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受け取り手の世界


この世は全て、それぞれの受け取り手の
思い描く世界なんだよ。

今日の小石。


伝え方、言葉、タイミング。
伝えるべきか。否か。
伝えたい気持ちのままに言葉にするか。
伝えたい言葉で伝えるか、否か。
誤解を恐れて迷う。
大切なことほど、大切な人に向けるほど
怖い、私が思っているように伝わるか。

そんなことを最近よくよく考えていた。
そもそも、伝えたいことを伝えたい言葉で
伝えるという行為は
伝えたいという自分の思いを
満たすためだけのもの、のような気もする。
少し、荒削りかな。と、思う。

こう伝えたい、伝わってほしいという
思いも伴うならば、また少し違うかな。
言葉選びも語調も、添える思いも。

果たしてそれは自分のためなのか
その人のためなのか、境界線が
わからなくなってくる。

ただ、ひとつそれに対する答えのようなもの
があるとすれば
最終的には
受け取り手に委ねられている、ということ。
そしてその自由は誰にも奪えないし
コントロールしようと思っても難しい。

良かれと思って放った言葉や思いが
誰かを傷つけたり、苦しめたり
悲しめたりすることもあるけれど
それを極力避けようと思っても
結局は最後のところは受け取り手に
委ねられる。
そしてそれは逆も然り。

何気なく放った言葉や思いが
誰かを救ったり、解放したり
視点を変える一助になっていたり
人生を変えてしまったり。
それもまた、最後のところは
受け取り手次第か。

出会う人、出会う言葉
出会う世界は昔よりうんと、広がったけど
わたしというものが出来上がる過程
肌で触れ、口から取り入れる
生身、リアルの世界にはやはり限りがあって

イタズラに広がり加速する
その出会い、は
まだまだ制御のうちにはないのかもしれない。
ボタンひとつでたくさんの物事が
思い通りになるというのは
実は限りなくリアルな幻想で
みんなそれぞれが信じている世界を
それぞれに見ているのだと、感じた。


今日の小石。


この世は全て、それぞれの受け取り手の
思い描く世界なんだよ。

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