八女茶の手摘みを体験してみてわかったこと
福岡県八女市。福岡市内から電車と地元の路線バスを乗り継いで約2時間。あるいは車でも約2時間という決してアクセスが良いとはいえない地域だ。だが、ここには秘宝のように美しい日本の原風景と雄大な自然、そして伝統的な茶畑が残っている。
「茶」を飲むことは、ごく当たり前の国・日本。だが、日本人として生まれておきながらも、一杯の緑茶が自分の手元にやってくるまでの過程を実際に目にしたり、携わったことは一度もなかった。
そんな中、ある日突然、奥八女の無農薬の茶園で茶摘みが体験できるという話が舞い込んできた。
昨年夏、八女市で行われたブラジル人ギタリストYamandu Costa(2年前の夏ポルトガルのど田舎の町までライブを見に行ったほど好きなミュージシャンだったこともあり、彼が福岡にやってきたというのは衝撃だった)のライブの日、現地では町屋祭りということもあり、八女市内の旧郡役所でマーケットが開催されていた。そこで、1人の女性がうきは市の湧水で入れた無農薬のコールドブリューの緑茶を販売していたのだ。その女性こそが、今回私が茶摘みを体験することになる茶園を営むえりさんだった。
二つ返事で「参加します!」とえりさんに連絡し、当日朝5時起きで公共交通機関をのりついで福岡市内とはまるで別世界の八女にたどり着いた。JR鹿児島線羽犬塚駅からの路線バスではあまりの乗客の少なさに「果たして無事に辿りつけるんだろうか?」と不安になるほどだった。
指定の駐車場で、えりさんを待つ。とにかく時の流れがゆったりだ。そして、すでにジャスミン茶のような香りが空中を舞っている。久留米大のバスをひたすら綺麗に磨き上げている地元のおじさん、そして時折犬の散歩をしている地元のおじいちゃんがやってきては、ただベンチで座って休憩していく。
日本人として生まれながらも東京以外で暮らしたことがなかった私。人生の半分を海外で過ごしていることもあり、とにかく異境感が半端ない。これまで人生で日本の「地方」をこれだけの近距離で見たことはなかった。今自分がここにいるのが不思議で仕方がない。
迎えにきてくれたえりさんの車に乗り込み、茶畑へと向かう。眩しいくらいの新緑。太陽の光を浴びてキラキラと輝くせせらぎ。なんて美しい水流だろう。そして、製茶工場横を通過すると、新鮮で青々としたお茶の香りに一気に包まれる。ああ、ここは本当にお茶の故郷なのだ。八女での茶の栽培の歴史は600年以上にもなるという。
奥へ奥へとのぼっていき、到底自力では見つけられないような隠れの里に、えりさんの茶園はあった。そこは、美しくひたすら純粋なエネルギーに満ちていた。
えりさんが旦那さんと一緒に大切に育ててきた茶。皆、太陽の下で鮮やかな新緑色でキラキラ輝いている。この茶畑は、完全に「愛」で溢れている。
茶を無農薬で育てることはとても簡単ではない。ましてや、今回私が体験することになった「手摘み」に至っては、その手間と苦労は、実際に体験してみるまで想像もつかなかった。
手摘みの作業は、闇雲に収穫すればいい、というものとは全く違う。フィジカルワークであり、ブレインワークだ。畑の中からまず良芽を選び出し、芽の上方の葉を3枚選びながら、丁寧に摘むのが「一芯三葉」という摘み方である。
この作業は思った以上に集中しなければ不可能だ。たまに少しでも傷んだり縮れたり、霜にやられた葉がある場合は、丁寧に取り除く必要がある。よって、常に茶畑の中で良芽と使える葉をスクリーニングし続けなければならない。
しかも、茶は水分や湿気に大きく影響を受けるために、収穫は雨の日や雨の日の直後には行えない。よって、天候も含めて条件がそろわなければ収穫ができないのだ。朝露なども茶の葉に影響するので、夜通しや早朝の作業もできないという。
この日は、八女だけでなくうきはや朝倉でも茶の収穫がピークを迎えていたそうだ。2日後から天気が崩れるという予報だったため、各所でこの日にどれだけ手摘みできるかが勝負というプレッシャーのもと、総動員で収穫が行われていたのである。
このような状況は、1年でも今週だけらしい。そんな中、縁に導かれてえりさんの茶園にやってきた私。ひたすら良芽を探し、手摘みを続けていく。すぐ横を流れる水流の音、そして元気なウグイスたちの歌い声に癒されながら、ひたすら摘む。太陽の光が熱い。それでも、ひたすら続ける。
もはや、これは瞑想だ。
えりさんが大切に、愛情をこめて育てた茶の葉一枚一枚が、なんとも愛おしく思えて仕方がない。ひたすら純粋で、そこに煩悩やエゴといったものは一切なかった。
この葉っぱたちと向き合っていると、自分が普段飲むたった一杯、されど一杯のお茶にこめられた壮大なストーリーや背景が一気に映像化されて再生されるような感覚に陥った。この感覚を味わうと、茶葉を粗末に扱うことなんてできなくなる。自分の元にやってきてくれた無農薬のお茶のありがたみと奇跡。
もう、お茶の葉1枚だって無駄に捨てることはできない。すべてに感謝だ。
この日の収穫目標は45キロ。製茶の過程で、45キロ分の葉がないとうまく機能しない機械があるらしい。20人弱のチームでひたすら収穫を続けるが、なかなか到達しない。手摘みは、とにかく時間も労力もかかる作業なのだ。
途中、えりさんが収穫したばかりの葉で入れたお茶を含め、数種類のお茶を飲ませてくれた。それも、えりさんが作った焼き物の器で。
一煎目と二煎目で全く味わいや色も異なったり、茶の楽しみ方は本当に奥深い。
途中、えりさんが近くて摘んできてくれた山椒の葉をかじって、緑茶を飲んでリフレッシュしながら暑さをしのぐ。そして手摘みに戻る。じりじりと照らす太陽の下、夕方まで手摘み作業は続いたそれでも、目標キロ数にはまだ達成できていなかったが、えりさんが八女のあまおうを使って作ったいちごようかんがご褒美として振る舞われた。とにかくみずみずしくて、上品な味わいだった。
他の体験者が帰ったあとも、目標キロ数まで関係者による収穫は続いた。1年でもこの日だけしか収穫できない茶の芽たち。1つ1つ、大事に見つけて、丁寧に収穫していく。
お茶というのは、情熱と愛を傾けてライフワークとして茶作りに励む人たちに支えられている。日本の無農薬の茶畑を訪れてみたいとずっと思っていたが、今回このようなご縁で手摘みを体験できたのは、非常に貴重な体験だった。
えりさんが守っている茶畑をはじめ、奥八女の原風景と自然は、とにかく尊い存在だ。いつまでもこの美しい姿で残っていってほしい。そのためには、私たちがこのような場所で公正に製造されたお茶を適正な価格で購入する、ということも大切だ。「Buying is voting(買うことは投票と同じ)」である。
このような茶園に外部者が立ち入って手摘み体験できるのは、非常に珍しいことだ。えりさんのオープンさに感謝。
そして、去年のあの夏の日に、えりさんに巡り会えたことに感謝。
自分の元にやってきれくれる一杯のお茶にも、心からのリスペクトを。
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