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『バービー×エンデ×セーラームーン、そしてフェミニズム』2023-08-31

 バービーの功績は、ロールプレイの幅を広げたことにある。
 赤ちゃんの人形しかないバービー以前の世界では、女の子はお母さんのロールプレイしかできなかった。それがバービーの登場で、広く様々な立場や職業の女性を「お人形さんごっこ」は演じられるようになったのだ。
 実写映画版『Barbie』はそのことを冒頭『2001年宇宙の旅』のパロディで伝える。なぜか荒野で赤ちゃん人形を使って「おかあさんごっこ」をしていた幼女たちの前に、「宇宙の旅」のモノリスの立場で巨大バービーが出現する。たちまち幼女は鬼気迫る憎悪の表情で赤ちゃん(人形)を地面に叩きつけて、粉々に破壊するのだ。
 この幼女の顔が実にいい。もしCG加工したものでないのなら、きっとこの子はいい女優さんになるだろう。

 この不穏なシーンの直後に、先述したバービーの人形史上における意義が語られる。

 巷間ではこの映画はフェミニズムを礼賛する映画なのか、批判する映画なのかというのが論点になっているが、このシーンをどう見たかが各人の意見に大きく影響を落としているような気がする。
 一般的には多くの人があの少女たちの「赤子殺し」にギョッとし、その後のナレーションに「よかった、ただのジョークだったのさ」と胸を撫で下ろす。比較的フェミニズムに好意的な一般人はこの種の反応だろう。
 さらに重度にフェミニズムに入れ込んだ層は、赤子殺しシーンそのものを素晴らしいフェミニズム表現として目を輝かせて観たのだろう。我々が「ツイフェミ」と呼ぶような連中だ。
 そしてこの映画にフェミニズム批判を見る層は、(少なくとも一面では)フェミニズム的アイコンであるところのバービーが子どもたちに「赤子殺し」をさせたことに、フェミニズムそのものへの皮肉が表現されていると見たのではないだろうか。
 後述の理由により、私はこの3番目のカテゴリの人間である。

 バービーは様々な職業と立場の女性を表現している――この説明は、大勢のバービー達が住むどピンクの世界「バービーランド」の説明にシームレスに移行する。スムーズな構成だ。
 ここには現実に発売された、あらゆるバービーがいる。
 いかにもオンナノコオンナノコした定番タイプのバービー、意識高い系を喜ばせる知的職業モチーフのバービー、マニアが思い出しては笑いの種にしている(だろう)珍作のバービー。「バービーはすべての女の子であり、女の子はなんにでもなれる」それがバービーなのだ。今のフェミニズム的な用語を使うなら「エンパワメント」である。
 そしてバービーたち自身も、自分たちのいるバービーランドのほかにReal Worldが別にあることを知っており、自分たちが女の子をそのようにエンパワメントしている存在であると考えている。

 さて、なんとなく世界観が分かってきたところで、物語はひとりのバービーの心身に異変が生じることで始まる。
 ハイヒールむきにつま先立ちで、お肌はもちろんお人形のようにつるつる、いつも楽しい事ばかりの世界に暮らしていた、そんなあるバービーの肌が劣化する。さらに日本の#KuToo信者のように(と私が勝手に思っただけだが)踵が地面についてしまい、しかもあろうことか、死について考えてしまったりするのだ。

 バービーランドの呪医的な存在らしき「へんてこバービー」によれば、問題はReal Worldにある彼女の本体である人形の持ち主にあるという。
 その人間を探して問題を解決(具体的にどうしろと言っているのかはよくわからない)すればバービーは元通りのハッピーなバービーに戻れるのだ。

 かくしてバービーは人間界に旅立つが、実はストーリーの中核はその人間のお悩み相談ではない。
 バービーの旅に、ひとりの「ケン」がついてきてしまうのだ。
 ケンというのはバービーのボーイフレンド(エンデの風刺でもしっかり「ビビボーイ」となって登場してくる)で、これまた沢山のケンが売られているのだが、あくまでバービーのための脇役に過ぎず、黒人やアジア人程度はいるが、バービー本人の多様性とは比ぶべくもない。

 この映画をアンチフェミニズム映画と喝破する小山氏は次のように指摘している。

男性(ケン)もみな女性を尊重して、女性が嫌がるようなことは決して行いません。また太ったバービーや車椅子のバービーはバービーランドにも存在しますが、太ったケンや車椅子のケンは存在しません。セクシーでない男性や障碍者の男性(つまり非モテ男性)に煩わされることもないのです。まさにフェミニズムの理想郷が実現しています。

映画『バービー』は史上最高のアンチフェミ作品

 そんなケンはReal Worldの社会を見て衝撃を受ける。なんと、ここでは男性が、尊重されているのだ!!
 ケンはこの世界でいろいろなことを学んだあと、大急ぎで引き返してその素晴らしさを仲間のケン達、そしてバービー達にも伝える。その結果、バービーランドには「男社会」(吹替でも字幕でもこう訳されているようなのだが、ネット各論者の指摘する通りこの言葉の原語はpatriarchy、つまり「家父長制」である)旋風が吹き荒れるのだ。
 ケン達はそれまでの女性にかしづく態度から、打って変わってバービー達に自信満々に振る舞うようになる。一方でバービー達は、知的職業モチーフの「賢い系バービー」達までもがその地位をかなぐり捨て、チアガールやら何やらの格好をしてケン達をちやほやすることに汲々とし始めるのである――まるでフェミニズム以前の前近代の社会(と、少なくともフェミニストは主張しているもの)の様に。
 主人公バービーの家は改装され「ケンのムキムキムンムンマッチョハウス」にされてしまい、ケンはバービーランドを男社会の国”kendom”とするため、ケン法(ここすき)改正の国民投票を行うと宣言する。

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