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FUMIYA IS BACK:2019 J2 第35節 アルビレックス新潟×鹿児島ユナイテッドFC

試合結果としては6-0の圧勝だったのだが、この試合は『早川史哉』という大きなテーマが掲げられた試合だった。突如急性白血病という命を脅かす難病に襲われ、それを乗り越えてビッグスワンのピッチに戻ってきた彼の物語を語らない訳にはいかない。

ということで、この試合については『早川史哉定点観測レビュー』という形で書いてみる(2019/10/11 誤字脱字と一部表現を修正しました)。

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早川史哉の1287日

『1287日』。ルーキーイヤーである2016年3月27日のルヴァンカップ、サガン鳥栖戦から数えてこの鹿児島ユナイテッドFC戦までの日数である。

入団当初から開幕スタメンを掴み順調にプロとしてのキャリアをスタートさせ、年代別日本代表として世界の舞台でも活躍した経験のある彼にとって、3年半ものあいだ闘病する日々は我々サポーターにはおおよそ想像できない過酷な世界だったに違いない。

しかし、早川史哉は逆境という言葉では足りない状況を乗り越え、2019年10月5日にビッグスワンのピッチの上に立ったのである。

そしてスタメンとして右サイドバックのタスクをこなし、彼は試合終了までビッグスワンのピッチの上に確かに存在していた。

右サイドバックとしてのタスク

試合開始直後に右サイドバックとして彼に与えられたタスクは右サイドでボランチの戸嶋と右サイドハーフの渡邉新でトライアングルを形成し、ボールを回しながらビルドアップするというものであった。なお、ビルドアップにおいては縦に急がずセンターバックとゴールキーパーも含めたパス回しを行うことで新潟のペースを作り出す。

また、攻撃時においては敵陣深くまで駆け上がりカウンター要員としてのタスクも割り振られていた。

なお、早川が敵陣深くまで上がってしまうと当然カウンターを喰らうわけだが、早川は素早いネガティブ・トランジション(攻撃→守備の切り替え)を行い全力プレスバック(敵陣方向から自陣方向へ戻って行う守備)することで鹿児島に決定機を作らせない働きを見せてくれた。試合を通して彼がサボることなく全力でプレスバックする姿を見て、本当にサッカーができるようになったんだなぁ、としみじみ思った。

守備においては鹿児島の攻撃のストロングポイントである牛之濱に対しスムーズに距離を詰めることでパスコースや進路を限定させ、強固な最終ライン形成に貢献する。

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貪欲にゴールを狙う姿勢とスペースを生み出すドリブル

前述の通り、早川は右サイドバックというポジションながらカウンター要員として機能しており、攻撃に転じる際には貪欲にゴールを狙う姿勢も見せてくれた。25分のシーンなどはボールの転がり方次第ではゴール前で彼の足元にチャンスが巡ってきても不思議ではない状況が生み出される。

ゴールを狙う姿勢は試合終盤になるとより明確になり、常に高い位置を保ってボールを受けたり左サイドからのクロスに飛び込んだりと、あとちょっとのところまで迫る勢いとなっていた。

なお、新潟はビルドアップの延長としてサイドで攻撃の起点を作っていた訳だが、その中心には常に早川の存在があった。早川は単純なパス交換だけではなく、自ら内側にドリブルを仕掛けることでサイド大外のレーンにスペースを生み出す動きを仕掛けたりもしていた。

また、敵陣へ侵入した際のパス交換はパス&ゴーを多用することでディフェンスを外す動きを幾度となく見せてくれたり鋭いスルーパス(68:25のレオナルドへのパスは素晴らしかった!)を出したりと、プロの強度でも遜色なくプレイできることをサポーターに「これでもか」というくらい見せつけてくる。

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そして、試合終了直前に疲労と思われる脚の痙攣を引き起こしてしい一旦ピッチ脇に担架で運ばれてしまうものの、早川史哉はついに試合終了までピッチにたち続けたのである。大きな困難を乗り越えビッグスワンに帰ってきた早川史哉の姿が確かにそこに存在していた。

お帰りなさい、史哉!

この試合の他のプレイも色々ピックアップしたいところなのだが、レビューはこのくらいにして個人的な早川史哉の想い出話を少々。

早川史哉の1287日に寄せて

彼が筑波大蹴球部に在籍していた時、彼は私の息子が所属するサッカー少年団のコーチを受け持ってくれていた(つくば市内の少年団は筑波大蹴球部と連携していて部員にコーチをお願いしている)。

彼は筑波大蹴球部のトップチーム所属(筑波大蹴球部はトップを筆頭に序列で5チームに分かれていて、世間一般で言われている筑波大蹴球部はトップのそれ)で世代別日本代表経験者ということもあり、その存在は少年団の保護者をザワつかせるには十分なものだった。

当然、新潟サポの私にとってのザワつきは他の保護者と同じはずがなかったのは言うまでもない。U-17ワールドカップのブラジル戦でのゴールは今観ても震えてしまう大好きな動画の一つである。

彼には蹴球部の活動を優先してもらっていたので少年団に顔を出すことは稀だったのだが、都合が付くときには練習で指導してもらったり試合で監督をやってもらったりイベントに来てもらったりしていて、小学生や保護者に顔と名前を憶えてもらうには十分な活動頻度だったと思う。

当然、新潟サポの私は他の保護者よりも彼に対する熱量が高かったので、タイミングを見計らっては話しかけ、彼の経験や今後の話などを少しずつ聞いてみたり、新潟への入団発表があった時には新潟のユニフォーム(当時の手持ちはレオシルバだった)を着て一緒に写真を撮ってもらったりもした。

彼が4年生時の12月、彼は新潟での活動が始まってしまうので少年団から姿を消すことになるのだが、少年団の皆でプロで頑張ってくださいね!応援するからね!と陽が落ちるのも早くなった冬の夕暮れに記念写真を撮影して筑波大で背負っていた背番号8のサインをたくさん貰いながら送り出した日のことは良く覚えている。

筑波大時代の彼は1年生の時からトップチームメンバーとして名を連ね、4年生時にはキャプテンという役割で活躍していたのだが、決して大きくはない体格ながらセンターバックとして守備を統率する姿はまさに「頭脳」と呼ぶにふさわしいもので、体は大きくないものの抜群の落下予測と身体能力で大柄の選手相手に空中戦で競り勝つ姿を見れば、新潟サポという前提を差し引いても早川史哉に魅力を感じることの困難など微塵も存在しなかった。

さて、名門強豪で知られる筑波大蹴球部だが、2014年の関東大学サッカーリーグにおいて彼らは筑波大蹴球部の歴史上経験することの無かった降格という憂き目にあってしまう。

「能力が足りない訳じゃないしコンディションが悪い訳でもない。なぜ勝てないのかが全くわからない」

なかなか勝てずにもがき続け、感情が零れ落ちそうになるのを堪えながら語ってくれた筑波大蹴球部員の姿は今でも強く印象に残っている。

そして筑波大蹴球部の誰もが絶対残留という姿勢で臨んだ2014年の関東大学サッカーリーグの最終節である中央大学戦、筑波大は後半アディショナルタイムに失点し、降格してしまう。

ピッチに立っていた筑波大蹴球部のメンバーも、観戦していた観客も、速報を聞いたつくばの少年団の関係者も、おおよそ受け入れることができない非情なドラマとなってしまった出来事である(ちなみに対戦相手の中央大学側の視点に立てば、この1点で残留を決めたという奇跡のドラマになっている)。

降格という現実を突きつけられ、観ているほうも辛くなるほどに結果が伴わなかった毎日を早川史哉はどんな気持ちで過ごしていたのだろうか。

近い未来、彼に突然降りかかる大きすぎる困難の存在など当時は誰も知る術を持っていなかったのだが、当時はあの状況こそが早川史哉のサッカー人生のどん底だったんじゃないかとさえ思っていた。

2015年、2部降格となった筑波大蹴球部は早川史哉を主将とし見事に1年で1部復帰を果たし、翌年から続く筑波大の躍進は多くの人が知っている物語となる。

そして2016年2月27日、2016シーズンJ1開幕戦。

「早川史哉はプロの世界でいきなりスタメンを取るなんてことはないだろうな。試合に出るとしてもトップリーグの猛者を相手にすることになるのだからポジションはサイドバックかボランチだろう」などという私の安易な予想は裏切られる。

早川史哉は開幕スタメンとしてBMWスタジアムのピッチの上に立ち、ポジションは想像を超えてのセンターバックである。

「マジか!」

語彙が貧弱だが、それしか私の口から出る言葉は無かった。あの日、「早川史哉がプロの洗礼を受けませんように」とひたすらに祈っていたのをなんとなく覚えているのだが、結果は新潟が逃げ切る形での勝利で終わり、早川史哉もフル出場というクラブにとっても彼にとっても私にとっても、結果良い1日となった。

続く第2節の神戸戦もセンターバックとして先発フル出場し、第3節の横浜Fマリノス戦も先発にセンターバックとして名を連ねるのだが、この試合では早川史哉と同じく大卒ルーキーだった富樫敬真に彼の守備をブチ抜かれて豪快にゴールを決められてしまう。

この試合を最後に、早川史哉は(控えとして試合に帯同するものの)J1リーグ戦のピッチに立つことなく、程なくして命を掛けた大きすぎる困難に立ち向かうことになる訳だが、ここから先の話はこの文章を読んでいる人の知るところだろう。

サッカー人生どころか命を掛けた毎日を乗り越え、早川史哉はビッグスワンに帰ってきたのである。その壮絶な物語は私にはとても想像できるものではないので安易な言葉を掛けることには気が引けるのだが、改めて早川史哉に伝えたい。

お帰りなさい!

これからはサッカーのそばに寄り添える毎日をとにかく楽しんでください。

「これでわかった!サッカーのしくみ」をコンセプトにアルビレックス新潟の試合雑感を中心に書いています。