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一番元気でいられる場所で暮らすということ

ここの所、実家の奄美大島と関東の自宅を行ったり来たりしています。
父が運転免許を返納するのにあたって、兄弟を含め家族で話し合った結果、父と母の仮住まいを作ることになったのです。
理由は、「好きな場所で、元気に過ごすため」です。

「月桃」奄美ではサネンバナとも呼びます

父はは長年の農作業や重労働で、すっかり腰が曲がってしまい、耳や目も悪くなり、母も膝を痛めて危なっかしい歩き方で心配になります。
それでも二人が笑顔で元気でいられるのは今でも体を動かしているからでです。
畑では、かぼちゃを中心に沢山の野菜、果樹を育てています。
実家と畑は車で往復していましたが、父が免許を返納した後、歩いて通うのも難しく、畑の小さな小屋を改造することにしたのです。

芭蕉の仲間だと思いますが、奄美ではビジンショウと言っています


もともとこの小屋には、地元の知り合いが変わる変わる立ち寄ってくれて、小さなコミュニティの場所となっています。
魚が釣れたと新鮮な魚を持ってくてくれる人や、自分の買い物ついでに食材を買ってきてくれる人、料理上手な人が、美味しいお料理を届けてくれたり。
時には頂いた魚を自分の家で素敵なお料理に変身させて持ってきてくれる人もいるのです。沢山の人に優しさに触れて、二人の暮らしは成り立っていると帰省する度に感じます。
そんな父と母の生活をそのまま続けられるには、畑でも寝泊まりできるようにするのが一番いいと家族全員で実行することにしたのです。
実際に小屋を住めるように大工仕事をするのは兄です。本職ではありませんが、腕はプロ並みです
私達が小さい頃、父が我が家を作った時のように、今度は兄が作ります。

父が作った小屋を、兄がリフォーム


そんな訳で私や妹も両親の様子を見ながら、少しでも兄の大工仕事が進むように、片付けをしたりと交代で帰省しています。
年老いた両親の生活はいつ何が起きてもおかしくない不安定さがあります。
ですが、誰かの家に呼び寄せて一緒に生活するよりも、二人が住み慣れた土地で、親しい人に囲まれて何よりも二人が自由で好きな事を出来るのが一番いいと思っています。


とは言っても、厳しい自然の中でずっと生活していた2人。
自分たちのやり方があって、意見がぶつかることも多々あります。
嫌になって、自宅に早く帰りたくなることもあります。
それでも私達が、二人の生活を支えたいと思うのは、働いている時の二人の笑顔がとても幸せそうだからです。
そして、実直に働く姿を尊敬しているから。
これからも私たちの遠距離サポート生活は前途多難ではあるとは思いますが、自分に出来ることをやっていこうと思います。

今日も、一日が終わる


#奄美大島 #故郷  

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