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【政見放送削除事件】

 1983年、参議院議員選挙に立候補していた東郷健氏が、政見放送中に「メカンチ、チンバ」という身体障害者に対する差別用語を使用したことから、NHKがこの部分の音声を削除してテレビ放送した。このことを不服として東郷氏がNHKを相手取って提起した損害賠償請求事件。憲法上も著名な判例のひとつである。
 なおメカンチとは視覚障碍者、チンバとは足の不自由な人に対する、それぞれいわゆる「差別用語」とされている。

 最初に確認しておくと東郷健氏は、視覚障害者や歩行障害者を罵る意図で「メカンチ、チンバ」という語を使用したわけではなく、それどころか無神経ゆえに不用意に使ったのでさえない。
 そもそも東郷氏は日本における、(現在でいう)トランスジェンダーの最初期の人権運動家として「伝説のオカマ」と呼ばれた人物で、参議院議員に立候補したのも自分達や障害者に対する差別をなくすことを目指して国会議員を志したのである。
 東郷氏はかつて視覚障害者の竜鉄也氏、肢体不自由者の八代英太(本名:前島英三郎)氏らとともにコンサート「太陽はいらない」を開催した。そのときに心無い人に罵られたエピソードとして「メカンチ、チンバの切符なんか、誰も買うかいな」という差別発言を引用したのが、件の削除部分であった。
 なおNHKは削除について東郷氏側が合意しなかったため、、自治省(現在の総務省の前身のひとつ)行政局選挙部長に文書で問い合わせ「削除に違法性がない」との言質を得て、最終的には無断削除している。

 本来、公職選挙法では、政見放送は編集なくそのまま放映することが第150条で義務付けられている。続く150条の2では政見放送における「品位の保持」を定められてはいるが、同条の少なくとも文言上の主語は放送局側ではなく、候補者や政党の義務を定めたものである。

(政見放送における品位の保持)
第百五十条の二 公職の候補者、候補者届出政党、衆議院名簿届出政党等及び参議院名簿届出政党等は、その責任を自覚し、前条第一項又は第三項に規定する放送(以下「政見放送」という。)をするに当たつては、他人若しくは他の政党その他の政治団体の名誉を傷つけ若しくは善良な風俗を害し又は特定の商品の広告その他営業に関する宣伝をする等いやしくも政見放送としての品位を損なう言動をしてはならない。

公職選挙法

 先述のとおり、東郷氏の発言は差別解消を目指す立候補者として差別の実態を語ったものであって、東郷氏が差別を肯定しているわけでもなんでもなく「政見放送としての品位を損なう言動」とは到底考えられるものではない。

 以上の点が認められて東郷氏は第一審では勝訴した。
 常識的に考えても、NHKの行為は明らかな過剰反応であったと言えるだろうが、控訴審で逆転敗訴、最高裁もその判断を追認している。

最高裁判決の要旨
 1.削除部分は差別用語を使用しているのだから「他人若しくは他の政党その他の政治団体の名誉を傷つけ若しくは善良な風俗を害」する等「政見放送としての品位を損なう言動」を禁止した公職選挙法150条の2の規定違反である。
 2.公職選挙法150条の2の規定は、テレビジョン放送による政見放送が直接かつ即時に全国の視聴者に到達して強い影響を有していることにかんがみ、そのような言動が放送されることによる弊害を防止する目的で政見放送の品位を損なう言動を禁止している。規定に反する言動がそのまま放送される利益は、法的に保障された利益とはいえず、言動がそのまま放送されなかったとしても、不法行為上、法的利益の侵害があったとはいえない。
 3.日本放送協会(NHK)は、行政機関ではなく、自治省行政局(当時)選挙部長に対しその見解を照会したとはいえ、自らの判断で削除部分の音声を削除してテレビジョン放送をしたのであるから、措置が憲法21条2項前段にいう検閲に当たらない。

 ただしこの判決については園田逸夫裁判官の補足意見があり、これが最も妥当かつバランスの取れた見解であると言えるだろう。

 私は、法150条1項後段の「この場合において、日本放送協会及び一般放送事業者は、その政見を録音し又は録画し、これをそのまま放送しなければならない。」という規定は、公職の候補者(以下「候補者」という。)自身による唯一の放送(放送法2条1号)が法150条1項前段の定める政見放送であることからしても(法151条の5参照)、選挙運動における表現の自由及び候補者による放送の利用(いわゆるアクセス)という面において、極めて重要な意味を特つ規定であると考える。法は、一方において、候補者に対し、政見放送をするに当たっては、「その責任を自覚し」「他人若しくは他の政党その他の政治団体の名誉を傷つけ若しくは善良な風俗を害し又は特定の商品の広告その他営業に関する宣伝をする等いやしくも政見放送としての品位を損なう声動をしてはならない。」と定め(法150条の2)、政見放送としての品位の保持を候補者自身の良識に基づく自律に任せ、他方において、候補者の政見放送の内容については、日本放送協会及び一般放送事業者(以下「日本放送協会等」という。)の介入を禁止しているのである。したがって、この限りにおいて、日本放送協会等は、事前に放送の内容に介入して番組を編集する責任から解放されているものと解さざるを得ない。候補者の政見放送に対する事前抑制を認める根拠として、遠くは電波法106条1項、107条、108条、近くは法235条の3を挙げる見解があるが、これらの規定は、いずれも事後的な刑罰規定であって、これをもって事前抑制の根拠規定とすることは困難である。いうまでもなく、表現の自由とりわけ政治上の表現の白由は民主政治の根幹をなすものであるから、いかなる機関によるものであれ、一般的に政見放送の事前抑制を認めるべきではない。法150条1項後段は、民主政治にとって自明の原理を明確に規定したものというべきである。
 公職の選挙において、政見放送は、選挙人が候補者の政見を知るための重要な判断材料となっており、法150条1項前段の規定は、日本放送協会等に対し、その放送設備により、公益のために、候補者にその政見を放送させることを要請している。そして、法150条1項前段と後段の規定を合わせると、政見放送においては、日本放送協会等の役割は、候補者の政見を公衆ないし視聴者のために伝達すること以上に出るものではないと解するのが妥当であるから、政見放送の内容については、法的にも社会的にも責任を負うものではないと見るべきである。この点に関して、視聴者のすべてがこれらのことを了解しているとはいえない現状においては、視聴者が強い嫌悪感を抱くような内容の政見の録音又は録画については、日本放送協会等において、放送事業者の品位と信用を保持する見地から、その放送前に一定の事前抑制を講ずることを、緊急避難的措置として例外的に認めるべきであるとする見解がある。しかし、このような理論の適用を軽々に認めることは、結局、法律の規定に基づかない事前抑制を事実上放置することとなり、ひいては、日本放送協会等に過大な法的・社会的責任を負わせることとなるものであって妥当でないと考える。

 なお、東郷氏はこの体験談の箇所だけでなく政見の最後にも「メカンチやチンバのある身障者とか、そういう差別されている人達と手を繋ぎたい」と発言しており、こちらの箇所については削除されていない。
 これについて、NHKは単に言葉狩りをしたのではなくきちんと判断をして放送の適否を決めている、というような擁護も見られなくはない。
 しかしこの判断は、裁判の争点にはなっていない(し、他の資料でもほぼ取り上げられていない)別の問題を孕むと筆者は考える。

 確かに体験談部分の「メカンチ、チンバの切符なんか」という発言は、東郷氏はともかく元発言者は悪意で放った言葉であるという違いはある。
 しかし、この最後の「メカンチやチンバの~手を繋ぎたい」は、その先行する差別体験の話を踏まえて「差別をされる人達との連帯」を表現したものなのは明らかである。
 先行の体験談部分を削除してしまったら、メカンチ・チンバという語を使うに至った正当な構成が失われてしまい、あたかも東郷氏が無神経にいきなり差別用語を使ったかのような誤解を生みかねないむしろ東郷氏が「差別発言者」としてその名誉が毀損される危険すらあった削除例だったと言えるだろう。

参考リンク・資料:

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