[読書メモ]『本を遊ぶ』(小飼弾)

p18
コンサルタントという職種を日本に根付かせた大前研一さんに、こんな言葉があります。「自分を変えるには3つしかやり方がない。1つは場所を変える。2つめは時間の使い方を変える。そして誰と付き合うかを変える」

p20
これからの時代は今まで常識とされていたことがどんどんくつがえっていきます。常識を疑い、ゼロベースでものごとを考えられる人がよりよい人生を生きられるようになります。そのためには、まず本を読むこと。

p28
本当は凡人こそ、世間一般のやり方でなく、自分にいちばん合ったやり方で物事を進めるべきなのです。世の中で定められたやり方が自分にいちばん合ったやり方と同じとは限らない。学習ができない子ほど、自分専用の学習法で学習したほうがいい。これは仕事に関しても同じで、仕事がうまくいかないなら、「これならうまく働ける」という自分専用の働き方を1日も早く発見することです。/会社に属する以上、勝手なやり方は許されないというのなら、会社に属さずに食べていけるだけの何かを身につけることを考える。

p42
金持ちになる人とは、いかに金を稼ぐかを考えている人ではありません。自身の空想力で、金持ちになったときの自分のイメージを鮮明に描いている人です。もう頭の中の自分は金持ちであって、あとは現実の自分とのギャップを埋めているだけなのです。

p45
実は本を読めるというだけでも、かなり高い教養の持ち主です。

p57
そもそも現代の我々の労働時間は長すぎます。たかだか食い扶持を得る仕事のために、1日8時間も拘束されるなんておかしいと僕は昔から思っていました。

p63
索引が付いているような本は、シーケンシャル(頭から連続)に読む必要はなく、ランダムアクセス、すなわち必要なところからアプローチすればいいのです。この章だけとか、この項だけという読み方をしてよろしい。

p68
いちばん重要なのは、治療によって少しずつでも症状が改善しているという実感を得られることです。ではどうすればそういう実感が得られるかというと、結果を計測すること。今日は5ミリ上がるようになった、3日後は10ミリ上がるようになった、というように計測して記録をする。

p70
今の日本の本は、たいてい100ページ以上、300ページ未満に収まっています。書店に流通させるためには一定の厚さにして、本としての常識的な価格内に収めることが求められるからです。しかし本当にそれがその本の内容に最適なボリュームだとは限りません。

p84
バカバカしいことを真剣に考えて実行する人だけが新しいことを生み出せる。

p104
多くの日本人が、「批判的に考えなさい」といわれて、「そうか」とハッとするのは、いかに僕たちが日ごろ何でも無批判に受け入れているかということの証明のようなものです。

p108
日本の学校では情報に接するとき「落ち着いて考えろ」ということをきちんと教えていません。むしろその逆の傾向のことばかり教わっています。/そういうふうだから、「なぜ学習するのか」と聞かれても、「テストがあるから」という短期的な目的しか思いつけない。だからテストの前に「一夜漬け」をしたりする。

p114
日本社会のいちばんの問題は、組織の上に行けば行くほど人間の質が下がることです。

p115
プレイヤーとマネジャーはあくまでも職種が違うのだから、人間的に上か下かなんていうことはありえないはずなのに、上司とか部下という立場が公私にわたってつきまとう。これはおかしなことなのに、そこに誰も疑問を抱いていません。

p118
誰かロールモデルを決めて、その人に心酔する時期があってもいいかもしれませんが、せいぜい3年が限度です。すでに言語化されている知識を、10年も20年も誰かの真似をすることで身につけるとしたら、人生の浪費もいいところです。

p120
弟子の側も意見を述べたほうが、ものごとは進化するに決まっているのです。

p125
もし僕が誰かの部屋に招かれ、その人の本棚にベストセラーばかりが並んでいるのを見たら、「この人は普段、本を読んでいないんだろうな」と判断します。

p127
「障害は不便だけど不幸ではない」というのは優れたものの捉え方ですし、実際に乙武君は恵まれているところもあります。

p127
ブームの10年後ぐらいに読むと、雑音に惑わされず、いい読み方ができます。

p131
哲学書のような、日本語で書かれているはずなのに、何をいっているのかサッパリわからないという本もあります。これは、実はゴミも多い分野で、「言葉遊びしているだけじゃん、それ」 「結局何にも得られなかった」という本がかなり多いので注意が必要です。

p134
書名に凝らないのは内容に自信があることのあらわれです。

p137
「時間の洗礼」に耐えて生き残っているということは、本当の名作の証拠だといえます。したがって古典を中心に読んでいくというのは、ある意味でハズレを引く確率の少ない、効率的な読書方法です。

p138
「その通り。SFの9割はクソだ。物事の9割はクソだから当然だよ」と。今では「スタージョンの法則」として知られています。

p143
「お金がなくてもうダメだ」といっている人の家計簿を覗いてみると、通信ぜいたく費、交際費、服飾費、その他贅沢品など、ムダな出費がゾロゾロ出てきます。

p144
本代につぎ込んだお金は、結局何倍にもなって返ってくるからです。本を読むと知恵がつく。そして現代における仕事のほとんどは、知恵のあるなしで値段が決まります。/僕はいつも若い人には、「まず本棚を1本買え」といっています。

p147
自己啓発本が詰まっているということは、その人が本に「助けてください」とすがっている証拠です。自分の頭で考えることを放棄してしまっている。

p150
本を保存するのに、トランクルームや貸倉庫は使っていません。よほど気をつけないと死蔵になってしまうからです。死蔵するぐらいであれば、捨てたほうがいい。

p164
偏見というと世間一般ではいけないものであって、捨てなくてはならないようなことのようにいわれますが、実はその人ならではの個性をつくるために、なくてはならないものでもあります。偏見は捨てるのではなく、育てなければならない。[...]世の中に出たとき、社会はどんな人を重宝するか、考えてみてください。/ありふれた、誰にでもできることしかできない人は重宝がられません。当然、その人にしかできないことを持っている人のほうが重要視されるでしょう。

p168
クレイトン・クリステンセンは『イノベーションのジレンマ』(翔泳社)の中で、「過去に蓄積された常識が組織を次第に蝕んでいく」と主張しています。間違った偏見を持ち続けることで、だんだん時代遅れになる、ということです。/でも実際にかつての大企業が勢いを失っていくのを見ていると、その実態は、年寄りが若者に負けていくという過程にすぎません。優れたものが勝ち、劣ったものが負けるという優勝劣敗は、負かされる側はみじめですが、世の中全体として見ればいいことであり、自然な新陳代謝の1つでしょう。

pp170-171
僕くらい買うのはちょっとやりすぎだとしても、本にお金を使えば、その分のもとは簡単に取れるし、むしろ何倍にもなって返ってきます。本を読めば知恵がつく。そしてその知恵に、客がつく。そうすれば本代など莫大な利子がついて戻ってきます。

p174
本は投資の中でも、極めて効率のいいものです。本を読む人は、自分のお金を全部本代につぎ込んでしまって、貧乏人であるかのような印象がありますが、実際のところは高収入の方が多い。

pp174-175
本を読めばそれだけ多くの着想を得られるからです。多くの着想を得られれば、それだけ稼ぐチャンスも増えます。

p176
偏見こそ大いに育てるべきです。人に「ひねくれている」といわれるくらいでないと社会で認められません。僕という人間も、偏見を買われています。

pp178-179
しかし人を「頭でっかち」とか「机上の空論」と揶揄する人たちが、より優れた代案を出す場面に僕は1度もお目にかかったことがないのも厳然たる事実です。/机上の空論は、机上だけで終わらせてしまうから机上の空論なのであって、実際にやってみれば、それは立派な「実践的な知」になります。スタートは机上の空論であっても、そこからスタートして実践的な経験知にすればいい。/しかし机上の空論すらない人には、そのスタートさえ切れません。この差は実に大きい。

p184
まずふせんを貼らない。赤線を引いたり、書き込んだりもしません。ページを折るのも嫌いです。これはどう考えても、10代のころ、書き込みを許されない図書館の本ばかり読んできたことの名残です。

p186
読書とは「百人一首」を全部覚えてしまうような、脳にデータをダウンロードすることではありません。むしろ読書とは、グーグルなどがやっている indexing に近い行為です。一字一句覚えているわけではないけれど、「こんな感じのことが、この辺に出てきた」というような目次が脳内にできあがるということに近い。したがって本そのものというよりは、インデックスを入れておいて、具体的な言葉を引用したかったら検索し直せばいいのです。

p188
世の中にはマメな人がいるもので、エクセルで蔵書リストをつくり、本を置いた棚番号を控えておく、というような図書館顔負けの管理方法を実行している人もいるようです。

p189
おそらくいちばん有効な方法は、「超・整理法」を本にも適用すること。野口悠紀雄さんが中公新書から出したベストセラー『「超」整理法』は、書類は整理をせず単純に時系列に並べるのがいい、ということを説いています。ルールは最近使ったものを、最も手に近いところに置くということだけ。/これはコンピュータの最も基本的な記憶処理の「スタック」という方法と同じです。一切整理せず、過去のものはそのまま後ろに追いやる。過去のものを検索して使ったら、今度はそれがいちばん手前に来る。

p192
その人がどんな人生を送っているかは、仮に本人に会わずともSNSを追っていれば雰囲気だけでもわかるものです。

p206
単なる読書会ではなく、難解な教科書を読む勉強会であれば大いに意味があります。それはもうある意味、授業と同じです。

p207
何だかんだいって、本を多く読む人は、人とずっと付き合っているのが苦手な人です。人と会うのが嫌いな非社交的な性格であるという意味ではなく、読書という充実した1人の時間の使い方を知ってしまったあまり、社交に時間をとられて1人の時間を持てなくなることが苦痛になってしまったということです。僕は「皆さん、もっと孤独の時間を大切にしましょう」 「堂々と孤独でありましょう」といいたい。

pp219-220
たとえば今は地動説のほうが正しいとわかっています。では、プトレマイオスが考えた天動説はまるっきりムダだったのでしょうか。僕は天動説があったからこそ、地動説が生まれたと考えます。人類の進化とはそんなふうに試行錯誤しながら少しずつ進んでいくものでしょう。

p228
たまに話術だけは司会者並みに巧みな人がいたりして、その人の話を聞いていると勢いでなんとなく笑ってしまい、その場は盛り上がるものの、家に帰るとどんな話題だったかすら覚えていない。/その点、本を読んでいる人の言葉は、宴が終わったあとも心に残る。僕などはそういう人と言葉を交わすと、「この人のことをもっと知りたい」という願望がわいてきます。またそれと同時に、「この人なら自分の興味のある話をしても、楽しんで聞いてくれそうだ」と思うものです。

p229
他人からどう思われるかを気にしているほど人生は長くない。つまらないことには、つまらないといえばいい。くだらないことは、くだらないという勇気を持つことです。

pp233-234
僕がここまでいっても、「でも誰かが面白いって保証してくれた本じゃないと、読みたくない」というなら、あなたは本を読むより空気を読むほうが好きな人。空気を読みたければテレビがあります。本を読まずにテレビでも見ていてください。/実は、本ほど「みんながいいといっているから」という評判があてにならないものはありません。なぜなら本は自分と1対1で付き合うものであり、本は自分をうつす鏡でもあるからです。何を知っていて、何を知らず、何に興味があり、何に興味がないかは、ひとりひとり異なる。過去に体験してきたことも違います。

p234
自分好みのものを知りたければ、グーグルでグローバルに検索するよりは、たとえば Facebook で、「こういう本知っている人、いる?」と聞いたほうが、より自分に最適化された答えが返ってくるでしょう。最近は 「Facebookの友達が『この本はいい』っていっていたから、自分も読むことにした」という人が増えています。実はSNSは究極の「偏見増幅器」。いい意味での偏見をどんどん育てていってください。

p236
若いうちは何ごとも量でカバーするようにしたほうがいいのです。

p237
ノンフィクション作家の立花隆さんは本棚が1本埋まると、「これで1冊の本を書ける」といいました。その伝でいけば、ちゃんとした本を本棚3本分も読めば、あなたも特定のジャンルにおける教養人といえるでしょう。

p239
学校のテストで問われるのは暗記力です。だから試験中にほかの資料に当たったら、カンニングになってしまう。ところが大人になったら、逆にまったくほかの資料に当たらずに書いた「裏を取っていない文章」は、単なる思い込みや個人的な主観で書いていると見なされます。同じことをしているのに、評価が180度変わってしまうのです。

p239
人類史上、暗記力の価値がここまで下がった時代はありません。

p251
僕はよく「夢中夢」を見ます。夢中夢とは、夢の中でさらに夢を見るというものです。

p252
「自分という存在は誰かの夢じゃないのか」という考えそのものは、けっこう昔からあったものです。

pp260-261
できれば僕はこの本の読者に、自分で自分を正しい方向に導いていける力を持ってもらいたいと思って、この本を書いてきました。/本と読者は、まさに教師と生徒の関係に似ています。しかし本は話をしてくれないので、自分の中に教師をつくらなければいけない。/ここを勘違いする人がたくさんいるのですが、本そのものは教師ではありません。/その代わり、本を読んで自分に教えている自分と、この本から教わっている自分は、別の人格だと思えばいい。


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