hitomisaw

時系列は無視して書いています。 パソコンに向かったとき、浮かんだことを書いています。

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最近の記事

ドラえもん

どこでもドアは パソコンのことだったんだ と思う今日この頃。

    • どっちでもない

      右? 左? だから、 そのどっちでもないんだって!

      • mood .

        ムード。 結局、すべては、これだけ。 でないか?

        • スピリチュアル探究

          芝居を始め、答えのない場所で答えを探し 引き寄せの法則を知り、たくさんの本を読み漁り ホオポノポノを知り、心の中で言葉を呟き ヨガを始め、首を壊し お寺に行って、座禅をくみ ベジタリアン生活で、肌の色が黒くなり 半身浴をしすぎて、熱中症になり 糖質オフで体のパワー不足を体験し 玄米を食べて胃を悪くした。 この間救急車に乗ったのは2回。 もちろんきちんとした知識のもとに行えば 体にはいいことなのかもしれない。 でもバカとしか言いようがない。 この全てが

        ドラえもん

          シーソー

          陰にかたむき 陽にかたむき そのどちらも消えた時 全てがあらわれる。

          シーソー

          板付

          今立っている 足がついている地面 そこに立っている体 そうと認識しているその世界 その世界は一瞬に色を変えることができる その舞台に乗っているその人の色が変わった瞬間に。

          「あ」 と 「い」 の あいだ

          あい。 この一言でいろんなことがわき起こるけど 「あ」と「い」の間には何もない。 「あ」と「い」をくっけた瞬間 そこに自分が生まれ、時間が生まれ、言葉が生まれ その人だけの世界が生まれる。 文字と文字の間の空白。 何もないのに全てが生まれる場所。 全てがつながっている終わりがない場所。 それには名前も付けられない。 体感するしかないのである。

          「あ」 と 「い」 の あいだ

          公式

          自分なりの公式を持ってる。 ○+○=答え 答えは先に出ていて、それを確かめるための○。 体感の後の理屈。 ひとつを知るための、ふたつ。

          シアターゲーム

          今は辞めてしまったけど、今の在り方を作っているのは 間違いなく芝居をやって得たことが元になっています。 知りたい答えを探すために選んだ道具が芝居だったように思う。 台本の言葉やその中の人達が考えてることを考えて その人を表現するにはどうしたらいいのかといっぱい考えたから 考えるってどういう事かがわかったし、人が考えるのはなぜかもわかった。 だからひとりで考えた時間はとても貴重で大切に思っています。 しかしいっぱいいっぱい考えてもわからなかったことが 一度のシア

          シアターゲーム

          引き寄せの法則?

          父が亡くなってから、空白か後悔してるかそれ以外なにも なかったとき、どうしてそんなに惹かれたかわからないけど 道端ジェシカがすごく好きだった。 子供の頃からきれいな女の人への憧れが強かったかもしれない。 ジェシカのブログに引き寄せの法則という言葉が書かれていて それはなんだろうとすごく気になって本を買って読むようになった。 思ったことが現実になる。と書いてあった。 それは当たり前でしょうと思うと同時に 今目の前に起きていることは思ったことも望んだこともない

          引き寄せの法則?

          不思議なこと

          父が亡くなって数週間くらい、 自分の空っぽな体で人に会うと自分の考えでなくて 父親が考えていたことみたいなものをその人に感じることがあった。 子供の頃、父の母親が亡くなったとき、父が同じようなことを話していて この人何言ってんだ?と思ってたけど きっとこのことを言っていたんだなと思った。 頭が働かなくておかしくなってただけかもだけど。

          不思議なこと

          最後の試験

          最後と決めた芝居の試験の日、 課題は2つ。 当日、与えられた絵コンテを見て自分でその商品のCMを作って発表。 もう一つは1週間前に渡された2人芝居の台本をどちらの役も準備してくること。 2つ、精一杯やった。その時、できることをやった。 いつもだと自分の演技が終わった後はすぐ頭の中で繰り返してもっと うまくできたかもしれないと何度も繰り返して頭が働くのだけど その時は終わった後何も頭の中に動きがなかった。 みんなの芝居を見てても何も感想がなかったし、その日一番よ

          最後の試験

          うそ

          オーディションの話が来てもワクワクしなくなっていた。 台本と呼ばれるものを読んでいて何も共感ができなくなっていた。 人前に立つことに緊張を感じなくなっていた。 そして、先生から芝居することを面白がってやってるかと問われたとき 気づいた。楽しさを感じていないんだと。興味を持っていないんだと。 面白がれていないんだと。 もしかしたら「はい、面白がってやっています!」と そこで演技はできたかもしれないけど、嘘をつくことだけは絶対に嫌だったし 演技を勉強してきたからこ

          芝居の先生

          通っていたレッスンでは毎週違う講師と呼ばれる人が来ていた。 もちろん人間だから、出会う先生に自分の中で好き嫌いを感じる時があった。 その中に私を先生と呼ばないでといつも言っていて とてもはっきりしていて嘘がなく、怖くて強そうなのにでも涙もろくて 弱い感じもする女性の先生がいた。その人がなんだか好きだった。 その人のクラスは数回しか受けることができなかったけど、 毎回どんな要求がやってくるか想像できなくて、行くたびにまっさらで 向かっていた。きっと何かを取り繕って

          芝居の先生

          レッスン

          約13年、日曜日はだいたい東京で芝居のレッスンに通った。 毎週欠かさず行っていたとは言えないけど、 与えられた課題、自分に足りないこと、先生に指摘されたこと たくさんのコンプレックス、それを日曜日に人前で克服できるよう 平日は習いこどをして、何かを頑張っていたのは13年間続いていたと思う。 とにかくその時その時に要求されたことに応えられるように、 それが自分の中の目標みたいなものだった。 でもいつもうまくいかなった。今日はちゃんとできたと思ったことは 本当に数

          レッスン

          うえとした

          とにかく必死な日々。何も自分にはないという思いが増していく日々。 毎日習い事をたくさんしていた。 バレエ、ストリートダンス、習字、ヨガ、ピラティス、絵、 睡眠なんてあんまりとっていなかったと思う。 習い事にいけなくなるような用事ができると 不満だったし不安になった。友達ともそんなに遊んでいなかった 遊び方もわからなかった。家族ともほとんど話さなくなってた。 そして父親が病気になっていて、本当に悪くなっていることも 何も気づけなかった。 東京でたいしたこともし

          うえとした