アメリカの算数

とあるニューヨークの小学校における、算数教育のよいなと思うところ

(あくまで我が家の経験ですので、共感できない事もあるかと思います。念のため。)

●頭をよくする為に算数をするんだという意図が、学校からも教科書のつくりからも感じられる。

●カリキュラムがシンプルで分かりやすい。子供たちの通う学校はシンガポールの算数をアメリカ向けに単純化したカリキュラムなのだが(多分都会の学校はどこもこれ)、余計な事が書いていないので、分かりやすい。

●小学生のうちは担任の先生が算数を教えるわけだが、多分先生本人も算数があまり得意ではないため、分からない子供たちの気持ちに寄り添える。

●算数=思考力を育てるためという意図を、親も凄く意識している。「とりあえずやっとけ、だって自分もやってきたし、周りもやってるんでしょ。」みたいな、とりあえず感を感じる事はあまりない。やる意味があるからやる。やる意味がないことはやらない。合理的な人たちだ。

●担任の先生は、算数が苦手な子供達には、サポートを惜しまない。授業中は一番前に座らせ、常に目をかける。早朝出勤し、(無料で)エクストラヘルプ。授業中、Math Specialist(算数専科の先生)が来て、サポートが必要な数人を他のクラスに連れていき、少人数制のレッスンをする。下校後も、希望者は学校に残ってエクストラヘルプ。これも無料。さらに保護者が希望する場合は、担任の先生、またはMath Specialist、または学校内の他の先生が週末自宅に通い、家庭教師をする(これは有料)。


よくないと思うところ

●算数=思考力を育てるためという思いが強すぎて、計算力を軽視するところ。仮に思考力があっても、計算苦手だと答え間違えちゃうし、計算遅いとテストで時間切れになっちゃうのですが。先生方は勿論、保護者もエリートになればなるほど、公文(あちこちあります)を敵視している。計算だけさせまくる=ダサっ!というイメージなのでしょう。でも、小学生低・中学年で思考力うんぬんが育つのは、ごくごく一部の才能ある子供達だけです。普通の子供は、低・中学年は家で沢山読書をしつつ、もっと計算の練習をさせた方がよいのにと、私は思ってます。アメリカのシンプルな教科書すごくよいのですが、たまにめちゃ難易度高い文章題が低学年ででてくるんですよ。保護者が喜ぶからと思いますが、そういうのを無理にやらせて子供達の自信を奪うより、家で本読んだ方が思考力は絶対育つと思う。・・というか、育ちます。確信してます。

●算数が得意な小学生を、教えられる能力のある教師がなかなかいない。小学三年くらいになると、算数が得意な子供の方が先生よりできちゃったりするので。

●算数?ギャーー#^#*)($#*_%*&&^#$L<GDKLGEIO*$)*($)#$&%)(*%#)
・・・みたいな算数=恐怖のイメージを、親や先生、学校側が子供達へ植え付けている。先日長女の学年のカリキュラムナイトと言って、担任の先生や専科の先生が各教科のカリキュラムを説明する説明会があったのですが、こういう感じ。


「さぁ、、最後は・・・・・はい、皆さんの顔色が悪くなっているのが見えますよ(注:ズームなので)!!はいそうです。ご想像の通り・・・・、算数のカリキュラムでーーーす!ガーーーーン(両手を頭に乗せたポーズ)!!!」

(ミュートだけど保護者爆笑しているのがスクリーンに映る)

と、確かに笑えるのだけどさ。これって、子供の立場になったらどうなんだろう。親や先生がこんなに算数への恐怖感を盛り上げちゃうのって、まずくないですかね。全体的に、算数へのイメージってアメリカだとこんな感じだと思います。それなのに、計算力を鍛える事をすっ飛ばして思考力を伸ばそうと難しい文章題を期待するので、上手くいかないのです。

私の思う、とあるニューヨークの小学校における、算数教育の好きなところとそうでないところを書いてみました。でもだからと言って日本の算数=最高!だと思っている訳ではありません。日本の中学受験算数と、アメリカの思考系算数を、自分なりにアレンジしたものを毎日家庭で使っています。日米のよい教材をそのまま使えるので、バイリンガルっていいです。詳しい事は、また次回。

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