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KIREI - 美しさの受容

西洋における美

私の偏見になるかもしれませんが、西洋における「美」の代表的なものと言えば、「絵」だと思っています。西洋には昔から有名な画家が数多く存在します。例えば、フィンセント・ファン・ゴッホやパブロ・ピカソ、クロード・モネやレオナルド・ダ・ヴィンチといった方々は世代を問わず有名な画家です。一方で私が生まれ育った日本はどうでしょうか。

日本における美

こちらも私の偏見になるかもしれませんが、日本における「美」の代表的なものと言えば、「絵」ではありません。正確に言えば、「絵」だけではありません。確かに日本絵画も有名なものがあり、浮世絵といったものは世界的にも有名です。(浮世絵に関しては、こちらのブログをご覧下さい。)

ですが、日本の「美」は「壁にかけられる絵画」よりも、「陶磁器等に描かれる絵」の方が、日本の「美」をより体現しているような気がしてなりません。海外からの観光客の方も日本のお土産に、絵画を買って帰る人より、陶磁器や扇子といった、日常使いされるものに日本の美が描かれたものを買って帰る人の方がめっぽう多いです。代表的なもので言えば、有田焼におけるカップや輪島塗の漆器等でしょう。

つまり、日本の「美」は「美」として切り取られたものではなく、日常生活の中に「美」を求めることが多いと言えるのです。その中でも「KIREI」というものはまさに日常生活に深く関係する「美」と言えるでしょう。

日本の美学における「KIREI」の本質を理解する

日本文化の一つと言える「KIREI」は、ある種の美学でもありながらも美学の概念を超えるものです。そして、「美」そのものの本質を深く掘り下げています。何世紀にもわたる伝統と哲学的洞察に根ざした「KIREI」には、人の外見の描写だけでなく、生活のさまざまな側面に見られる調和、純粋さ、優雅さが含まれます。

「KIREI」の多面性

表面的な美しさを超え、「KIREI」の根底には、内面的な美しさを持っており、美への多面的なアプローチが込められています。これは、存在のあらゆる側面におけるバランス、シンプルさ、洗練の重要性を強調する総合的な哲学とも言えます。

日常生活の「KIREI」

清潔さと静けさを育む日本社会では、「KIREI」の追求は日常生活にまで及び、清潔さと秩序が最優先されます。毎日の日々である生活空間から茶道における儀式に至るまで、あらゆる細部が思慮深く厳選され、静けさと優雅さの雰囲気を作り出しています。

自然の「KIREI」

山や川、木々や花といった自然は、日本文化の中で特別な位置を占めており、常に「KIREI」のインスピレーションの源となっています。春の桜の穏やかな静けさから秋の紅葉の鮮やかな色合いまで、自然の美しさは神の反映として賞賛され、崇拝されています。

禅の「KIREI」

「KIREI」の象徴的な表現の1つは禅の世界にあります。それは庭園です。細心の注意を払って配置された岩、砂、植物が、静かで瞑想的な空間を作り出しています。これらの庭園は人生の比喩として機能し、シンプルさ、調和、静けさの原則を体現しています。

料理の「KIREI」

日本料理において、盛り付け方は、味と同じくらい重要です。格式の高い日本料理店に足を運べば、そこで出てくる料理はまさに芸術と言えます。これは、味を楽しむ単なる料理という概念を超え、見た目も楽しむ芸術作品であり、「KIREI」の原則を料理に反映しています。

「KIREI」を受け入れた現在生活

今の世界は、情報量が多く、ますますペースが速く混沌としたものとなってきました。そんな日常生活の中で、「KIREI」はよって、私たちはペースを緩め、周囲の美しさを鑑賞し、生活の調和とバランスの感覚を養うことを思い出します。「KIREI」を受け入れることで、私たちはより平和で、穏やかで、充実した生活を生み出すことができるのです。

「KIREI」は日本文化の構造に深く根付いており、美しさ、調和、優雅さのある生活の指針として機能しています。禅庭の注意深い配置、茶道の静かな簡素さ、四季の鮮やかな色彩を通じて表現されるかどうかに関わらず、「KIREI」は私たちを立ち止まらせ、取り巻く美しさに感謝させ、あらゆる面でその美しさを体現するよう努めることを思い出させてくれます。

「KIREI」の本質を受け入れながら、私たちは自己発見と変革の旅に乗り出し、周囲の世界だけでなく自分自身の内側にも美しさを見つけることができるのです。この記事を読んでくださった方も、ぜひ日常に「KIREI」を取り入れてみて下さい。

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