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ピース、どら焼き、コーラ

連休最終日。祖父の墓参りへ行った。自宅から電車で30分くらいの立地にあり、駅前でなおかつ屋内施設型なので暑さにうんざりすることもない。最初は屋内って情緒がないなと思っていたが、手入れする必要もないし、供花とお香も常設していて手ぶらでふらっと行けるのでめちゃくちゃ便利だ。いずれ世の中の墓の形はこうなっていくのかもしれない。
祖父の墓参りは3月以来だ。亡くなってもう2年半になる。墓石の前に祖父が好きだった、どら焼きとコーラ、そしてピースライトを供える。寡黙かつ頑固な性格だったので、生前、面と向かって話すことはあまりなかった。最後にまともに話したのは6年前だろうか。祖母が病気を患い入院した時、見舞いの帰りに2人で喫茶店に寄った。祖父の行きつけらしく、今どき珍しい全席喫煙可の店だ。スモーカー達に需要があるのだろう、平日の昼過ぎだったが店内は繁盛していて、紫煙で視界が悪くなるほどであった。端の席に座り、2人ともコーヒーを頼む。いざ相対しても、話題がなく、すこし気まずさを感じながら手持ちの煙草に火をつけると、祖父が「吸うのか?」と声をかけてきた。そうか僕が煙草を吸うの知らなかったのか。祖父の顔を見ると珍しく笑みを見せ嬉しそうにしていた。「そうかそうか」と続ける。そこから、ぎこちなさはあるが、祖母の話、仕事の話、パイプの話など、お互い語り合った。その日をきっかけに劇的に会話が増えたというわけではないが、たびたび自宅の庭で2人並んで煙草を吹かすようになった。祖父はお酒を全く飲まなかったので、コミュニケーションへの唯一の入口が煙草だったのであろう。煙草を吸っていて良かったと思うことは少ないが、亡くなる前のたった数年ではあるが、祖父と会話をするきっかけを作ってくれた部分には感謝している。
墓に手を合わせ、お供え物を回収する。気付けば40分くらいその場にいた。帰り道、喫煙所を見つけて、供えたピースライトのボックスから1本取り出した。口元に持っていきかけたところで禁煙していたことを思い出す。今日でちょうど70日目だ。危ない危ない、台無しになるところだった。そもそもライターを持っていなかったんだけど。祖父と一緒に吸おうと思ったが、たぶんあの世も禁煙だろう。煙草をしまい、ぬるくなったコーラを喉に流し込んだ。

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