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くまのプーさんの映画にグリーフの旅を見た

20年以上前のお気に入りの映画だった「くまのプーさん/クリストファー・ロビンを探せ!」。エンディングで流れる曲も大好きになって、自分のメルアドにしてしまうほどでした。

本日は、20年以上経って久しぶりに鑑賞し、プーさんの冒険にグリーフの旅に通じるものを感じたので、書いてみようと思いました。現時点での等身大の自分で、主観を率直に綴ってみます。あ、ネタバレありありですのでご了承くださいませ。


はじめに

〝グリーフ“とは

グリーフとは愛着を持つ大切なものを喪失した際の悲しみの反応のことを言います。グリーフの状態になると感情、身体、人間関係、スピリチュアルな部分に様々な影響が現れます。自分でコントロールできない辛い気持ちを抱え、どうやったらそこから抜け出せるのか、元気な自分になれるのか。それは、表現は人それぞれあるかと思いますが、出口の見つからない真っ暗な道を彷徨い続けるようなものだと思います。

映画の簡単なあらすじ

大好きなクリストファーロビンがいなくなり不穏なメモを見つけたことで、プーさんと仲間たちがクリストファーロビンを探しに冒険の旅に出かける物語。実際は、クリストファーロビンは学校に行っていただけで午後には戻るよってメモを残していたのだけれど、そのメモをプーさんがはちみつまみれにしてしまったため読めなくなっていたのです。

グリーフの旅

探索する

自分自身がグリーフサポートというものに携わるようになった今、この映画を観て感じたものは、以前とは全然違うものでした。

心に残るプーの台詞があります。

「君のいないところばっかり探して、君のいるところだけが見つからない」

「わかっているのは、君が僕のいないところにいるってこと。でも、僕はどこにいるの? 君がそばにいて教えてくれればなあ。もしかして、僕が一生懸命、お願いすれば良いのかなあ」

お月様に向かって「真っ暗な中 一人ぼっち 助けて」と歌うプー。
「君がいないと 何にもできない」と歌うプー。泣けてきます。

大切な人とお別れをした時、頭では「もういないんだ」とわかっていても、心がなかなかついていかないことはグリーフの正常な反応です。いないのだけど探してしまう、そんなことが普通の反応です。このプーのセリフはまるで、まだ心が受け入れられていない状況を表現しているように感じます。

仲間たちは様々な自分

共に冒険をする仲間たちは、自分の中の様々な一面のように思えました。

ピグレット・・・怖がりな自分
ティガー・・・強がる自分
ラビット・・・お世話焼きの自分
イーヨー・・・ネガティブな自分

冒険の旅が厳しくなるにつれて、弱音が出てきます。

「本当は飛び上がるだけの力がないんだ」
「本当は賢くなんかないんだ」
「良いことが起きる望みもない」

喪失の悲しみに折り合いをつけていく

冒険も佳境に入り、プーだけ一人、仲間達とぐれてしまいます。抜け出せない洞窟の底のような場所に入り込んでしまったプーは、ずっとここで、もう友達にもクリストファーロビンにも会えないんだと落ち込みます。
その時、それまで思い出せなかったクリストファーロビンから受け取っていた仲間たちへのメッセージを思い出し、クリストファーロビンはちゃんと自分の心の中にいるんだってことに気がつくのです。

「そうか ここにいるんだね だから遠くに離れていてもいつもそばにいるんだ」

グリーフの旅を経て

プーが一人っきりで、そうして気持ちの折り合いをつけている頃、仲間たちはクリストファーロビンと合流しているのでした。

「君を探している途中で他のものを見つけたよ」

「僕は勇敢なんだ」
「俺って強いんだぜ」
「ワシは頭がいいことがわかった」
「ここにきて見つけたわけじゃない もともとそうだったんですよ」

みんなそれぞれに、色んな気づきを得ています

さいごに

グリーフの状態にいると、「早く乗り越えたい」「抜け出したい」という思いを持つと思います。その姿を、辛くない状態で思い出として思い出せる状態だとすると、それは以前の自分と全く同じではありません。物理的な身の回りの変化ももちろんありますが、色んな気づきを得て、人としても成長をした自分で新しい人生が構築されています。

そんなグリーフの旅に見えた「くまのプーさん/クリストファー・ロビンを探せ!」でした。ご興味ある方は是非!(ネタバレしまくった後で申し訳ないですが・・・) そしてよければ是非、感じたことを共有してもらえると嬉しいです。

お読みくださいまして、ありがとうございました。


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