毒親育ちでホームスクール

旧約聖書、箴言22章6節

「子をその行くべき道に従って教えよ、そうすれば年老いても、それを離れることがない。」

宗教に浸り、何かしらに洗脳されて子供を持った人は、その信仰を子供にも強制する。

学校にも通わせず、現世は悪とみなし、他者と差別化する。

そしてこぞって言う。

「私達だけは正しい」と。

カルト的な人達に特別な思い入れや、恨みはないが、あまり関わりたくはないというのが正直なところ。

かくいう私の信仰は、イエス・キリストが神であるという事実を元に成り立っている。

私の親は、強めの毒親であったが、無宗教の家で育ち、私はそれを誇りに思っていた。

子供の頃、クラスにちらほらいる宗教の家に生まれた子を見ると、訳のわからない集会や、礼拝を強制され、かわいそうだと思っていたし、選挙前になると電話してきたり、訪問してくる親もアホなんかなと思っていた。

なので、そういうこととは無関係である私は、ちゃんと自分で立って生きている気がして、それでドヤ顔で無宗教だと言っていた。

イエス・キリストを神だと知った今でも、そういう面はそう変わりない。無宗教のほうが、変な宗教よりはマシだと思っている。

ただ1番大事なのは、本当の神を信じるその姿勢だ。

私には娘と息子がおり、現在ホームスクールをしている。

子供に病があるわけでも、不登校なわけでもない。学校に行けないから、または馴染まないから、仕方なくホームスクールしているんでもない。

イエス・キリストが神であるという事実と、なんのために生まれ、またどのようにして生きるのかという軸を、幼い頃から少しづつ認識していってほしいという願い、そして本人たちが、将来的にしっかりと神との関係を築いてほしいという願いのゆえに、ホームスクールをしている。

とはいえ、ホームスクールが神なのではない。 

周囲に理解されることや、友達の和を広げることが目的なんじゃない。ましてや、ホームスクールをもっと世に広めていこう!というつもりもない。実際ホームスクーラーが増えようが減ろうが関係ない。

少数派ゆえ、周りに反対されたり、逆に興味本位からか、干渉されたりして、精神的苦痛を感じ、自己陶酔してる場合じゃない。

目的は、方向は、神であるということだ。

私達を創造したのは神なんだから、その方のことを知ろうとするのは当然のことで、いや、そういうのはちょっと、なんて態度取ってるほうが不自然だ。

エホバじゃないしモルモンでもない。カトリックでもないしプロテスタントのなんかいろんな流れのやつでもない。もはや宗教じゃない。

ただ単に、聖書を信じ、神であるイエス・キリストに頼っている。

次回は、毒親について。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?