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居場所を持つ、創るとは?②

前の記事はこちら。

「孤立」の問題の多くは「場づくり」の課題

私の持論は「孤立」の問題の多くは「場づくり」の課題だと思っているということです。場を醸成するには、人との協力関係が必要ですが、他者をコントロールしたいと思う人がいたり、他者に過剰に期待する人がいたり、依存するのがあたりまえだったり、常にお客さんのような立ち位置で役割を持ちたくないと思う人がいたり、言わないことが美学であると思っていたり、なかなか一筋縄ではいかない。
正直、面倒くさい。
しかし、家族や職場、学校、友人関係、趣味の場、どんな居場所にもある課題です。

背景を知る努力


「孤立」するのは、自己責任だという風潮もありますが、概ねそういった「環境」の問題が多いように感じます。例えば、精神的な課題を持っていても認めたくない家族が適切な医療や支援につながないケース。(この漫画がすごく参考になる「「子供を殺してください」という親たち https://www.comicbunch.com/manga/bunch/kodomowo/ )
これも家族、家庭の「場づくり」がうまく行っていないケースのように思います。
セクハラ、モラハラする上司の問題も、昭和の時代は、現在のように便利な家電も少なかった。家事は女性の仕事で、結婚して専業主婦になり子どもを育てながら夫の給料でやりくりをする家庭が一般的だった。しかし、いつの間にか時代は流れて、その流れについていけなくて昔の「あたりまえ」を若い人にも押しつけてしまって、結果セクハラだ、モラハラだと言われる。本人はまったく悪いと思ってないなんてことは、ケッコーあることです。単純にアップデートできていないだけなんですが、今まで家庭でも職場でもそういう「場づくり」をしてきて、特に問題が無かった(と思い込んでいる)ために、その固定観念をぶっ壊すのはなかなか難しいともいえます。かといってセクハラ、モラハラは許されることではないのですが。
それでも、さまざまなケースの「背景」を想像し、理解はできなくても上手にチューニングしていく努力も「場」に集う人、それぞれに必要なことだと思うのです。

本当にたくさんのひとがいます。だからこそ、多世代交流でアップデートすることも、昔のあたりまえを知ってみるのも、ひととの違いを面白がりながら居場所を探したり、時には自分で持つ、創ることが、これからの日本人には必要なのかもしれません。

私自身、まだ良い答えを持ってはいませんが、引き続き問いを立てて、因数分解していきます。


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