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【短編】蝿の日記

淡い光に絆された蝿はその小さい体を散らすことになる。私はそんな蝿を馬鹿だと罵りました。

こんなことを思い出しては堀の中で嘆いているのです。

私が生まれ変わったのは16の夏でした。その年に私は初めて愛を知りました。甘くてぬるくて心地よい気持ちでした。

20でそれを失った時にそれなしで生きてはいけないことに気がついてしまったのです。取り戻すために躍起になりました。私は中毒性が高いものにはめっきり弱いのです。

しかしながら、中毒患者など誰が相手にしてくれましょうか。私は自分が中毒であることを認め、素直に接することで人を丸め込もうとしていたのです。そんな卑怯な奴には見向きもしてくれませんでした。

そんな時、私はある大学教授と出会いました。彼はなぜ蝿は淡い光にほだされるのに人はほだされないのか。人間はそれが何かを知っているからであり、それが知性というものだと言いました。私は全ての悩みを彼に打ち明けました。そのとき私は自身を晒すことの気持ちよさを感じました。

彼は続けて、私がなぜ人間にほだされるのか。それは私が人間とは何かを知らないからであるとも言いました。

悪意には悪意が返ってくる、善意には善意が返ってくる。素直に接したら結果に意外性は生まれない。素直に接したら素直な結果が返ってくる。ただし、人間の本質には悪意が含まれている。騙したものも騙されたものもお互いが優越感に浸っているのだと。

私は素直に接すれば人間を理解できると考えておりました。悪意ではなく素直さが本質であると。

しかし、人間を知るためには悪意を理解する必要がある。そのためには自分の悪意を曝け出さなければならないと思い立ちました。騙し、嬲り、犯す。そうすれば自ずと本質に近づけると思ったのです。私の愛への中毒は、人間に対する純粋な学問的興味に代わっていました。

私は名も知らぬ誰かの母を奪い、父を奪い、兄弟・姉妹を奪い、子を奪いました。最後に母に電話をしたいと言った子の喉を切りました。私にとっての最後ではなかったからです。

気がつけば5年ほどそんなことをやっておりました。奪ったものは数知れません。そんな時に私は声をかけられ、殺しを家業としました。騙し、殺し、金をもらう。少し不思議だったのは殺しのたびに細かい報告書を書いて提出することでした。殺し屋も普通の会社員と変わらないのだなとおもいました。

汚いものもたくさん見ました。人間の底なしの悪意を実体験として蓄えていきました。私は自分を哲学者か何かだと思い込んでおりました。

ある日、私はいつもの通り依頼を受け、ある女を殺しました。彼女は小便をみっともなく垂れながら絶命しました。綺麗な女の汚い死に様でした。私は半年前から彼女に近づき、甘い言葉で誘い、彼女の心を蝕んでから殺しました。

しかし、少し関わり過ぎたようでした。疑われないよう私は彼女の葬式に参列することになりました。写真の中の彼女は美しく笑っていました。私がとった写真でした。

彼女の葬式が終わり帰ろうとすると、ある女が私を呼び止めました。彼女は私が何者なのか知っていると言いました。殺さなければならない。そう思いました。しかし、彼女は私を喫茶店に誘い、そこで話し始めたのです。

彼女は名を佳奈と言い、殺した女の高校時代の友人だと名乗りました。佳奈は高校時代彼女に壮絶ないじめを受けていたと話しました。殺したいほど憎んでいたと。そして、私に感謝を述べてきました。久方ぶりの善意でした。

私と彼女は親しくなりました。彼女は私の悪意でいっぱいの心を少しずつ毒抜きしていきました。彼女は私の家業を知っていました。しかし、毎回何も言わずに送り出してくれました。私は全てを曝け出すことの気持ちよさをだんだんと思い出し始めました。

彼女は私の子を産みました。彼女に似てとても綺麗な顔をした男の子でした。私は親になりました。そのころには人間の本質の追究など、どうでもよくなっていました。私と妻はその子を大切に育てました。私は殺し屋家業をやめ、近所の弁当屋で働き始めました。妻の友人が店長をしており、口を聞いてくれたのです。夜は倉庫の整理をしておりました。私は働き詰めだったので育児は妻に任せておりました。妻は疲れで少しだけ衰弱し、カウンセリングに通い始めました。しかし私には弱音は一切吐かず、黙々と家事をこなしてくれました。裕福でなくとも幸せな暮らしでした。

私の30の誕生日。家に帰ると電気が消えていました。その日は倉庫整理の仕事を早めに切り上げたのでまだ9時前でした。何かおかしいと思いました。暗い部屋の中に大きな箱があるのが見えました。電気をつけて箱を開けてみました。息子がその中におりました。息子は箱の中で死んでおりました。息子は小便を垂れていました。まるで私の殺したあの女のように歪んだ顔をして入っておりました。私の肩幅ぐらいの箱に手足を無茶苦茶に折り曲げて入っておりました。そこから強い悪意の匂いがしました。私はしばらく気を失ったようでした。

目覚めると息子はまだ変わらぬ姿でそこにいました。私は泣きました。死後硬直のはじまった息子の体を無理やり元に戻しました。そこで私はようやく妻がいないことに気がついたのです。

私は妻を探し、見つけました。妻は寝室で首を吊っていました。足元にはメモ用紙が落ちていました。そこには「私は奥底の気持ちに気がついてしまった。ごめんなさい」と書かれておりました。妻が息子を殺したのだとわかりました。もう一度私は泣きました。

その時、郵便受けに何かが投函される音に気がつきました。私は犯人だと思い怒りを原動力に体を動かしました。途中で机に足をぶつけ血を流しながら扉を開けましたがそこには誰もいませんでした。

郵便受けを見てみると一冊の手帳が投函されていました。手帳には私のかつての大学の校章とイニシャルが書いており、かつての教授のものだということがわかりました。中を覗くと私が彼と出会ってから10年間の記録が書き綴られていました。

大学の生徒にいい研究対象を見つけたこと。
研究対象が行動を開始したこと。
報告書が順調に提出されていること。
あの日殺した女は教授の姪だったこと。

私が妻と結婚したことは更なる研究の糧になると書かれてありました。

産後の鬱状態であった妻の心理カウンセラーになったこと。
妻にある助言をしたこと。

そして、最後に「卒業おめでとう」とそう書かれておりました。

その後、私は妻と子供殺害の罪で起訴され、死刑が確定しました。

教授は予期していたのです。教授は自分に足がつかないようにすべての証拠を隠滅・捏造していたようでした。教授の仕込んだものは完璧だったようです。それにより、世間は私が日頃のストレスから家族を殺した陳腐な殺人犯だと思い込みました。

人間を知りたいと願った私は人間を理解している人にほだされた、ただの蠅に過ぎなかったのです。

今日のニュースで、私の事件をあつかっておりました。私は刑務官にテレビを消すことを命じられました。しかし、隣の部屋から音が聞こえてくるので耳を澄ますと、あの教授の声が聞こえました。

教授は罪を償って欲しいといいました。
私の中の底知れぬと思っていた悪意の底など知れたものだったのです。

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