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ソーシャルビジネスを分解してみる①【個人的な「承認欲求の病」】

昨日、ある方とZoomを通してお話をさせていただきました。
ケッコー前から存じていた&文字での交流はあったのだけど(実はお家も近い)、お話するのは今回が初めて。そして、そういう背景があり、先方は緊張していたそうですよっw
私の方は、彼のやっていることにものすごく興味があって、共感もしていたのでワクワクしていたんですがねw
そして、やっぱり思っていた人だったなぁという感想と、人生とは、社会課題とは、ミッション/ビジョンとは? ってところで、改めて整理出来たし、気づきがあったので、この熱量が冷めない間に書きとめておこうと思います。
※①〜③回のシリーズになる予定です😁


お話をしたのはこの方👇

一人一人のできるコトを紡いで、もっと広く社会の役に立てる活動ができれば…

こみなみさんのこういう、思いに共感して、私も何かできれば&こちらにもお力をお貸しいただければ、なんて思って今回お話をさせていただく機会を得ることができました。
私たちがやっている「ひとりとひとり」も「ひと検」も人、人生を中心として生き方、つながり方に問いを立て、それぞれの強みを使って社会の接続点を増やしていく活動なので、

一人一人のできるコトを紡いで、もっと広く社会の役に立てる活動ができれば

は、私たちのミッションでもあるんですよね。

そして、「ソーシャルビジネス難しいなぁ」という私の課題。
さらに、私の知人たちにも多い社会的活動をしてる人の一部が思っている「良いことをしているのになんで分かってくんないの?」「稼いじゃいけない」って思い込み問題。そんなことについてお話させていただき、ひとつ気付いたことがあります。
それは、個人的な「承認欲求の病」があるんじゃないのって仮説。

個人的な「承認欲求の病」とは

例えば、「○○を救いたい」このビジョンを実現するために活動する団体がいくつかあったとしても横の連携って案外少ないなぁって感じます。代表さんのスタンス、やり方の違いがあったりして「私はこういうルールでやっているので、あの団体とは相反するのです」といった。で、ご本人たちも困窮していたりして…何だかなぁって思うことも多い。

ちなみに、外側からそういう話を聞いていると、その団体の「ビジョン」を実現できないのに、なんでそこに個人のスタンスの話が出てくるんだ? って、思っちゃう。
「○○を助ける」という思いも大切だし、ひとつひとつは素晴らしい活動だと思うんですが、助けるのには「お金がかかる」わけです。活動する人もご飯食べなきゃいけないし。だから、スタンス云々の前に、どうやって助けるかって手段や戦略を練る、その先に救うべき「○○」があるのが自然なのに、「良いことをやっているんだ」って思いの方が先走ってないかって? これ個人的な「承認欲求の病」なんじゃないかって。
広義の意味で「良いこと」をしていても、個人的な部分でストップしてしまうことに違和感があるって、こみなみさんと話していて整理出来たなって。

こういうとこに「本質」があるように感じています。
「良いことをしているのになんで分かってくんないの?」問題。
「ちゃんと言語化しないとわかんないよね」ってことも。団体のミッション/ビジョンを従業員・受益者・行政・支援者、その多関わってくれる人たちにしっかりお伝えできてますか?ってことも。
私も反省すべき点がたくさんあるって気づけました。

②はこちら👇😁


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