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一杯目はビールじゃなくていい

つい最近まで、一杯目といえば必ずビールを飲んでいた。

誰に言われるでもなく、毎回そうしていた。

20歳になってお酒が飲めるようになってすぐに、人生の先輩に「ビールの本当のおいしさがわかるのは、23歳からだよ」と言われた記憶がある。

23歳、自分で言えば、社会人になってから飲んだビールがきっとそれだ。先輩が言うように、当時、たしかにちょっとだけビールの味は美味しくなった気がしていた。

今それを思い返してみると、それはきっと「社会で働く」ようになった自分と、ビールの「苦味」をおいしく思えるようになった自分が、“大人”という言葉でつながれたからなのではないだろうかと、ふと思う。

一日の忙しさ、疲れ具合、仕事の進み具合……それらの一つ一つの要素が、その日のビールの味を変える。忙しければ忙しいほど、疲れていればいるほど、仕事が進めば進むほど、ビールの一口目はおいしくなった。

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そんなわけでビールが大好き。

家には「糖質0」の24缶ケースが常備されていて、冷蔵庫には常にそれが3本以上は冷えている。

一年ほど前には、赤坂にあるsansaというビアバーでビールの奥の深さ、未知なる味わいに衝撃を受けた。

ところが、最近になって、

一杯目、ビールじゃなくてもいいんじゃないか

と思うようになった。

それは、齢30を過ぎた自分のお腹が出てきて糖質を控えたい、というどこにでもあるような悩みが出発点だったのだが、、、

これがやってみようとすると、けっこう難しい。

居酒屋に入り、メニューも見ずに席に着こうか着くまいかのうちに、「とりあえず、生ください」と条件反射のように注文してしまう。それで、「あ、一杯目をビール以外にするつもりだったんだ」と、脳が遅れてそのことを思い出す。

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お酒が飲めるようになってから10年余り、完全に習慣化された「ビールで乾杯」というテンプレートは、意外なほど自分のなかに根強く、根深い場所に居座っていた。

そんな風に「乾杯酒・脱ビール」と心に決めながらも、なかなかビールから離れられなかった時期は、およそ2か月間ほど続いた……(長い)

それでもなんとか、居酒屋で「とりあえず……」と言ってしまう条件反射を抑え込み、ようやく「ハイボール」を注文することに成功する。

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ゴク……ゴク………

あれ? 思っていたより全然違和感ない……!
乾杯がハイボールだと、アルコールが強いものだと思ってたけど、全然そんな感じしない。むしろ、ビールよりも軽く飲めるのでは?

いつもビール飲むと、お腹が膨れて料理が入らなくなるけど、
これなら料理もたくさん食べられそう!

一体全体、条件反射で「とりあえず、生ください」と注文していたあの2か月間はなんだったのだろうかと思うほど、「ハイボールで乾杯」は拍子抜けするくらい違和感なく「ビールで乾杯」にとって代わった。

ハイボールが大丈夫なら

と、抵抗なく一杯目にビール以外のアルコールを頼めるようになった私は、レモンサワー、ウーロンハイ、ホッピー、ジャスミンハイ、ブルーハワイサワー、ジントニック、焼酎ロックと節操なく、一杯目にいろいろなお酒を頼むようになった。

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そんな乾杯を続けていて、いまではお店の雰囲気やそのときの気分、料理メニューなどを見て、一杯目に飲みたいお酒はどれか、を迷いながら決めている。

「自家製レモンサワー」とか書いてあったら、まず間違いなくそれを頼む。飲みたければ、もちろんビールにすることもある。

その、一回一回迷える、違う、ということがとても楽しい。

長らく自分の中に居座っていた「ビールで乾杯」という固定観念は完全になくなったけれど、なくしてみて思うのは、きっと料理とお酒の組み合わせや流れに対する自分の中での固定観念はほかにもたくさんある、ということだ。

餃子にはビール、揚げ物にはハイボール、魚には白ワイン、肉には赤ワイン、酒盗には日本酒、冬には熱燗、バーではカクテル、レーズンバターにはウィスキー、和菓子には日本茶……

先人が考えた組み合わせや流れに間違いはない。

だけど、そこで思考を停止してしまうのは、きっと何かがもったいない。

自分だけにしかわからなくても、もっと楽しいと思える組み合わせがあるかもしれない。もっと素敵な流れがあるのかもしれない。

どこまでいっても、料理もお酒も、楽しむのは自分自身だ。

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