どんな素材でできてるのか気になって。それで、知り合いの工場の水沢さんって方に色々と教えてもらって、その板を復元して。

ー じゃあその板は乗って楽しむんじゃなくて、分析のために?
鈴木さん:そう。分析用に。本当に宝物みたいに大事な板だったんだけど、ある日、喫茶店でお茶してたら、駐車場に停めてた車の上からその板が盗まれちゃって。

ー ええ!30万円(現在の価格換算)で手に入れたあの板を!?
鈴木さん:まあ分析は進んでたいたし、だいたい材料はこんなもんだろうって分かってた。でも、これがまさに俺のサーフボード作りの原点なの。
「これを盗む奴がいるんだ!」っていう気づき。つまり、「俺以外にもこのサーフボードを欲しい奴がいるのか!」と。で、「これはいけるかもしれない」と思った。身震いしました。この時のこと思い出すと、今でも鳥肌が立ちますよ(笑)

ー 歴史が動く瞬間ですね!ワクワクします!笑
鈴木さん:そこから、水沢さんにも手伝ってもらって、いろんな材料を集めて作ってるうちに、僕が初めて出会ったサーフボードよりも、良いものが作れるようになった。
ウレタンホームの材料を提供してもらった会社には、まだ何の実績もない頃に「将来これ(サーフィン)が流行って御社は莫大な利益を生み出すかもしれません!」というでかい話もしました(笑)
そうしていくうちに、友人で欲しいという人が集まってきて、いつの間にかビジネスになってました。

鈴木さん自慢の板たち

ー そこからGODDESSの物語は始まったんですね...!
鈴木さん:ある程度、良いクオリティの板は作れるようになったなと思ってたんだけど。ある時、池袋の西武でオーストラリア製のサーフボードが売られてて、見に行ったらそれが比べものにならないくらい良いものだった。艶が全然違う。
それで、本物を作るならやっぱりアメリカに行かなきゃと思って、一人で渡米しました。

ー 当時の一人渡米はなかなか勇気のいる行動ですよね?
鈴木さん:そもそも居住先がないと観光ビザも取れないような時代だったし、もちろん海外も初めてだったから、いろいろツテをたどって。
スーツケース盗まれたりなんなりしながら。でも、初めてのアメリカはとても刺激的でした。

波瀾万丈、七転び八起き

笑顔でお話ししてくださる鈴木さん

ー そこから、どんどん板も改良していったんですね。
鈴木さん:そう。だけどそこからは会社が大きくなるにつれて、災難にあったりもしました。
まだ一人で作ってた時は、茅ヶ崎の野球場の横の駐車場を借りて、住み込みながらボードを作ってて。ある日飲んで帰ってきたら、必死に作ったボード10本が店から無くなってた(笑)。
そんな盗みにはしょっちゅう入られましたし、がっかりはしましたけど、その度に「こりゃあ間違いなくサーフィン流行るな〜」って思ってました(笑)。

ー スーパーポジティブですね。
鈴木さん:その時々は本当に落ち込むんですけどね。何回も人に騙されて、ハワイの店舗作った時なんかは2500万くらい騙し取られた。そのほかにも車の事故や社員の横領、踏み倒しなどなど…語るとキリがないね。
一番「ああ、これはもう無理かもしれない」と思ったのは、工場を火事で燃やしちゃって、隣の家も全焼させちゃったとき。来年売りに出そうと用意していたサーフボードが全部、ドラム缶35本分が燃えちゃって。あの時は、流石にもう会社は終わりだって思いました。

ー そこからどうやって立て直したんですか?
鈴木さん:全ては社長である私の責任だと思って、隣の家の方にも有り金を全部お渡しして、そこから3年は死に物狂いで働きました。
ただ仕事はいっぱいあるわけね。作っても作っても売れるから。普通のシェーパー(サーフボードを製作する職人)は1日2-3本作るんだけど、僕はそのとき、朝4時からやって1日8本シェープしてましたよ。他の職人分も合わせて、年間5,000本。それで借金は3年で返しました。
だけど、働きすぎて肝臓とか痛めちゃって、目玉も真っ黄色。それで病院行ったら即入院。「あと1、2週間遅かったら助からなかった」って言われて、でもそのぐらい命がけで働きました。

ー すごいです...!
鈴木さん:でも、騙されても、ビジネス的に窮地に陥っても、決して諦めなかった。
身体が健康でありさえすれば、絶対にどうにかできる。だから常に健康でいようと心がけて、酒もタバコもやめました。


とにかく目標に向かって突き進む

ー 鈴木さんのバイタリティと行動力は凄まじいですね。
鈴木さん:悔いのない人生を全うするには、人生設計を早いうちから立て、真っ直ぐに努力し、突き進む。時代はスピード、乗り遅れたらアウト。
まさに、人生はサーフィンだと思ってますよ(笑)。良い波を掴んで乗っていくことが一番大事。

ー 鈴木さんがおっしゃると、説得力がありますね...!
鈴木さん:ただ、良い波、大きな波をつかまえてテイクオフするには、ただ何もしないで波を待つのでなく、あらゆることにアンテナをはって努力し続けることが大事。
僕は、やりたいことや目標が見つかったら、大小限らず全てメモして、ノートに記して持ち歩いたり、壁に貼ったりすることですぐに見えるようにしとくんです。終わったことには斜線をし、終了するまでチェックを怠らない。
決めたことは、時間がかかっても何が何でもやり遂げます。サーフィンみたいに、終わりなく一生をかけることもありますしね。

今でも波に乗り続ける

ー サーフィンは今でもずっと続けてらっしゃるんですもんね!
鈴木さん:今81歳ですが、波のある日は毎日海に出ますよ。ただ、1回もちゃんと教わったことがないから、直せてない癖もあって、今直すのに苦労してる。YouTubeを見ながら学んでます。
特に年取ってから筋力の衰えでできないこともあるから、前足が出しやすい体制を習得しようとして。この歳になると、去年できてたことが今年できなくなるってことがしょっちゅうあるからね。

ー まさにサーフィン界のレジェンドですね。そういえば、キャリア(自転車にサーフボードをくくりつける道具)も鈴木さんの発明だとか?
鈴木さん:そうなんです。僕の商品は「チャリボー」という名前で商標登録してるんだけど。
いま湘南の海に行ったらみんなあれを使ってるでしょ?
あれも、改良に改良を重ねて、「誰が考えてもこれ以上はない」というところまで突き詰めました。だからこそ、多くの人に使われる商品になったんだと思います。
常に、「こんなものがあったら良いのに」「もっとこうできそう」ということを考えてワクワクしながらいろんなものを発明・開発しています。

鈴木さんが開発したチャリボー(自転車やバイクに板をくくりつけて移動できる)

僕ほど幸せな人間はいない

ー 鈴木さんがサーフィンを始めた頃は、日本に「サーフィン」という言葉すらなかったのに、今では鈴木さんの板や、チャリボーなど他商品を多くのサーファーが愛用していると考えると本当にすごいです。
鈴木さん:僕自身、全日本で3回優勝してて、10点満点も出したことあるんですよ。その後チームGODDESSがジュニアや女子の部も含めてみんな優勝し始めて、それでこの板が全国に広がっていったの。

ー すごい!中でも印象に残ったエピソードはありますか?
鈴木さん:ハワイのマウイ島にHonolua Bayというデカい波がくるところがあるんだけど、元世界チャンピオンのDINO MIRANDA(ディノ・ミランダ)って人が、僕の板でデカい波乗ったんだよ!!
あの時は「やったーー!」と思ったねえ。その年は、1年のロイヤリティのお金だけでBMW買えるくらい入ってきました(笑)。

ー エピソードのスケールが大きすぎますね。
鈴木さん:他にも、サザンの桑田さんにうちでボード買ってもらったり、ユーミンも何度か店に来てくれました。サザンの「湘南SEPTEMBER」やユーミンの「天気雨」では、歌詞にも店の名前「GODDESS」が出てきます。

ー ずっと楽しそうに、誇らしそうにGODDESSとご自身の人生を振り返られる姿が眩しいです!!(笑)
鈴木さん:今思い出しても鳥肌が立っちゃうような出来事が僕の人生にはいっぱいあって、「僕ほど幸せな人間はいない」といつも思います。
日本にサーフボードがない時代に大工道具を使って自作のベニヤ板でスタートしたところから、今では多くの方にうちの板を使ってもらい、子供達や孫たちもみーんなサーフィンに夢中になって、うちは一大サーフィンファミリーになっている(笑)。本当に幸せ者です。
これからも、決して諦めずに、自分に可能性がある限り努力して良い波に乗っていきたいです!

レジェンドと自慢のロングボードを挟んで茅ヶ崎の海の前でパシャリ

<取材後記>

鈴木さんの人生物語があまりにもすごすぎて、もはや編集後記として私が新たに語ることはありません。
鈴木さんの人生とそのバイタリティが、多くのサーファーたちの人生の楽しみ・幅を広げたことは言うまでもなく、「日本に一大文明を根付かせた」その事実にただただ感服です。

鈴木さんに、「やめようと思ったことはありますか?」「他にやりたいことはなかったですか?」という質問は無意味でしかありません。
私たちにできることは、鈴木さんの唯一無二のバイタリティと数々の伝説たちを、少しお酒に酔って上機嫌になりながら、茅ヶ崎の潮を浴びて、自分のことのように語ることのみです(笑)。

サーフィンというスポーツが、当たり前に愛されるこの時代に、その起源を知るレジェンドに出会えたこと、それ自体が奇跡。もはやそれに尽きると思います。

これからも、その無限の好奇心と、尽きることのないひたむきさで時代を切り開いていってください。
鈴木さんと出会えて、話を聞けたことが誇りです。孫の代まで語り継ぎます!!!

書き手:野澤 雪乃

Goddess 店舗紹介

ゴッデスインターナショナル 茅ヶ崎本店
〒253-0055 神奈川県茅ヶ崎市中海岸3丁目9−20
営業日:営業時間 月火木金 9:00~17:00 / 土日 8:00~17:00
定休日:水曜
電話:0467-86-1173
HP:https://www.goddess.co.jp/index.html

取材/ライター:野澤 雪乃
編集:新野 瑞貴
撮影:中村 創
監修:後藤 花菜

50年1つの仕事を続けた方のポートレートや仕事風景をフィルムカメラで撮影した写真集「ひとすじ」製作中!最新情報はこちらからご覧ください。▷instagram @hitosuji_pj

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