コンフォートゾーンからは脱出するべき? #10
前回の投稿では「不退転の覚悟」とか「退路を断つ」とかしなくても良いと書きました。
それでは、ずっと安全地帯、つまり「コンフォートゾーン」に居続ければいいのか、と言う疑問が出てきます。
ちょっと長くなってしまったんですが、最後までお付き合いいただけるとうれしいです。(^^)
コンフォートゾーンとラーニングゾーン
コンフォートゾーンと対比する言葉にラーニングゾーンがありますが、この2つの言葉は(私の中で)最近よく聞く言葉で、なんとなく
コンフォートゾーンは快適だけど成長がない、
ラーニングゾーンは適度なストレスがあるけれど成長がある、そんなイメージがあります。
インターネットから拾った説明を載せておきます。
ほぼ言葉のイメージ通りの説明が見つかりましたがコンフォートゾーンに居続けたら成長がないのでしょうか?
コンフォートゾーンに居続けたら成長がない?
それでは不退転の覚悟をしてラーニングゾーンに飛び込まないと成長はない?あるいはコンフォートゾーンに居続けちゃダメなの?と言う疑問が湧いてきます。
また昨今ではやりたくないことを無理にやらされるのは健全ではない、と言う風潮があったり、
かといって惰性に流されることにとかえって不安を感じたりすることもあると思います。
そことの関係をまたまたVoicyで澤円さんが気持ちよく説明してくれています。
なるほどと思ったポイントは「おもしろいこと」と「ストレスを感じること」は紙一重だとのこと。
おもしろいこととストレスを感じることは紙一重
コンフォートゾーンにずっといることは悪いことではない。でもストレスを感じない代わりに「おもしろい」ことも少ないので、つまらなくなってくるんですよね。
これについては、脳科学者の中野信子さんがベストセラーの著書「科学がつきとめた運のいい人」にも言及されています。
運がいい人は、おもしろいかどうかを判断軸にしているし、あえてストレスレベルを上げているんですね。
ラーニングゾーンに飛び込むのに覚悟はいらない
ラーニングゾーンに飛び込むということは、単なる苦痛や困難に飛び込むということではなく、
おもしろそうで刺激的だけれど多少の困難を伴う、と考えた方が前向きにはじめの1歩を踏み出せそうです。
そこに「不退転の覚悟」とか「退路を断つ」は要らないのです。
なお、ラーニングゾーンの外にはさらにパニックゾーンというレイヤーがあることを知りました。
ラーニングゾーンから、さらに外側の領域になると「パニックゾーン」になります。
そうなると、まさに「余裕」がない状態。
学びや成長どころでなくなります。
そんなところに突き落とそうとして「あんたの成長のためだ」なんて言ってくる人がいたら、
この記事の見出し画像のように、まずは逃げるが勝ちです。ε=ε=ε=ε=ε=┌(; ̄◇ ̄)┘
まとめ
コンフォートゾーンをあえて抜け出さなくては「いけない」と思う必要はないし、そこに覚悟もいらない。
ちょっとストレスがあるけれどおもしろいことに飛び込むんだと思えばいいと思います。
その原動力は、Lead Myself。
自らを奮い立たせることであり、人に言われて抜け出すとかの話ではない。パニックゾーンに突き落とすやつからなんて逃げちゃえ。(`_´)ゞ
ところで、このラーニングゾーンの究極は子育てだと思っています。
多少のストレスはあるけれど、自分自身も学びと成長の連続。
仕事も子育てもおもしろがってやっていきたいものです。(^^)
長くなりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。(^^)
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