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居場所を持つ、創るとは?①

最近、良くみかけるようになった「定年後に孤立しない為の○○」といったノウハウやアドバイスの記事などを読んでいて思うのは、実に表面的な問題提起だなぁ、という感情なんですよね。実際、私も各メディアに取り上げられて、記事になるときには、概ねそういったノウハウやアドバイス的な記事となり、まとめになっていることが多いです(オマエもそんな感じじゃん、と言われそうなので先に言っておきますっw)それはそれで媒体特性なので仕方がないことでもあるし、読者の方も「こたえ」を求めていることが往々にしてあるので「メディアの在り方」としては、良い場合も当然あるのでしょう。問題なのは、その先の「受け取った側がどのように考え、行動するのか?」なんですよね。
知っただけでは何も始まらないように、居場所を持つためには、ケッコーな労力も時間も、自分自身の読み解きも、他者理解も必要になってくるなぁと感じます。

居場所とは?

良くノウハウやアドバイスの記事に書かれているのは、「孤立しない為には居場所を持ちましょう」ですかね。
特に趣味の話は多いように思います(私の記事にもあるっw)
例えば、やってみようかな〜と、勇気を振り絞って「趣味の場」に参加してみても、「すでに人間関係が出来ていて居場所がない…」なんて、ことは良くある話です。それでも続けよう、と思えることがホンモノの「趣味」なのかもしれませんが、そもそも趣味なんて持とうと思ってもそう簡単に見つけられないし、大勢で楽しむものではない、という場合もあるように感じます。お金、時間、環境の問題もありますよね。「趣味」は有った方がいいですが、居場所を持つための最善の方法ではないのかもしれません。

家庭・職場も「居場所」

「結婚したから、家族がいるから、子どもがいるから、幸せでしょう?」なんて、他者の妄想でしかありません。家庭に居場所がない人もたくさんいます。
学校や職場が辛い人もいる。楽しいはずの趣味の場だって人付き合いを気にしすぎて胃が痛いなんて人も当然いるし、いてあたりまえなんですよね。
それぞれの人間関係構築のスタンスが違うので、全ての人に安心・安全の「居場所」なんで無い。だからこそ、人はそれぞれに必要な居場所探しや場づくりが、いつでもどんなときでも必要だと考えています。
仕事を辞めて大丈夫なのか? 趣味の友達関係を崩していいのか? 
いろんな葛藤もあるはずです。究極の場合には、家族や家庭を捨てるのか? という、何が正解であるかわからない問いも出て来ます。しかし、その場に自分がいる意味を「問う」ことは必要だと思うのです。

そこにいる意味を問うてみる

与えられた場所、所属している場所が、自分にとって安心・安全な場所なのか?
それは、自分自身でしか判断できないことです。その場にいることが辛かったり、他者がどんなにその場の魅力を語っても、なんだかしっくりこない時は、自分がそこにいる意味を問う必要があるでしょう。その場を離れるのか、改善して行くのかを決めるのも、自分自身であることの方が多いはずです。もちろん、第三者の介入で離れることになる場合もあるでしょう。その場合は、ポジティブなケース、ネガティブなケース両方あるかもしれません。

今日は、ここまで。

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