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他人との比較は○○でなく○○をみる ー相対的剥奪感について- #12

前回、「競技人口一人のルールで毎日金メダル」と言う記事を書きましたが(言葉自体は澤円さんの言葉ですが)

引き続き、他人との比較について取り上げたいと思います。


相対的剥奪感って?

タイトルにもある相対的剥奪感、って社会心理学の言葉らしいのですが、以前Voicyで尾石晴さんが言及され7万回以上再生されるほど反響があったんですよね。

同時期に幸福学の前野夫妻のVoicyでも相対的剥奪感について取り上げており、私の中で印象付いている言葉です。

相対的剥奪感は、言葉自体はとっつきにくいのですが、「あるある〜!!」と思った人も多いため、バズったのではないかと思います。

よくSNSなどでキラキラしている人を見ると、自分が惨めになると言うアレです。(^^;;

以下が学術的な説明です。

相対的剥奪感とは,例えば「自分と同じような他者」が持っているものなどの基準と比較して,望むことが当然と思われるような結果が"剥奪"されていると感じることによって生じる憤りや不満のことを指します

(Callan et al., 2011; Crosby, 1976)

ちょっとわかりにくいですね。(^^;;

例えば町で学生時代の同級生に偶然出会ったとします。
高級そうな身なりをしてイケメンの旦那さんと賢そうな子供←笑 と一緒に歩いていたらどう思いますか?

なんとなく自分と比べて惨めな気持ちになることがあるかもしれません。

その同級生は自分から何かを奪ったわけでもないのに、まるで自分から何かをはぎ取られたような空虚感や憤り

誰かの勝ちは自分の負けではないのに。
いえいえ、そもそも勝ち負けではないのにね。
(*´-`)

とはいえ他人と比較してしまうのが人間

 シロクマ効果(1987)ダニエル・ウェグナー 

しかし比べるなと言われれば言われるほど比べてしまうのが人間。

シロクマ効果と言うように「シロクマのことを考えるな」と言われれば言われるほどシロクマのことを考えてしまう、、。

そんな時、澤円さんは他人と比較するときに、持つべき視点を「差」ではなく「違い」に変えてみるということを提案しています。

「差」ではなく「違い」と考える

一見たったそれだけのことと思われそうですが、
「差」に着目して「自分には何かが欠けている」
と思うと、マイナス感情にしかならないですが、

「差」でなく「違い」でみれば他人と比較することで、気づきや学びにつながることもあります。

妊活経験の中での相対的剥奪感

この「差」と「違い」の違いですが(ややこしくてすみません。(^^;;)私自身の妊活経験にも当てはまります。

晩婚で子供がなかなか授からなかった時に、子連れを見たり、子供の話をしている人を見ると、
「うらやましいな」と思うと同時に惨めな気持ちになったこともありました。

子供のある人生、ない人生どちらも尊い

そんな辛い高齢妊活のとき、ふと思考を変えてみたんです。
子供がいる、いないは「違い」であり、優劣でない
そう思うようにすると、やり場のない悲しみから解放されたように記憶しています。

相対的剥奪感からの解放

そして、子供を持つことを半ば諦めていたとき、
娘が私のお腹に来てくれました。

その時の感動は忘れませんが、他人と違いはあれどすべての人生は尊く上も下もない

そう思った方が、人生は生きやすいと娘にも伝えていきたいです。(´ω`)

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