『一度死んでみた』

 すごい映画を観た。広瀬すず主演の『一度死んでみた』という映画だ。仮死状態になる薬を飲んだ父親(堤真一)の火葬を阻止するために娘(広瀬すず)が奮闘する映画だったのだが、鑑賞後深いため息をついてしまった。

 家族の絆の大切さや、命の尊さを声高に訴えているのにも関わらず、いや訴えているからこそスクリーンに映っている全てが絆への冒涜、命を踏みにじっているように見えた。大事だと訴えられているのに全然そうは感じられなかった。どうしてこの映画はこんなにも逆説的な作品になったのか。

 この映画は大命題である家族の絆の大切さ、命の尊さを大事にした傍らで、それ以外の「どうでもいいこと」をどうとでもなると思って放置した結果この映画自体が真にどうにでもなってしまう映画に成り果てたのではないか。

 「どうでもいいこと」というのは実際的にどうでもいい、些末な事では決して無くいのだ。ディテールこそを大切にするべきなのだ。どの映画でも細部は大事だろとは思うが、特にこういった同じ国の消費者に向けた現代劇は細かい描写のズレに敏感になりがちだからだ。

 箇条書きでディテール気になったシーン

・主人公達のバンドがライブするシーンでの観客のノリ方が明らかにメタルでないし、そもそもあんなあからさまなヲタ芸する奴はメタル現場にいるのがおかしい。いても少数だし後ろでおとなしくしてない統制はとられていない。

・死んだ人間を安置するのに何故社員食堂を使っているのか。他に会議室とかふさわしい場所に置かないのはおかしいし、社員食堂に置く特別な理由が無いのが気になる(冷凍庫に仕舞うとか、『サマーウォーズ』みたいに氷を周りに積み上げるとかそういう描写もない。ただ置いてるだけ)

・死んだ父親の火葬を一体誰が決めたのか。唯一の?肉親である娘の意向を完全に無視しているのも大いに不自然だし、それを許す葬儀会社や周りの人間のおかしさ。制作陣は誰も葬式に関わったことがないのか。関わったことが無くても調べるべきだろ。

・ライバルの製薬会社が狙っている若返り薬(ロミオ)の研究ノートの中に二日間だけ死ぬ薬(ジュリエット)のデータもあるのだが、そのノートを見つけたシーンで明らかに違和感。ジュリエットは最近発見された堤真一も知らない薬なのに、彼が持っていたノートにはジュリエットのことが大々的に記載されている(表紙に大きく書いてある!)。時間軸おかしいし、僕が何か見逃した?と大いに不安をかきたてる。このシーンが一番ヒヤッとしたかもしれない。

・結局火葬されてしまった主人公の父親だが棺に収められた宇宙服を早着替えすることで何とか助かるがおかしくね?となる。

国内の火葬場について調べてみると「火葬場の火葬炉の温度は、ダイオキシンなどの有害物質が発生しにくい 800度以上 と定められています。
古い炉であれば800~950度ほど、最新型は900~1200度程度、と高温になります。」とある。

で、棺に入っていた宇宙服はそれに耐えられるのかについても調べたら

 この記事では「このxEMUの場合、マイナス156.6度からプラス121.1度まで耐えられる。」とあって普通に無理では!?となる。勿論火葬自体始まって数分だったので、最高温度に達してはいないと思われるがそれでも、出てきた時に宇宙服がまるで新品のように見えたのは何かの見間違いだろうか。

・宇宙服についてもう一個。この宇宙服を棺に入れたのはJAXAの野口聡一なのだが、堤真一が着ていた服にはNASAと刻まれたいたのは気の所為?それまでの怒りで目が曇った?

 本当に細部に対する目配せが無さ過ぎて鑑賞中は凄く気が散ってしょうがなかった。常にスクリーンにツッコミを入れていたし、どうしてこうなったのか。グルグルと疑問が渦巻いていて何も考えずに観るよりも気疲れした。自分の生活に根付いたことや、趣味でたまたま知っていることについて、それらがストーリーに不必要であっても余りにぞんざいに扱われるのは色々なことを「考えさせられた」。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?