[読書メモ]『これを知らずに塾には通うな!』(今井宏)

p14
もともと一方通行というのは、複雑な交通事情を緩和し渋滞を避けるために生み出された、きわめて理性的なシステムである。

p17
キャッチボールで生徒を高められる教師は、ごくわずかしかいない

pp17-18
大学や大学院の授業でさえ、単なる学生イジメのひねくれた質問と、それにムカついた学生の沈黙で構成される授業の割合が驚くほど高い。

p21
つまり授業に対人関係が関わってきて、よくない緊張感が生まれるのだ。緊張感があるのはいいことだ、と断定してしまうのは素人なのであって、緊張感にはプラスに働くものとマイナスに働くものがある。ナマだナマだと絶対視する迷信が愚かなのは、マイナスの緊張感というものを知らない証拠である。

p27
しかし、授業が優れていれば、「疑問」がそんなにたくさん湧くものではない。疑問がいくらでも湧いて出てくる、というのは教師の質が低いという証拠である。少なくとも大学受験のレベルでは、質問の列の長さと教師の質は反比例する。

p31
首都圏や関西圏の中高一貫校では、高二までで高校カリキュラムを修了しているのだ。そういうツワモノたちを相手に戦う以上、ごく普通の公立高校生諸君も出来るだけ早く基礎を固めていくこと。

p33
高校二年生は、もっと事態が切迫していることを忘れてはならない。

pp46-47
つまり「正直かどうか」も塾選択の基準にしていい。どこか一カ所でウソをつく塾は、他の場面でも平気でウソをつくからである。/塾との付き合いは、長く、また人生に大きな影響を与える。ことあるごとに見え透いたウソが顔を出すようでは、子供の心をねじ曲げてしまう。

p51
VODの画面でさっさと勉強し、さっさと合格して、憧れの先生には合格通知なり学生証なりを持参して、来年の春に挨拶に出かければいいのである。

p53
「制限時間」は「もうそこまででいいぞ」という優しさである

p54
拷問の苦しさの根源は「時間無制限」から発するものであって、一時間で済む、三〇分で許してもらえる、という時間制限がついているからこそ、歯医者のイスの上でもグッと我慢が出来るのだ。

p57
「宿題を出してください」「叱ってください」「いじめてください」という電話がひっきりなしにかかってきて、塾の窓口は大わらわである。

pp84-85
大人が子供にアドバイスするなら「AがよくてもBがダメなら何にもならない」というネガティブな言い方は避けたほうがいい。「Aを頑張り続けなさい。そうすればBも必ず向上する」とポジティブに言ってあげれば、Bの向上も確実に早い機会に訪れるものである。

p85
反対に「負けグセ」のついた人を上昇させることは難しい。負けが続けば、負けるのが当たり前のことになって、負けても悔しいとは思わなくなる。そういう状況で、大事なときにだけ勝てるかどうかは、相撲や野球やサッカーを見ていれば常識的にわかることである。私が「難問集はやるな」「模試を受けすぎるな」「難問がウリの通信添削をやるな」「基礎的標準的な問題を徹底してコナせ」と口を酸っぱくして言っているのは、何よりも負けグセをつけてほしくないからである。

p103
教育の場での「燃え方」は、決して外に見えるようなものであってはならない。情熱があればあるほど、それを意地でも外に見せないのが、大人のしるしであり、成長の証拠である。/格闘技並みの情熱パフォーマンスは、あくまで子供向きのものであって、もしああいうパフォーマンスを見せなければ情熱を感じないというなら、それは感じない人間がまだ子供だからである。

p108
映画館で最前列に座れば映画の楽しみは半減するし、演劇でも最前列というのは素人の座る場所である。スクリーン全体や舞台全体を、いわばカメラを引いて大きく眺めることが出来ないのは、鑑賞にはきわめて不利だからである。ミクロばかり見えてもマクロが把握出来なければ、どんな芸術でも理解しにくくなり、理解出来なければ感動も小さい。

p140
「ミラクルは、決して起こらない」と肝に銘じることである。

p148
確実に得点の見込める科目がある、ということの強み

p152
難問は、超優秀者の道楽。力がつくのは標準的な問題

p152
学部受験段階での難問などというものは、そのほとんどが悪問であって、悪問だから難しいのであり、問題に欠陥があるから解きにくいだけ、ということも多い。

p157
家族がみんなポジティブになって、一丸となって戦うのが基本。ケンカばかりで雰囲気の悪い家庭では、受験はうまくいかないことが多い。

p161
一冊の中に一カ所か二カ所、あるかないかわからないぐらいの間違いを探しながら解答集と格闘する日々は、受験生の思考訓練の場として絶好のものである。

p166
受験産業が発達しすぎて、実力をつけることの重要性をついついみんなが忘れてしまっていたのだ。

p170
パソコン画面ばかり見ていて、相手の顔も目も見ないで話をする失礼きわまりない態度は、最近は大きな病院の医師たちにも見られる[。]

p173
塾の面談で奴隷のように「ワンランク下げた」人は、そのことでかえって気が抜けてしまって、勉強に身が入らず、ワンランク下げたその志望校にも合格出来なかったりすることも多い。

p188
眠らなくても全く構わないから、とにかくベッドに入って身体をゆっくり休めればいい。横になってゆっくりしているだけで、必要な休養は十分にとれる。休養さえとれれば、それでいいのである。

p191
子供は一人で戦いに行くとき、最も力を発揮する

p193
「リラックス」というのは、無理に出来ることではない。それを無理やりしようとすれば、目の前がマッシロになるだけである。

p205
授業中に「時間配分」の話をするときに「見直しの時間も取れよ」とアドバイスすることには、筆者は反対である。/第一、そんなに都合よく「見直しの時間五分」なんかが取れるはずがないのである。九〇分の試験で、「見直しの時間が必要だから、解答は八五分」などと決めてしまったら、自分で自分の解答時間を短くすることになり、その分プレッシャーを大きくしているだけである。解答している最中にも、「どうせ後で見直すから」と考えて、そのぶん注意力が散漫になることだってありうるはずだ。

p206
常にプラス思考でいなければならない入試の場で、いたずらにマイナス思考に付け込むスキを与えてしまうのが「見直し」の作業なのである。/だから、答案作成は「見直し」など当てにせず、一回で集中して制限時間を目一杯かけてじっくり悠然と行うこと。

p218
とにかく子供をほめまくり、叱らない。それが大学受験生以上の年齢なら、「自分で自分を意地でもほめる」という努力が出来なければならない。もう、親や教師がほめる努力をしてくれるのを受け身で待ち受けていてはならない。/周囲がどれほどダメだダメだと責めてきても「今回はあれとあれがよかった」「あれだけは前回よりよかった」と自分をほめる。それがただの「言い訳」や「弁解」で終わらないためには、さらなる努力を誓い、努力目標を設定し、すぐに努力を再開することである。

pp228-229
「テレビで批判の対象になっている人をほめてみる」努力

p246
今回、この本を書きながら常に念頭にあったのは、受験の世界に溢れている迷信・デマ・伝説の類いを少しでも減らしたいということであった。


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