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相手は変えられないから自分を変える、が腑に落ちた話

急に雨の日が増えた。ザーッでもなければパラパラでもない。さめざめと濡らすように降っている雨。けれど湿度は高くなく、むしろ肌寒い気もして夏が遠のいてしまったようにも感じる。

さて、今回は「相手は変えられないから自分を変える」についてのお話。

ビジネス書を読んでる人はもちろん、Twitterでもこういった類の話はたまに見かけるので、聞いたことある人が多いのではないだろうか。

どんなに相手に不満を持っていて、なおかつ相手が悪い事だとしても「変わってくれ」といって変わるものではない。
なので、対応や考え方・関わり方をこちら側が変えよう、という話である。

なるほど、たしかにと思っていた。
そうであろうと意識もしていた。

だけど改めて腑に落ちた出来事があったので書き留めておきたいと思う。

最近、職場にて面談があった。

その中で「業務を行う上でこうしたらいいのにということはないですか?」との問いがあった。

他部署との関係性について、考えていたことがあった私は提案をしてみた。

「お互いの部署で共通認識としてあるルールを、相手の部署に分かってない人がいる。毎回説明が生じるのは面倒だ。であれば、こちら側でルールをまとめて誰もが閲覧できる場所に提示し、相手側の認識を改めて貰うのはどうか。」

おおむね上のような話をした。
すらと、次のような返事が返ってきた。

「分かってない人がいる、と感じた時点で随時報告が欲しい。また、相手側を変えようとするのはもちろん大事だが、分業して別々の部署として成り立っているので、こちら側の仕事は確認することも含まれている。どう問えばスムーズに答えが返ってくるか、にフォーカスしてみてほしい。」

その時に(ありきたりな表現で言えば電流が走ったように)ハッと気付いた。

私は物事を冷静に見ているようで、実はして欲しいことをしてくれない相手が悪い、相手を変えなければと無意識に思っていたことに。

こういうことか、とストンと落ちた。

一番厄介だったのは自分では「物事を冷静に見ている」と思っていた点だ。
今までどれだけ心の中で無意識に相手を責めていたか想像するだけで胃が痛くなった。

家族、恋人、友人にモヤモヤした時、大抵私はこうしたらいいのに、だとか、なんでこういうこと言ってくれないの、などと考えていたのだ。それに気付かずにいつだって自分は冷静で正しいと思い込んでいたのだ。

完全に思考の癖だ。恐ろしいやら恥ずかしいやら。

詳しいことを書く訳にも行かず面倒くさい文章になってしまって申し訳ない。
完全に自戒を込めた個人的なメモです。

今後は、無意識に相手だけを責めてないか心の内を確認して、自分に変えられることはないか探す癖付けをしていこうと思う。

読んで下さりありがとうございます。
おやすみなさい。良い夢を。

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