見出し画像

死は人類にとって最大の喜びである

僕は若い頃、自分が死ぬときのことをリアルに想像したことがある。

そして、このままなんとなく生きていったら絶対に死ぬ時に死ぬほど後悔するだろうなという確信をもった。だから僕は旅に出た。そして、魂もずっと旅していたんだと気づいた。僕の旅は、3次元的なバックパッカー旅から、魂の旅(スピリチュアルジャーニー)になった。

死は生物の最大の喜びである


あなたは、死ぬことを恐れていますか?

『死』は、生きとし生けるもの誰もがたどり着く道であり、生物にとって最大の恐怖かもしれません。僕も以前は死を恐れていたように思います。

でも、いまはまったく死を恐れていないどころか、そのときが楽しみで仕方ないまであります。

なぜか?

死についての理解が深まれば誰もが恐れはなくなると思いますので、今回はそんな話をしようと思います。


生物が死を恐れている理由

もし、あなたが死を恐れているとするならそれは自分を肉体、心だと認識しているからです。でもあなたは肉体ではない。心でもない。あなたは魂だ。エネルギーだ。意識だ。神だ。呼び方はなんだっていい。

あなたは、この肉体に宿る前からずっとずっと旅をしてきた。
この世界に生まれる前からずっとずっと存在していた。魂のあなた。それがあなたの本質です。

でも、あなたはこの世界に生まれて、肉体に宿り、この肉体、この心を自分だと認識してしまった。悲劇の始まりである。

それはあなたに限ったことではなく、全人類がそうだ。
自分を終わりある肉体だと誤解し、思考があなたに語りかける。「この肉体が終わるとき、お前も消滅するんだ。消えてなくなるんだ」と。

そしてあなたは

死=自分の消滅

と、勘違いする。これが人類が死を恐れる理由なんです。

肉体の死は魂の解放である

この肉体が死を迎えるとき、肉体に縛りつけられていた魂は開放される。
そのときあなたは、それまでまるで想像もできなかったほどの歓喜に包まれる。

この肉体を離れたとき、あなたは本当の自分を思い出す。
肉体じゃない、心じゃない、思考じゃない、魂としての自分を思い出す。

でもそれは死ななければ絶対にたどり着けないという境地じゃない。
肉体を持ったまま魂としての自分を思い出せば、あなたには歓喜が訪れる。

それが、「魂の覚醒」だ。

あなたは光り輝き、愛に溢れ、純粋無垢存在に戻る。それがあなたの本質なのだから。それが魂の本質なのだから。それがどれほどの喜びであるかまるで想像もつかないかもしれない。でもそれは起こる。

僕は確信している。
死んだらまたあの愛の世界に戻れることを。

だから死は怖くない。またあの世界に戻れるんだと思うとめちゃくちゃ楽しみです!

だから、死んだ人を悲しむのはもう辞めましょう。
祝ってあげましょう。

いま、最高の幸せのなかにいるんですから。

死なんてものは存在しない

あなたは肉体ではない。あなたがこの世界に生まれて来る前、どこにいましたか?どこに存在していましたか?その記憶はないでしょう。
でも、確かにあなたは存在していた。

いまはこの人生でこの肉体に宿っているというだけで、あなたはずっと存在していた。実は、この肉体に宿っているという表現もおかしい。

あなたは肉体に縛られる存在でもなければ、ただずっとそこに存在しているだけなのだから。

つまり、「この世界に生まれた」ということも思考が見せる幻で、本当は生まれてもいないし、死ぬこともない。

本当のあなたとは?

僕たちは人生を生きる中で両親や世間にこの身体こそが自分だと教えられ、そして本当の自分を忘れてしまった。

でも、肉体が主人公なのではなく、霊性のあなた、魂のあなたが本当。
あなたはこれまで何回も何回も生まれ変わって人生を繰り返してきた。(まぁそれも魂からみたら幻でしかないが)

いつになったらこの輪廻は終わるんだろうか?

あなたが本来の自分を思い出したとき、それは終わる。
この世界での学びを終えたとき、それは終わる。

映画や小説で感情移入する純粋な人たち

人生とはジョークですよ。
魂から見たらこの世界はただの幻であり、幻想であり、映画を見ているようなもの。小説を読んでいるようなもの。

映画を見て、主人公と自分を重ね合わせ本気で苦しんだりしますか?
小説を読んで、自分が主人公として冒険をしていると本気で思いますか?

感受性の強い人は物語に入り込んで感情移入するだろう。
でも、映画や小説の主人公のように本気で苦しんだり、まるでそれが本当に目の前で自分に起こっていることだとは思わない。だってそれが本当は目の前で起こっているのではなく、映画や小説のなかのできごとだと知っているから。

映画を見ているように自分自身を見てみてください。
そしてその意味が分かったときあなたは、「人生はジョークだ」と言っていることでしょう。

人生は適当なくらいで丁度いい

人間として生きていると、悩みや不安はつきもの。
でも、悩んだからって解決するものでもないし、あんまり考えすぎないで適当に生きているくらいで丁度いいんじゃないでしょうか?

映画を見ているときのように、ポップコーンでも食べて、コーラでも飲みながらリラックスしてるくらいがいい。

やりたいと思ったことはやればいい。
ワクワクすることやっていればいい。

どうせ映画なんだから。
そのくらい軽い気持ちで過ごしていたほうが人生上手くいくと思います。

(それについては僕も実験中なので、またこのnoteでおいおい途中経過なんかも書いていけたらと思います)

肉体の死を考える

どれだけたくさんのものを手に入れても、この肉体が死ぬときにはなにも持っていけないですよ。

そして、死ぬその瞬間にあなたはきっと思う。

「人生あっという間だったなぁ」と。

そのくらい人生は儚いもの。比喩とかではなく、人生は本当に一瞬だったんだな、と気づいたあなたは、人生は本当に幻だったんだなと気づく。夢だったんだなと気づく。

そしてあなたは思う。

「もっと冒険しておけばよかった」
「もっと家族を大切にすればよかった」
「もっとやりたいことを思い切りやればよかった」

そして、その思いを果たしたいがためにあなたはまたこの世界にやってくる。もう一度人生を生きるために。自分の思いを果たすために。

そして僕は思う。

「ジョークだ、人生はジョークだ」と。

気楽に適当に生きましょう!どうせ全部上手くいくから。


サポートしていただけると記事を書く励みになります!頂いたサポートはクリエイターとしての活動費に使わせて頂きます!