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デカパンちゃんを捨てたら涙が出た話


今年の初めから断捨離を始めた。

本当に少しずつだけど、心理的なものから身の回りのもの、色々なものを手放してきた。

とは言え、そのことを
忘れたり、思い出したり、、、
浮き沈みはあれど何とか続けてこられて
少しずつ身体も心も軽くなってきた。

心理面での手放しは、メモや日記に記すようにしていたけど、ものを捨てることに関しては何だか雑というか、心理面のそれと比べると、あまり大切にその局面を扱えていないなと思った。

それが一変したのが、月曜日の夜。
翌日はは可燃ごみの日。

いつも前日の夜にえいや!と部屋から部屋へ一息にゴミを回収。
台所でそれらをまとめ、寝る前に玄関に置く。
それがルーティン。

この一年くらいは、その上によれよれになった肌着とか雑巾とか靴とか、身につけていたものを紙袋に包んで一緒に捨てることが1つ加わった。

話は戻って、月曜日。


妊娠中の期間に使っていたものをようやく手にして選別するタイミングがやってきた。


今は2歳になった娘がまだお腹の中でモゾモゾ動いている存在だった時に、わたしの身体を包んでいたマタニティな肌着、、、たち。
触っていたら色々思い出されてなかなか手をつけられずにいた。(絶対着ないのに、、笑)


どんな少しの締め付けも許せなくなって
普段使ってた洗剤の匂いもオエってなって
そんな時にわたしが許せた、相棒たち。

特筆すべきはマタニティ用のデカパンちゃん。

綿100%でレースも締め付けも一切ない。
小さなお花模様のグレーのよれよれの…
ウエストのゴムも最大まで調節して
もうゴムの役割なんて無いぐらいよれよれで。

書けば書くほど何だかみすぼらしくて
恥ずかしいけど、大切な相棒だった。

通勤途中の車の中でオエオエしてた時も
薬の副作用がしんどくてふぅふぅした時も
トラブルで入院して心細くてひとり泣いた時も
側にいてお腹を包んでくれた、デカパンちゃん。


そのパンツをひとつひとつ
台所で折り畳んで
紙袋に入れてくるくるとまるめて
気がついたらお腹に抱えていた。

もう妊娠することはないかもしれないなぁ。


不安と戸惑いと感じたことのない幸福感。
忘れたくない。なぁ。さびしい。なぁ。


だけと、さよならしよう。

また会えたら会おう、デカパンちゃん。
ありがとう。ありがとうね。。。


あっという間にボロボロ泣いていて。
こんなさよならは初めてで戸惑った。
デカパンちゃんを抱きしめて泣いていた。

喉の奥がキュッとなって
声にしたことがなかった声が
吹き出してくるのを感じた。

わたしの中ではとても大切な思い出なんだ!
忘れたくないんだ!捨てたくないんだ!
苦しかったけど、幸せだったんだ!
忘れないで!捨てないで!

今振り返って書いていてもやっぱり涙が出る。

何かを捨てるという行為は
いつもいつも罪悪感が伴うから苦手だった。
だからお別れするものから
目を背けて、出来るだけ短時間でサクッと
最後のお別れを事務的に済ませてきた。

でもそれってわたしが大切にしたいことからも
目を背けていた気がする。

ものと思い出が一体になってる。
本当によくよく実感した出来事だった。

捨てられない人の気持ちが
初めてわかった気がする。

大事にしたいのはよれよれになった
デカパンちゃんじゃなくて
デカパンちゃんと過ごした日々だったのだ。


またひとつわたしの持ち物が減って
大切にしたいことが増えた。
心はもっと軽くなるんだなぁ。


最後まで読んでいただき
ありがとうございます。

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