毒親育ちでホームスクール②
毒親は最近流行っているのか、よく聞く言葉だ。
私の母親もそうだった。
毒親だったと気付くまで時間がかかったが、間違いなくそうだった。
過干渉タイプの母親で、子供は私1人。
父親は優しい、普通の人なので、現在も母のクレイジーさには悩まされている。
幼稚園から高校まで、母に送り迎えをしてもらって学校に通った。もちろん、そんな生徒は私だけだったので、クラスのみんなが私の母を知っていた。
少し転んで、ひざをすりむいたら怒鳴られ、脚の形が悪くなるからと自転車にも乗らせてもらえなかった。
私が初めて自転車に乗る練習をしたのは、成人して数年経ってからだ。
愛されていないと感じたことは一度もなかったが、その愛は曲がって表現されていた。
母は私を商品として扱っており、傷がついたり、使い物にならないようにしようと必死だったようだ。
習い事は、ジャズダンス、バレエ、ヒップホップ、タップダンス、ピアノ、歌、と一通りやらされた。
新宿のダンススクールに、少なくとも週4日は通っており、発表会も何度も出てたので、かなりの金を注ぎ込んだに違いない。
ちなみに今、そのどれも一切役に立っていない。
高校生になり、彼氏ができたが、干渉の連続だった。
彼氏が浮気していると疑わず、襲撃せよとばかりに朝4時に母は私を彼氏の家の駅まで送っていき、「さあ玄関まで行って、靴を見ておいで!女のがあるはずだ!」と。
正気の沙汰ではない。
ちなみに女の靴は、なかった。
彼氏も大変だっただろうと思う。
私と付き合うと、もれなく変なお母さんがついてくる。
高校2年の頃がピークで、いよいよ私をラプンツェルかごとく家に閉じ込めようとした。
学校や友達に会いに行けなくて嫌なので、隠れて家を出ようとすると、でかいハサミを開いた状態で持ってきて、私の首に当てて殺しかけた。
しかし私はわかっていた。
母にそんなことができるはずない。
だって私は母の生きる意味なのだから。
殺されかけたことは何度かあったが、母は私を殺せないと知っていたため冷静だった。
母は昔から、私が赤ちゃんだった頃のことをよく話していた。
いかに可愛かったかという話で、子供の頃からそれがつまらなくて仕方なかった。
それは、母が私をコントロールできていた頃の話であり、それゆえの「可愛い」であったのだ。
それなので、私は自分の子供に、赤ちゃんの頃も可愛かったけど、今のほうが好き
って言うようにしているし、実際そう思ってもいる。
ここには書けないようなこともたくさんあった。
自分が親になってはじめて、いかに酷い育て方をされてきたかに気づいたという毒親育ちは多いと思う。
私もその1人であり、このように吐き出せる場所があることを感謝する。
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