sekkakuno
今日は休日。一人で行動できる時間もできたので思いつきで遠方のショッピングセンターに行ってきた。平日の月曜だったからか、人は少なくそこまでの移動も買い物も快適だった。だからと言って、30分程度。滞在時間はそれほど長くなく、帰って家の家事を早く終わらせたくなった。
意味がないよな、と思った。気分転換でわざわざ遠くまででかけたのに、これからの家事を考えてせっかくの休日に義務感に駆り立てられているようじゃ。おそらく今日も「もう夕方だ。時間経つの早いなー」なんて何度言ったか分からない、お前の時間経過の感想誰も知らん、というものを吐き出してまた床につくんだきっと。
せっかくの人生。歌詞ではよく聞かれるその文章も、俺はそれを活用できているのかよく分からない。したいことはできていて、それなりの仕事家事もこなせてはいる。それなのに「もっとできた」と思ってしまって今日の反省どころをわざわざ見つける。
自分で自分に減点をつけてしまうのだからよく言えば真面目。悪く言えば自分で自分を不満足にさせるマゾ野郎ということでしょうか。痛いのは嫌いだから穏やかに居たいはずなのに、それは中々達成されずに体と脳を急かす瞬間がある。
いつまでそうやって頑張るんだよ。年齢が多くなるにつれての焦りも、できないことも分かっているつもりで、今までに他人に頼らず自立してきた結果もあるはずなのに。それなのに、まだ足りないと、何も認められていないと気分が下がる瞬間がある。いい歳して、承認欲求的なことで落ち込むなよ。情けない。おじさんは上裸で出歩くぐらいの変態でちょうどいいだろ。
なんて独り言を言いながら帰宅する。はやく帰ってきたので誰もいないうちに料理を済ませる。時間に余裕があったら少し掃除もするか、家族も喜ぶかもしれない。掃除機どこいった。
おそらく、これからもマイペースはうたいながらも何かには急かされてしまうんだろうな。やるべきことは毎日は繰り返されるので出来るだけ自分の時間を多く確保しようと、その時間でやりたいことを達成できたらいいなと、現状は自分の選択した結果であることだから受け止めなくてはと、それでもできるだけペースは落とし、時間を噛み締めながらほどほどにやろうと。何からも急かされない瞬間なんて死んでしまった時くらいだろうし。
家族が帰ってきた。明日は仕事もある。それらは適当にこなしてまた文を書く。一人でやっていく。困った時に誰か励ましてくれる便利な機能はもうなくなってしまったこともいい加減分かっている。それでも誰か、何かのせいにして愚痴を言うのか。嫌だな、そんな生き方は。やっぱり、せっかくの人生なんだから。
精進します。